005 停滞した物語は動き出す
× × ×
「おはようございまぁす、せんぱぁい」
月曜日。
軽く書類の整理をしていると、企画部の先輩である真宮里香が、相変わらずのナメた態度でヘラヘラと俺に挨拶してきた。
「おはようございます、先輩」
彼女は、俺の大学のゼミが同じだった二つ年下の後輩だった。しかし、会社において年齢など関係ないと俺は考える。故に、この場所では新卒で入社した彼女より俺が後輩であることは疑いようもなく、結果、互いに先輩と呼び合う奇妙な関係となっているのだ。
無論、そんなジョークは朝の挨拶だけで、仕事が始まれば俺は彼女を苗字で呼ぶようになるが。
「今朝は早かったんですね、依弦先輩」
「日中動くので、先に出来ることを片付けようと思いまして」
「依弦ちゃんはいい子でちゅね〜、よしよし」
「やめてください、恥ずかしいから」
今更ながら、依弦というのは俺の名前だ。
「城田君は、無闇に体に触られることを極端に嫌いますからね」
……返事をする反応が遅れた。
このタイミングで有坂が来訪することなど、想像もしていなかったからだ。
「おはようございます。城田君、真宮さん」
「え、有坂さん? なんでここにいんの?」
「少し城田君にお話がありまして。彼、お借りしますね」
珍しく強引だ。
お前は、もう少し遠慮がちに物を言うタイプだと思っていたが。ひょっとすると、そこんところは俺の知らない間に変わっているのかもしれないな。
「ふぅん、あっそ。いってら〜。先輩、帰って来る時に飲み物買ってきてね〜」
「いつまでも学生気分で働かないでくださいよ、真宮さん」
「説教うざ〜。いいじゃん、別に。先輩にしか迷惑かけてないんだから」
実際、他の社員たちには礼儀正しく素直な上、勤務態度も真面目だから尚更たちが悪いのだ。
「行きますか」
どうせ有坂の話なんて個人的なものであるため、俺は外の喫煙所にやってきた。敷地外のここは、ビル内の空調が整った喫煙室とは違い常に人がいない。知る人ぞ知る静かなここを、俺は密かに気に入っている。
自動販売機でアイスコーヒーと緑茶を購入し、緑茶の方を有坂へ渡す。彼女は凛とした表情で俺の一挙手一投足を観察していたが、隣立って壁に寄りかかると深い溜息をついた。
「随分と仲が良いのね、彼女と」
どうやら、会社ではクールな有坂さんとして接してくるらしい。
「ナメられてるだけだよ。でも、そんなこと聞きに来たんじゃねぇだろ」
「そうよ。でも、気になるの」
「詮索なんて趣味悪いぜ、有坂」
「隠すような関係なの?」
「まぁ、部外者に言いふらすようなもんではないわな。ただ、昔の話だ」
「……そう」
実際、真宮の事をどう伝えればいいのか俺には分からなかった。だが、いちいち全部を伝えてたら、彼女以外の些細な関係だって全部言わなきゃいけない気がしたのだ。
そんなの、誰の為にもならない。
「分かった、なら要件だけ伝えるわ。今日から一緒に帰りましょう」
「おいおい」
「いいじゃない、別に。同じマンションへ帰るのだから」
……俺は、冷静に今の状況を俯瞰してみることにした。
高校時代の友人だった有坂は、今では俺の影響で頼りにされるクールキャラとなっていた。俺に憧れたせい、と言い換えても構わない。とにかく、それほどまでに、彼女は俺を思ってくれていたのだ。
そんな彼女が俺と真宮の関係に少しだけ触れ、その上で高校時代と同じような関係を築きたいと言っている。彼女は俺を友達でないと言った。あれは本当に冗談か? 冗談でないなら、他に考えられる理由を徹底的に探るべき――。いや、違うな。その答えは、とっくに思い浮かんでいるはずだろう。
俺は、無駄なことが嫌いだ。
もしここで回答を間違えれば、鈍重で引き伸ばしの酷いラブコメディみたいな展開になるんじゃないか。彼女の真意を引き出すには、多少懐へ潜り込む必要があるんじゃないのか。
なぜ、彼女は俺と再会して、泣きそうなくらいに感情を揺さぶられたのか。それを慮るなら、俺を真似てクールを気取り、演じた理由を汲んでやるのが俺の役目なんじゃないのか。
すなわち――。
「あの頃と同じ関係に戻るのは違うんじゃないか、有坂」
「そ、そうかしら」
「友達じゃないのなら俺はお前の何だったんだ。俺らもいい歳なんだから、そこんとこ明らかにして関係を再構築してもいいだろ」
「……バレてしまいましたかぁ」
まぁ、これだけヒントをもらってれば流石に分かるよ。
だから、尚更、真宮のことは言わない方がいい。俺だったら、そんなこと知りたくないから。
「電話ボックスで雨宿りした日……さ」
「……ん?」
「あの日、とっくにバレてたんだと思ってたよ。私、緊張で息止まってたし、帰り道も一人でニヤけてたもん」
「……どうしても『勘違いだったら』って考えちまってな。あの頃は、今以上に自分の都合のいいように人の気持ちを解釈するのが恥ずかしかったんだよ」
「ふふ。そんな城田君だから、私は好きになってよかったって思ってる。後悔はしてないよ。でもね、城田君は恋愛が嫌いだから――」
言って、有坂は俺の前に立つとジャケットの袖を小さく掴んだ。
「好きな人に、嫌いなことさせられなかった」
……どうやら、とっくに呪いにかかってたらしい。現実は、感動なんて得る暇もなく事実を認識してしまうものみたいだ。
俺は、やっぱり有坂のことが好きだった。
「十年だぞ」
「うん」
「もう、十年経ってる。互いにあの頃とは違う。お前が思うような俺じゃないかもしれないし、俺が思うようなお前じゃないかもしれない。それなのに、ここで答えを出したら、今度は別の後悔があるかもしれない」
「うん」
「だから――」
俺は、袖を掴む彼女の手を初めて握り返した。
「ちゃんと、今の互いを知るところから再出発しようぜ。有坂。コイビトと呼ぶには、俺たち、少し重いから」
「……ふふ、名案だね。いかにも私たちらしい、面倒な関係かも」
それは、あの頃と同じ、純粋で素朴な笑顔だった。
「悪い。こう見えて、俺は保守的な性格してるんだよ」
「知ってるよ。クールで孤独が好きで、色んなことを卒なくこなすけど、実は寂しがり屋で臆病。だから、色んなことを知って色んな不幸に予め備えてる可哀想な人。それが、私の中の城田君だから」
「お前、俺のこと知り過ぎだろ」
「えへへ。まぁね。それに、私なんて、年甲斐なく十年も初恋を引きずってるメンヘラ女だからさ。今さら期間が伸びたところで気にしない。待っててあげる」
「そ、そうか」
「……本当はうそ。『まだ待たせるのかよ、コノヤロー』って思ってる。あの時だって『ちゃんとフッてからいなくなれー』って、ずっと恨んでたんだから」
「……ごめん」
「ダメ、今回は許してあげない」
有坂は、クールな表情を崩して穏やかに笑った。考えてみれば、あの頃も俺が主導権を握っているように見せて、いつも俺が負けていた気がする。
敵わないな、本当に。
「それじゃ、戻ろっか。城田君。今日もお仕事、頑張ろ〜」
「お、おぉ〜」
気の抜けた挨拶を交わし、俺は真宮のレモンティーを買ってからデスクへ戻った。関係の再構築。そのために俺がすることはあまりにも単純だ。
差し当たって、今晩にでも有坂へ連絡を寄越そう。電話嫌いの俺が寄り添えば、少しくらいは距離も縮まるはずだ。
そういう努力をしてもいい。なんて思える気持ちが、きっと恋の本質なのだろうから。




