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【500万PV】織田勘十郎異伝〜自重しなかった結果、別家を立てて生き残ります。〜  作者: 八凪 柳一
第四章 坊丸東進

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第九話 南信濃の事と遠江整備

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 木曽蹂躙の情報が小角衆より齎された。あの狭い木曽谷で武田陸奥守は騎馬を縦横無尽に走らせたとか。残る事を決めた民はひとたまりもなかったろう。それに、三軍は木曽谷をぐるりと囲み、飛騨路を塞いだ。飛騨からの援軍も撃退したようだ。飛騨は三河家の侵攻範囲に入っていないので、父信秀に伝えて、飛騨侵攻の大義名分にしてもらおう。ただ、斉藤家との兼ね合いもある。飛騨の三木姉小路氏の嫡男岩鶴丸に斉藤山城守の娘が嫁ぐ予定になっているとか。どうするかは親父が決める事だが、飛騨が奪れれば、織田家発祥地、越前織田荘への道筋が如実になる。斉藤家の本来の後継斉藤義龍は名を変えて三河にいるのだから、どうにでも出来るだろう。


 さて、南信濃の事だが、木曽蹂躙の報を受け、小笠原が割れた。親三河守派と反三河守派で内輪揉めをしている。四万の兵が迫っているというのに、阿呆なことこの上ない。小角衆を使って反三河守派を、信濃・甲斐侵攻軍に突っ込ませて、小笠原も滅ぼしてしまおうかと考えてしまう。その点は小角衆を通して、三軍軍師の鈴木飛騨守や四軍軍師の河崎伊勢守に伝え、任せるとしている。


 諏訪残党は、内輪揉めはあったものの、すぐに収束した。反三河守派は知久大和守と弟の知久安房守の知久氏の一族郎党のみだったので、知久氏を族滅して三河守家に臣従した。


 高遠家も内輪揉めしている。ここは木曽蹂躙関係なく、元々なのでそのまま合戦に入る。そこで保科弾正忠と陪臣十一家、溝口民部少輔正慶、黒河内隼人丞政信、山田伯耆守(ほうきのかみ)友数、春日大和守重慶、上林上野介祐義、桜井欽五郎重久、片切右馬丞久信と家臣の赤須隼人佑清玄(せんげん)、片切隼人正忠政、松岡兵部大輔頼貞と家臣の片切次郎右衛門利仁、松島筑前守貞実、矢島勘六満政、関十三郎春仲、高木五兵衛顯松(あらまつ)、漆戸伊大夫俊暎、小平内記(ないき)元清、羽場掃部(かもん)助重氏、山口権左衛門鑑弘(あきひろ)、上島孫次郎虎福、牛山左衛門道賢(みちまさ)、汐田左近興信、高見孫兵衛棟康、田沢五郎左衛門之俊、竹松外記豊兼、菅沼阿波守克重、中沢主水義忠、中西丹後守君敦、中原四郎左衛門泰景、名子右近丞為忠、野口甚吉亮昭(すけあき)、畑谷新八郎秀豊、浪合(なみあい)志摩守胤吉、奈良井喜十郎家信、大井出小太郎義行、埋橋四郎左衛門光祐、市岡義太夫正則、中越備中守忠持、塩原安兵衛兼親、上穂伊豆守重清、遠山土佐守景広が内応する。


 相変わらずえげつない数の内応のように見えるが、これで半数というのだから高遠家の層は厚いという事だろう。前世ゲームとしてやっていた頃は、義将以外こんな感じ(あまりにも忠誠を下げ過ぎて出奔する事も多かった)だったので、全く違和感を感じなかったが、現実世界でこれをやると違和感しかない。家臣や小角衆は、小声で「三河守様のご加護が」とか言っているのは知っているが、そこに文句はつけないことにしている。


※内応数が多すぎる事も坊丸教浸透に拍車が掛かっている事は知らない。


 南信濃の国人は全員こちら側なので、近くに来たら、そのまま三軍に組み込まれる。南信濃の最後の敵である武田方、板垣駿河守、室住豊後守、長坂筑後守、小笠原六郎らはひとたまりもなかろう。この四人の一族は恐らく生き残れまい。特に板垣・室住・長坂は陸奥守の元老臣たちだ。生き残れるとも思っていないだろう。


 小角衆と武田陸奥守ならびに形原佐渡守の見立てでは、信濃を完全に落とし、甲斐に入るのは霜月半ばになると言う。小角衆には引き続き今川・武田に対する防諜を頑張ってもらおう。また、小氷河期であるこの時代の冬は非常に寒いが、三河勢では牧場を充実させた影響で、防寒対策が他国と雲泥の差である。寒いには寒いが他国と違い、戦に支障を出さないという。そのまま問題なく侵攻するとの事だった。


 そういう理由で遠江から、駿河へ向かうまで、二十日ほど時間ができた。降伏・内応武将たちはそのまま三河で研修に入ってもらうとして、津々木蔵人率いる二軍に連れられて三河へ旅立ってもらった。勿論、死なない程度(気絶者多数)に威圧して畏怖を叩き込んである。三河の各城・各湊では研修が出来るようにしてあるので、どこに配置されるかは分からないが、平均的な研修が受けられるだろう。


 本陣と五軍は、遠江整備として半分残った作事衆である六軍とともに、遠江整備に精を出すことにしよう。三河の常備軍の者たちは、武家の者なら修練場から兵学校に進んでから軍属になる。武家以外の者なら兵学校を経て軍属になる。修練場でも兵学校で、円匙などの土木道具を使った訓練があるし、卒業実習では警邏けいら隊と作事衆を経験しているので、作事は全く問題ない。流石に湊造りや城造りは編集を使うが、道や田畑、住宅地の整備は六万の兵員で充分なものが出来るであろう。

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