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教頭先生から全ての提案を許可してもらえたので実行していくことにした。
先生は救護室の手伝いにきてくれた生徒たちに手当のやり方を説明した後は、一度仮眠をとることにしたらしい。
それまでずっと休みなしに病床人の世話をしていたので体力も限界を迎えていたのか、床に座ったままかくんと頭を落としてしまいそうな勢いで寝てしまった。
教員室前の廊下に黒板を二つ立てかけた。
一つはひっくり返しておく。
糊が入手できなかったため黒板の裏に教材倉庫から調達した釘で紙を張りつけることにした。
粗末なわら半紙がもらえたので各教室に避難している人たちの名前を書き、ひっくり返した黒板に打ちつける。
千颯は学生たちの分担している作業内容をもう片方の黒板に書きだし、誰が何をしているのかを可視化させた。
「……よし。こんな感じかな」
「そうだね。後は気になったことやできてないことを残して、完了したことは記録書として書き写して「済」の箱に入れて管理する。という感じでいい?」
千颯が周りにいる学生たちに問う。
「問題は空襲警報が発令されたとき。学校が攻撃されたらこの黒板持って逃げるか」
「空襲……。心配ではあるけど。……でも、こんな周りは畑だらけの学校に敵機がくるかな」
「分からん。小さな工場を攻撃するために下町方面全部を焼夷弾で焼き尽くす連中だぞ? 備えておくべきではないか?」
「そうかなぁ」
「機銃掃射されると逃げるのが精いっぱいで持ち出すのは無理そうだな。焼夷弾なら燃えるまでに少しは時間があるだろうから持ち出せる可能性はある。焼かれないように攻撃の見極めをしてから持ち出せるか決めるっていうのは?」
「ふむ。俺たちが下校するときは学校の防空壕に移動させるってことだな」
「面倒だけどそうした方がいいんだろうな。燃やされないのが一番だ」
「避難者はどこに逃げればいい? それも考えないと……」
「うん。そうだね。また決めることができた」
「黒板に書いておくか……」
香月が黒板に書きつけてくれた。
「防空壕の拡張作業が必要か、避難者の名簿ができてから考えるか?」
「それもここに書いておく」
「ありがと」
「応」
カツカツと音を立てて石筆で書いていく。
半畳ほどの大きさの黒板に書きつけられた白い文字は小さめに書かれていて、まだ項目が増えるかもしれないからと遠慮気味な大きさだった。
「避難者が早く住む家を決めてくれたら支援活動も防空壕の拡張作業もなくなるけど」
「それも罹災証明を避難者全員に発行してもらわないとなにもできないよ」
井戸の水汲み担当をしてくれた同学年の二人組がやって来た。
どうやら大鍋が足りないらしい。
清拭のための手拭いが作れないという。
今は優先するのは炊き出しなのでそれが終わってからしか鍋は使えずお湯を沸かせないことがわかった。
調理担当がやって来て、避難者の中から炊き出しの手伝いをやらせてほしいという人が数人やって来たので、代わってもらったという。
普段から食事作りをしているのだからそちらに任せた方がいいだろうとのこと。
自分たちの慣れない調理よりも美味しいものを作りそうだ。
連絡係をやっている下級生がやってきて、親とはぐれてしまった子供がいるが縫い付けられた名札をそのまま名簿に載せて良いのか分からないと相談にきた。
半数以上の避難者が炊き出しを食べてくれた。
千颯たちはまだ半分の人が炊き出しを待ってくれている行列を横目に支援の相談をしている。
すると、支援活動を始めたのが中学生だと聞いて、大人の避難者が手伝うと申し出てくれた男性が数人現れた。
避難していたおじさんやお爺さんが生きる気力を少し出して動こうとしてくれた。
千颯たちは嬉しくなり、どうすれば避難生活が上手くいくのかを話し合いながら共に力を会わせていくことになる。
動ける者は自分に出来ることを少しずつ始め、いつまでも落ち込んでいてはいけないと避難者同士で励まし合い、出来上がっていく炊き出しで元気を取り戻した者から作業していくことになった。
大人たちと中学生たちが連携をとりながら作業を進められていると実感し始めたときに、やっと中学校の教師がやってきた。
一学年の担任で物理教師の戸田先生だった。
戸田先生は学校の敷地に入ってくるなり沢山の人が学舎の外でそれぞれの作業をしているのを見て驚いて慌てて教員室に向かった。
教員室前で学生と避難者が話し合っているところに、これはいったいどうなっているのかと戸惑いながら近づいた。
「米が欲しいなぁ」
「今はどこも米がないのはわかっているんだがな」
「農家に頼んで少しでも分けてもらえんかね」
「無理に決まってる」
そんな声が聞こえた。
「あ、……戸田先生?」
千颯は煤で真っ黒に汚れ切っているが、特徴のある頬骨と耳の形に気が付いて戸田先生だとあたりを付けて呟いた。
「え?」
「あ! 本当だ! 先生!」
「戸田先生!」
生徒たちが今、初めて一人目の教師が学校にやってきたのを見つけて口々に叫び、集まって話していたうちの学生数人が教師に駆け寄った。
そして学生に交じって話をしていた大人も振り返り、やれやれといった顔は安堵の表情。
「これはいったい、どうしたんだ?」
「下町の空襲から逃れてきた人たちなんです」
「先生!大変だったんです。僕らだけでは何をしたら好いのか分からなくて」
「え?」
「教頭先生と仕丁さんしかいないんです」
「ほかの先生方はいません」
「先生は大丈夫でしたか?」
「ほかの先生はまだ誰も到着してないです」
「は? そんな……。ちょっと待って一度に話しかけられても分からん。とりあえず、えーと。教頭先生はいらっしゃるんだな?」
「はい」
「じゃ、先に先生に会ってくる。君たちの話はそのあとでもいいか?」
「はい。お願いします」
そうして戸田先生は現状の中学校の実態に戸惑いながら返事をしてくれた。
「教頭先生がいらっしゃるのは救護室です。香月、一緒に行きながらこれまでのことを説明してくれるか? 僕はここを離れられない」
「了解」
千颯に指名された香月が救護室まで戸田先生に説明を始めながら歩いて行った。
「先生方の安否が分からなくて、僕らだけで避難してきた人たちの支援を始めたばかりです。けが人がいて救護室で教頭先生が見てくださっています」
救護室のある所までの廊下の角を曲がっていった。
「やっと先生が来てくれたね。良かったよ、本当に」
「あの人。学校の先生だったのか?」
「はい。知っているんですか?」
「あ、ああ。そうだよ。あの時、早く逃げろって言って逃がしてくれたんだよ。なんで逃げろなんて言うんだ、消火が先だって爺さんと言い合ってた」
「戸田先生……」
「あの人が逃げろって叫んでくれなかったら俺はきっとあそこで焼け死んでたよ……」
「そうですか」
「戸田先生カッコイイ」
「先生の仰る通り、あの焼夷弾は下町でばら撒かれたら爆弾よりも厄介なものだったんだな。坂上が聞いてきた情報のおかげで先生方も消火を諦める決断が早かったんだろう」
「今の巣鴨中学校の先生は全部で10人。まだまだ消息不明だから……無事でいてくれることを祈ろう」
「うん。僕たちはまだいろいろ自分たちでやっていかなきゃね」
「今は薪が間に合ってないから、洗い物は冷たいけど川の水を汲んで汚れを落としてもらおう」
「川ってどこだい?」
「学校の北側に谷端川に流れていく支流があるのでそこで洗い物もしましょう。避難してきた皆さんはきっと通用門から入ってこられたのでしょうが、校庭……今は畑になっている表門を左に行くと小さい川があるんです」
「そうなのか。とにかく遠くまで逃げなきゃと思って、恥ずかしい話だがここがどこなのか……。気が付けばここで呆けていたんだ。炊き出しをすると少年たちが知らせに来てくれたのかきっかけだったが、腹が満たされてから、生き残れたことにホッとして。そうしたら俺も何かやらなきゃと思うようになった」
その話を聞いて千颯は自分が間違った行動をしていないと確信が持てた。
逃げて、生き延びて、そして生きようと思ってくれたなら、自分たちが起こした動きは正解だった。
ならばどんどん良いと思うことは自ら進んでやっていこう、そう思えた。
「こちらにどうぞ。川まで行ってみましょう」
千颯は笑顔で男性に言う。
「生きていてくれてありがとうございます」
「いえ、こちらこそ炊き出しをしてくれて感謝する。避難して休んでいた部屋に炊き出しの香りが漂ってきて、その時に腹が減っていたことに気がついたんだ。知らせに来てくれた少年たちも優しく声掛けしてくれて、気力が湧いてきた。メシ食ったら何かやらないと、働かないとって、思えるようになった。身体を動かしたくなった」
「本当ですか!それは嬉しいです。ではまずは、皆さんの汚れたままの顔や手を洗って煤で汚れた服を洗いたいですね。川の方で洗ってもらうほうがいいと思ってます。井戸の水は飲み水で残しておきたいので」
「そうだな」
「他にもやってほしいことがあるんですけど、罹災証明書を早く発行してもらうために役所にいっている者がまだ戻ってきていないので」
「罹災証明?」
その男も罹災証明書のことを知らないようだったので少し説明すると、
「あぁ!あれか?!」
と叫んで思い出してくれた。
「でもあれはそれぞれの市町村で発行するんだろ?ウチは深川の町役場の近所だ。役場にある住民の情報なんて焼けてしまって残ってないだろ?」
「それは大丈夫らしいです。昨日、僕の住む家の班長さんがこちらに逃げてきた人たちの手続きをやっていたのを僕も見てましたから。配給手帳を持っている人はすぐにできましたし、他にも何かの証明書を持っていても発行されていて。まぁ、服に縫い付けている名札も役立ちました。何とかなるものですからそこは安心できます」
「そうなのか……。大人なのに学生の君のほうがよく物事を知っているんだな。情けないなぁ……すまない」
「いえ、それは仕方ないと思います。僕は空襲にあってないので……大変な目にあわれた人たちの力になりたい、ならないといけないと思っています。それに、明日は我が身だとも思います。敵の攻撃がいつ僕の身に降りかかるか、その時、僕はあなたのように生き残れるのか、それはわかりません。今日はたまたま僕の住む家に焼夷弾が落ちてこなかっただけ、焼かれなかった、確かに運は良かった。あなたは運が悪かった。でもあなたは運が悪かったけど生きている。そして食事もできて僕らに支えられたと思っている。だけど、僕も誰かに支えられています。僕は今、学校に通わせてくれている親がいて支えられています。次は誰かを支えたい、役に立つことをしたいと考えています。そうやって人って生きていくんだと思います」
校門を出て、左に進むとすぐに小川が姿を現す。
川の幅は一丈(約3メートル)ほどあるが、ずっと浅瀬で、深いところは千颯の膝まで。
谷端川につながっていくのだが、ずいぶんと穏やかな流れではある。
長雨が続けばすぐに一帯が水浸しになるが、治水工事をするほどふとが多く住んでいる地域ではないのでもうずっと後回しにされている。
「このあたりなら洗濯も十分にできると思っています。あ……ほら、あそこでもう炊き出しの洗い物がもう始まっていますね」
千颯に促されてそちらに視線をむけてみれば数人の学生と女性が固まって作業をしている。
女性たちの表情はすこし疲れが滲んで見えるが、目にも顔にも生きようとする光があるように感じた。
その中の少年が女性たちに話を聞き込もうとしていた。
谷端川は実在したらしいですね。暗渠でもう川はみられないとか。




