14
なかなか話が進まない。
申し訳なく思っております。
使丁の村井さんはずっと学校の電話番をしてくれている。
昨日の学校連絡で登校するようにと言っていたのは教頭先生からの指示だったという。
電話がかかってきたら生徒ならば翌日に登校、教師なら即出勤して教頭先生の指示を仰ぐこと。
村井さんはそう言伝を頼まれてから電話の前に座らされているのだ。
教頭先生は避難してきた人たちの中でけが人の看護に当たっていて、化学教師として、数少ない薬品だけで救護室で手当をしていた。
理科室からありったけの薬品も持ち出して調合までしてもやはり物資が足りない。
ポンプで水を汲み上げ、発熱で苦しそうにしている人の体温を下げようと額に手拭いを乗せてを繰り返している。
救護室には寝台はあるのだが当然数は足りておらず、床の上に転がったままの人の方がはるかに多い。
「教頭先生」
千颯が少し声を控えめに呼びかけた。
「はい……。なんですか?けが人?病人?もう薬はありませんよ?」
こちらを振り向きもせず教頭先生は返事をする。
淡々とした声で感情が読み取れない。
「これ以上は部屋に入れないから廊下に寝かせて」
「いえ、違います。二年の坂上千颯です」
千颯は教頭先生の雰囲気に慌てて名乗った。
「あぁ、二年生?」
「同じく原田勝海です」
「おぉ、無事で何より。被害は?」
「僕は被害はありませんでした。昨日連絡をしましたら、登校せよとの事だったので」
千颯が先に答える。
「それは良かった。それで君は?」
「自分は焼け出されました。家族が、母が行方不明です」
教頭先生は振り向いて原田君が無事でいてくれたことに安堵の息を漏らす。
「そうか。……早く見つかると良いな。希望を持て」
「はい」
千颯が話を進めようと声をかける。
「あの、とりあえず登校せよとのことだったのですが」
「そうなんだ。とにかく人手が必要でね、……私一人では何もできない。人手がほしいんだ」
「原田君によると丸一日何も食べていないとのことで、避難してきた人たちはまだ食事もできていません。それで、とにかく何か腹に入れて元気を出してもらおうと思って、勝手ながら指示もなしに近隣の人たちにお願いして食べ物や衣類、薬の調達を勝手ながら始めています。ちらほらと登校してきた生徒がいますので物資集めは彼らに頼もうと思っています。事後承諾をお許しください。それで……他の先生方は……」
「まだ誰も来ていない。殆どの先生方は下町方面がご自宅だからな。学校関係者も軍からの情報も何もない。全くどうなっているんだか……」
教頭はぶつぶつと不満を漏らす。
「先生方がいらっしゃるまでの間は僕と原田君と登校してきた者で手分けして罹災証明書の発行手続きを進めるために役所に行ってみてもよろしいでしょうか?」
「は?君が? できるのか……?」
ここでやっと教頭先生は千颯の顔を見た。
「できるかと聞かれればできると思います。とても不安ではありますが。実は昨日うちの近所にも避難者がきて隣組の班長さんと一緒に行動してきました。……それで少しでも早く何かしないと、その、みなさん心が挫けて死んでしまいそうです」
「不甲斐ないが……頼まれてくれるか?動ける者がとにかくいなくてどうしようもない。私は学校を離れるわけにはいかんのだ。君たちの思うようにやってみてくれ。どんなことをしたのか、するのか、報告と相談をしにきてくれ。くれぐれも気を付けて」
「はい。大丈夫です。行ってまいります」
千颯はまた原田君を連れて廊下に出る。
「どうするんだい?」
原田君は不安そうに千颯を見る。
「集まってきている他の生徒に協力してもらわないとね。原田君は集められてきた物資を仕分けしてみんなに指示を出してくれるか?」
「指示って……」
原田君はとても不安そうな顔になった。
「例えば、避難してきた人たちの名簿を作成する。食事の支度をする。清潔にするために体を拭いてもらうためのお湯を沸かす。教頭先生の手伝いをする。生徒と教師の安否確認。物資集め……はもう始めてもらっているからいいか。あとは……何があるかな。取り敢えず最初は僕が皆に説明するから後の事を頼みたいんだ」
千颯は昨日の大人たちの行動を思い出して大まかな仕事を提案した。
「そうか。そういうことを考えなきゃいけないんだね」
原田君は千颯の言葉を聞いて何をしなければならないのかを理解し始めた。
「うん。生きているんだから少しでも早く衣食住を整えないと。だから頼むよ]
「分かった。……けどできるかな」
「取り敢えず始めてみなきゃ出来るかどうかは分からないよ。できないなら何故なのか、どうしたらできるのかを考えていこう。まずやってみる。」
そう言って千颯は校庭に出ていく。
まるで自分に言い聞かせているように。
原田君は不安なのは自分だけではないと思ってくれたようで校門に向かって歩いてくれた。
救護の必要な者以外の避難してきた人たちは、これから親類縁者を頼って移動することになる。
学校は一時的な避難所であるため、罹災証明書が発行されたら物資も交通手段も援助される仕組みになっている。
これは関東大地震の時にも利用されているので、千颯は大空襲の夜中に聞かせてもらった大地震の話で理解できていた。
昨日の大空襲後の朝からの班長さんたちの手続きの大体の流れも見て聞いて経験したので、あとは実践あるのみ。
罹災証明書を発行するための手続きを役所に取り付けに行くことを相談し学校で一手に引き受けてもらえたら良いのだが、教師がいない。
今の状態で罹災証明書を入手する方法は二通りだろうか。
全ての教室に逃げ延びた人々がいるのだから、ここから役所に移動の列を作るよりもお役人さんが一人、こちらに来てもらって現状を見てもらって話をした方が早い。
若しくは申し込みの届出書をもらってきて千颯がまとめて役所に提出して罹災証明書をもらって学校に戻って配布する。
ただし、中学生がそれをしてもよいのかどうか、まだ教師が出勤していない状態では罹災者の中で代表者を出して連れて行った方が現実的ではあるのだが、一日経った今でも呆然として動けない人の方が大半を占める。
中には貴重品さえない、身一つで逃げてきた人もいるらしい。
どうやって本人確認をすればいいのか。そもそも証明できるのか。
体力も無くなり食事さえもない、ただ、ここで息をしているだけになったこの人たちの世話はどうすればいいのかと、不安になっている千颯は、校庭に集まってきている学生たちのもとに向かう。
「巣鴨中の皆さん!集合してください!」
千颯は大きな声で学校の様子を遠くから眺めている登校してきた生徒に呼びかけた。
彼らも登校したはいいがどうしたらいいのか分からず立ち尽くしていたのだろう。
「今、学校は空襲で焼け出され逃げ延びてこられた避難者が使っているので教室に入ることができません! 僕たちはいま、これから何をしなければならないのかをここで決めて行動したいと思います! 避難者の中から聞いた話によると、あの空襲の後、まだ一度も食事をしていないということを聞きました! けがをしている人も多数います! 救護室に入りきらない程でした! そして、とても重大なことがあります! ここには教師が教頭先生しかいらっしゃらないということです!」
そこで千颯の声を聴いていた学生たちは「え!?」と驚いていた。
「先生がいないのです! 教員室には仕丁の村田さんだけ。教頭先生は救護室にてけが人の手当てで手が空かないので、僕たち学徒が諸先生方が来てくださるまで、避難者の支援をしていかねばならないという、とても厳しい状況なのです。地域の手伝いや奉仕作業とは別に、学校の避難者の支援の協力をお願いします!」
千颯は一息で現在の学校内の様子を説明すると、周りに学生たちが集まってきてくれた。
「もうすでに近隣から集まってきている物資を仕分けし始めてくれています。これからしなければならないことを大まかに分けていきます! 避難者への食事提供、着替え等の物資管理と衛生管理、各届け出などの役所関係。まずはこれをやっていって、あとの細かいことは後回し。気づいたときに考えましょう! 手分けしましょう! まずは炊き出し! 料理したことがある人! 僕の後ろに集まってください!」
千颯が呼びかけると「オレがやる!」と手を挙げて千颯の後ろに移動する生徒が一人いた。
そして「やったことないけどやりたい!」ハイハイ!と元気に手を上げて小走りでやってきたのは千颯の同級生だ。
二人目がやってきた。
未経験でもいい。
とにかく食べられるものを作ってほしい。
因みに千颯は包丁を握ったことがない。
男子厨房に入るべからずという家庭で育ったわけではなく、ただ台所は三人の姉たちの遊び場で入る機会がなかっただけだ。
調理班は四人が集まった。
「では、食材はあそこ、ご近所さんから分けてもらいました。校門に届けてくれたので雑炊をお願いします。足りなければここで育てている野菜も使いましょう。怒られたら僕が承諾したと言って構いません」
「いいのか?」
同級生が心配してくれているが、非常時なんだからと開き直ることにした。
「君が一人で怒られるなんてさせないよ。オレも一緒に怒られる! みんなで叱られて笑ってやろう!」
「ありがとう。教頭先生には後で報告。とにかく動いてみましょう」
「上手く行かなかった時はその時に考えよう」
「そうだね」
「ではお願いします!」
「了解!」
皆が笑顔になって集められた食料を昇降口の側にある井戸場に運び込む事にした。
巣鴨中学にはまだガスも水道もない。
何もない広い土地に建てられた学舎。
周りは空き地かぽつぽつと住み着き始めた近隣住民が耕した畑しかないので、ガスや水道を引くには費用がかかるということで後回しにされていた。
地下水があるので井戸を掘って水源確保はできているし、学校の外に少し歩いて出ていけば小さいながらもちょろちょろと川が流れているのも水道設置の遅れの原因にもなっている。
そして男子校なので調理場もない。
去年の炊き出しでは包丁も調理器具もご近所さんが貸してくれた。
井戸からポンプで水を汲み上げて、その近くに簡易の窯を作って鍋に火をかけて雑炊を作った。
それを覚えていた皆は段取りの打ち合わせもなく、それが当然だというように動いた。
その様子を見守っていると誰からともなく「避難してきている人にも炊事を手伝ってもらう事ってできないかな……」という呟きが聞こえた。
「どういうこと?」
千颯がその呟き声に反応する。
「あ、……どんな人が避難してきているのかは分からないけど、何もしないで踞ったままは良くないと思う。気晴らしに身体を動かして……えーと、気分転換すれば元気になれる人って少しはいるんじゃないかな、なんて。そりゃあ大変な思いをして命からがら逃げてきて疲労困憊ではあるとは思うけどさ。何かし始めないとずっと動けなくなりそうだし。僕の個人的な考えだから、そうじゃないって人の方が多いかもしれないけどさ……」
最後には提案の声は自信が無くなり尻すぼみになってきたが、彼が言いたいことは分かった。
「うん。そうだね。各教室に行って自分でできそうなことを聞いていってみようか」
「じゃあそれは僕がやってみてもいいですか?坂上先輩」
一年生の学年章を付けた少年がやる気満々で手を挙げた。
「うん。やってみてくれるかい? あくまでも強制ではない事をしっかり説明してね。無理はさせないで自主的な参加をお願いしてみよう。大勢の参加があればお任せして、一人もいなかったら僕たちが責任持って雑炊を完成させる。……でいいかい?」
「坂上君には料理させないよ?」
「え?」
そういって千颯をみてニヤリと悪い笑顔でやってきたのは香月悠嗣だった。
「あ……やっぱり無事だったんだね。良かった」
「ウチの家族はみんな生きてる。安心してくれ」
「うん。それで?僕は炊事はしてはいけないってどういうこと?」
千颯は首を傾げた。
「だって炊き出しの時の包丁の持ち方が恐ろしかったのを僕は覚えているぞ」
鼻から息を出して半眼になる香月。
「えぇ?……そんなに酷かったかなぁ」
「そりゃぁもう。君は料理してはいけない人なんだと心底思った。あの場にいた者はそう思ってるよ」
そんな軽口を言っていると「あの~……」を一年生から声をかけられた。
「あ、ごめんね。各教室に行ってきてくれる?」
「はい。では行ってきます」
「よろしく頼んだよ」
「よろしくね」
千颯と香月は小さく手を振って一年生を送り出すと、顔を見合わせて小さなため息をついてほほ笑んだ。
いつも一緒に行動していた仲間が無事だったことで少しだけ緊張がほどけた気がした。
命からがら逃げてこられた人たちもこれからどうやって生きていけば良いのかと途方に暮れる方が多かったのではないかと想像して書いてみています。
戦争を題材にしていますがあくまでもこれは事実をもとにしたフィクションで、実際にあった誰かのストーリーをなぞっているわけではありません。
どこを探しても坂上千颯はじめ登場人物は実在しません。念のため。
巣鴨中学校という実在している学校の名前が出ていますが、これもただ私の想像上の設定ですのでふんわりと流してもらえるとありがたいです。




