表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【500万PV】織田勘十郎異伝〜自重しなかった結果、別家を立てて生き残ります。〜  作者: 八凪 柳一
第四章 坊丸東進

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/219

第八話 遠江戦の終わり

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 宇津山と掛川が落ち、瓦礫となった。今、その撤去作業とともに死者を悼む状況である。怪我人は多いものの死者は少ない。それでも一割を満たないがいる。家族には保険が下りるから、七軍まである軍団に参加していない深溝又八郎と小姓や深溝一族が右往左往している。小角衆なども使って、現場確認をしているのであろう。


 本来なら内政部門の諸将を軍団に入れるつもりはなかった。今回のように家老級または後継者が死んでは内政が滞る。内政が滞るとそこに住む民達の生活が危うくなる。しかし、私の初陣という事もあり、全員がなんとか軍に属したがった。民達ですら、元に戻るとしても殿様の初陣なら当然と取って、私だけが反対するという妙なかたちになって諦めた。今回の戦には戦の得意でない司笆義親子や富城なども軍属している。奴等は幕府・朝廷に対する外交官だから、軍監にして前線に出さない方向で持って行けたが、当主・元当主などは無理だった。防衛隊や戦後処理に必要だと理解してくれた者達数名だけが、軍属していない。その内の一人が深溝又八郎だ。以前にも語ったが治部方保険担当だ。


 あんなに忙しそうなら、各分掌の配置を厚くするべきだろう。まぁ、数年経てば各学校から卒業した子達で満たされるからなんとかなるか。昭和・平成・令和の時代でも公務員は大変そうだった。もし属国が出来るように権限が委譲されても、属国に出向はあっても、永住は本人の希望が無い限りしないようにしよう。あとは自分の治める国々は中央集権型にしておかないと、これだけの武将がいても全然足りないなと実感した。


 さて、現実に戻るか。


 目の前では、七軍副将の能見次郎右衛門が、嫡子の身体を抱えて最期のお別れをしている。何やら私を守って散ったことを誉めているようだ。しかし、次郎右衛門には次子がいない。叔母は懐妊もしていないので、次郎左衛門の子もいない。史実では次郎右衛門の次子は天文十八年に産まれる大隅守重勝だ。五年後に次子が産まれるから大丈夫とか言えないので、なんとか継嗣を用意しておく必要がある。


 となると使う手は、父信秀の種馬力(いつもの手段)に頼ることだ。以前少し触れたが、庶兄六人を拾ってからは、父が認知出来ない身分の低い女性とその子は私が保護している。育休後の女性たちは城内で女官として普通に働いていたりする。三河では、三河守の身内が産休・育休を普通に行なっているおかげで、割とすんなり産休・育休が定着している。また保険担当の深溝一族が大変そうだったが。


 父信秀の認知出来ない子どもたちのうち、養子先が決まっていない子どもは、実は一人しかいない。多分、父信秀が死去する天文二十一年三月三日までは作り続けると考えると天文二十二年一月十日くらいまでは産まれる可能性があるということだ。今後あと五人は史実外の子どもが産まれる可能性がある。突然死ではなかったが、病床にまで女性を呼んでいたらしいし、あり得る。なお、史実の信長の弟はのちの九郎信治まで生まれている。母花は陸丸(のちの喜六郎秀孝)に夢中だ。傅役は柴田権六がついている。吉法師とは歳が離れすぎているから、第二の織田信勝になる事はあるまい。


 第二の織田信勝になろうものなら、私が敵対する。陸丸が元服する頃には、どこまで領地が広がっているか分からないが、信長を擁する長勝を相手に領地も少ない秀孝がどこまで抵抗出来るか不明だ。なお、柴田権六は尾張にいる頃にいじり過ぎたのか、私の顔を見たら逃げ出す。戦いにはなるまい。


「次郎右衛門。次郎左衛門には救われた礼をせねばならん。」

「そのような事は、三河守様を守れて散れた事は能見家の永代の誉にござりまする。」

「いや、私の油断によるもの、朝比奈備中守にしてはならん油断であった。次郎右衛門の兄阿知和右衛門には娘がおったろう。」

「もしや、側室に?!」

「なぜそっち?!あ、すまん。違う、違うのだ。」

「それは、残念です。」

「姪の於久を養女とし、私の弟を婿に迎えてくれんか?もし、次郎右衛門に嫡子が産まれたなら、返してくれても、阿知和を継がせても構わぬから。」

「なりませぬ。嫡子は婿殿の側近として育てまする。分家として支えさせていただきたく存じます。」

「いや、それでは・・・」

「なんの、三河守様のご兄弟を見れば、どれほど優れた方になるか。側室に送った元松平の諸家では、男の子が産まれれば、その子を継嗣とするように思っておる家も多く、嫡子にもそう教育しておりまする。」

「な、何?!」


 知りたくなかったが、史実の祖父・父・兄を見れば、以下略。

史実の兄弟と史実外の兄弟の説明文を書いておきます。説明文はプロットで作ったものなので、官位が最終的に就く官位になっています。流石にネタバレ・没ネタなプロットは削除してあります(されてなかったらごめんなさい)。また信勝の名前を長勝に決定する前の名前が入っていたらごめんなさい。( )内の数値は生まれた年の西暦です。スルーして大丈夫です。


【史実の兄弟】本人を含む

織田信広(1527)

織田信時(不明、1530と仮定)

織田信長(1534)

織田信勝(1536)

織田秀孝(諸説あり、1540と仮定)

織田秀成(不明、1541と仮定)

織田信包(1543)

織田信治(1544)


【史実外の兄弟】

主人公(坊丸→長勝)の兄弟


《史実外の兄弟》

津田(津々木)三河守秀常(1528)・・・織田信秀の庶子ではあるが、母の実家が武家ではない事もあり、認知されなかった。孤児となっていたところを坊丸に拾われる。周りの孤児たちに「じろすけ」と呼ばれていたので、幼名は次郎佐。元服時の初名は父信秀の「秀」と織田初代の常昌の「常」から秀常、受領した官位(自称)は式部丞。津々木蔵人(父)に養子入り。


津田(稲熊)信濃守秀親(1529)・・・織田信秀の庶子の一人ではあるが母の実家が郷侍でしかなかった為、認知されなかった。孤児としてギリギリの生活をしていたところを坊丸に拾われる。次郎佐の弟という事で、幼名は三助。はじめは稲熊助左衛門に養子入りするが、稲熊の娘に気に入られ、娘婿(許嫁)となる。初名は信秀の「秀」と織田常昌の祖父親真の「親」から秀親、通称は助三衛門。


津田(佐久間)駿河守勝盛(1531)・・・織田信秀の庶子ではあるが、母が行商人の娘であった為、認知されなかった。捨子となっていたところを坊丸に拾われる。佐久間大学允の養子入り。幼名は四郎丸。初名は信秀の「秀」と佐久間氏通字の「盛」から秀盛、初官位(自称)は大学少允。


津田(林)甲斐守秀通(1532)・・・織田信秀の庶子ではあるが、母の実家が武家ではない事もあり、認知されなかった。孤児となっていたところを坊丸に拾われる。幼名は傳五郎。林美作守に養子入り。名は信秀の「秀」と林氏通字の「通」から秀通、初官位(自称)は淡路守。


塚原新左衛門勝幹(1533)・・・織田信秀の庶子ではあるが、祖父が小者でしかなかった為、認知されなかった。孤児となっていたところを坊丸に拾われる。塚原卜伝に養子入りして、三河塚原家を興す。幼名は新七郎。長勝の元服を待って元服した為、信秀庶子の中で初の片諱を戴くことになった。名は長勝の「勝」と塚原氏通字の「幹」から勝幹、通称は新左衛門、官位は土佐守。


山本図書頭勝幸(1535)・・・織田信秀の庶子ではあるが、母の実家の身分が低く認知されなかった。捨子となっていたところを坊丸に拾われる。幼名は新八郎。山本勘助に養子入り。初官位(自称)は図書頭。名は織田長勝の「勝」と山本氏通字の「幸」から勝幸。


宇佐美駿河守勝満(1537)・・・織田信秀の庶子ではあるが、母の実家の身分が低く認知出来なかったが、坊丸が六兄を拾った事により、父から頼まれて保育。坊丸の元服後、浜松にて元服。長勝の片諱「勝」を頂き、勝満を名乗る。


酒井勝尚(1538)・・・酒井忠尚の末娘の婿に。忠尚には娘しかおらず、兄忠親から養子を貰うか考えていたが、長勝の庶弟を婿に迎えて、存続する事に。酒井小五郎の伯父に長勝の血縁が入ったのは、決して長勝による小五郎弄りの一環ではない。長勝の片諱「勝」を頂き、勝尚と名乗る。


中条出羽守勝隆(1539)・・・織田信秀の庶子ではあるが、母の実家の身分が低く認知出来なかったが、坊丸が六兄を拾った事により、父から頼まれて保育。中条出羽守常隆の孫娘の婿となる。長勝の片諱「勝」を頂き、勝隆と名乗る


能見大隅守勝重(1542)・・・織田信秀の庶子ではあるが、母の実家の身分が低く認知出来なかったが、坊丸が六兄を拾った事により、父から頼まれて保育。能見(松平)次郎右衛門重吉の嫡子次郎左衛門重利は遠江戦にて討死。妻は信秀の妹。次郎右衛門重吉は兄阿知波重玄の娘を養女として、婿に迎える。長勝の片諱「勝」を頂き、勝重と名乗る

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ