二話「悪魔の名は」
カタカタと鳴りやまないキーボードを叩く音。張りつめて雰囲気の中に俺はいた。デスクの周りには蓋が開いた空の栄養ドリンクが処狭しと乱立している。それは俺のデスクだけではなく、周囲、各個人、八つのデスクには一人を除いて最低五本並んでいた。
カタカタと鳴り止まない音に発狂しかけたその時、冷酷な声がこの一室を震わせた。
「四ツ木さん。 日本の自殺者数百年単位でまとめて資料を添付しなさいと再三言っていますよね」
「すみせん! 至急作ります!」
「今日までに提出しなかったら魂飛します」
「了解であります!」
俺が勤める第114514線地球日本支部復興支援課課長 佐藤 明美 様の厳命を遂行するべく、俺は五分前に飲んだ『元気百倍!マリリンドリンクM‐Ⅱ』を一気に飲む。あー、きたきた頭がクラクラする上がってくる!
きっつい性格のキャリアウーマンのお手本ともいうべき佐藤さんは尖った眼鏡の中から鋭い眼光を飛ばしてくる。艶やかな黒髪を背中腰まで伸ばしているのは理想的ではあったものの、身長が小さく、小学生と言われても納得できるし、なんなら女性特有の膨らみも絶壁なのだから、疑うこともしないだろう。
明らかにぶっ飛んでる精神状況で、こんな殺伐とした状況でも頑張れるのは神様推奨のこの栄養ドリンクがあるからだろう。原材料といったものが記載されていないのは天界には食品表示法なんてものが無いからである。神様が推奨しているのだ、決して危険な毒物なんてものが使われいるはずが無い。
今日も俺は、自身のデスクに張り付き、与えられた業務をこなす。
勤務開始から11時間後、俺は第114514線地球日本支部復興支援室を出る。
「お疲れーよっつん」
「おー、お疲れ紫藤さん」
明るい茶髪のポニーテール。束ねられた髪を揺らしながら、労いの言葉をかけてくる女性。引き締まったボディライン出るところそこそこで出ており、ハキハキとした物言いはどこか運動部の気質を感じさせられる。
紫藤 光さん。俺と同じく第114514線地球日本支部復興支援課にぶっ込まれたサバイバーだ。当初は明るく輝いていた瞳はハイライトが無くなり、濁るわけでもなく、ただただ光を失っている。
「今からのみ行くつもりなんだけど行く?」
「あー、うん、行くわ」
「んじゃ、天国三番通りの繁華街に行こう」
「了解」
俺たちは古びたビルを出て、超特急のバスに乗り込む。
超特急に乗れば天国までは止まらず、天国からは各バス停に止まるからやりやすい。
ものの、五分程度で、目的地である天国三番通りにある居酒屋『銀刺し』にたどり着き、店の端に置かれたテーブルにつく。ともすれば、一瞬で店員である天使三型と呼ばれるロボットがメニューを取りに来た。最初は驚いたものだ。今となっては生2つ、というだけで驚きもしなくなった。
「「今日もお疲れさまでした」」
のみ初めにお疲れ様でした、より乾杯とかの方がいいのかもしれないが、俺たちはもうこの一言が癖になってしまった。
ネクタイをとり、首を回す。当初は着慣れなておらず、やきもきしていたが、今ではもう慣れた。
「しっかし、今日も怒られてたね」
「もう慣れたけど、きついもんはきついわ。まあ、あの可愛い容姿ってのが唯一の救いだ」
「可愛いいけど、毎回難癖つけられてたらそりゃそうなるわな、今回も別に資料添付する必要なかったんでしょ?」
「いんや、佐藤さん曰くは必須らしい」
「それなら必須だね」
ははと笑いながらビールをあおる。
「はぁ。なんでこんなことになったんだが。死後はもっと楽だと思ってたのになぁ」
「それもこれも人事課の奴らが悪魔より悪魔、なんなら魔王だからだろ」
周りの席は宴会でもしてるのか、楽しそうに酒を飲み、食べて、騒いでいるのを忌々しげに見る。
あの悪魔、名をラ・フィールという。
奴は確かに間違えは言っていないのかもしれない。
最初は各部署を回って楽な仕事をして、娯楽を楽しんでいた。配属先が決定し、正式に業務につくまでは。
たとえ、天国でも地獄でも、どちらで暮らす人々の暮らしは変わらず、どちらにも完璧な娯楽施設が無料で使えて、働く必要性もなく、次の人生が始まるまでは悠々自適に暮らせるとしても。
たとえ、神に仕える者は労働時間は一日八時間だという幻想は残業という言葉で消え、週休二日は完全週休二日ではないと訳の分からない言い分で消され、馬車馬の如く働かされているとしても。辞めることは即ち魂の消滅となって、雇用期間の盟約は無く、実質神様に無限に従属しなければならない奴隷と化していても。
奴は確かに嘘は言っていない。正しく情報を伝えなかっただけだ。
本当は分かっている。一番悪いのは。
「一番悪いのは、聞いたことを鵜呑みしてそのまま契約した自分なんだけどね……」
「ま、まぁ。利点は確かにある。いつ終わるかしらんが、業務を全うすれば、好きな人生に自我を残したまま来世を歩めるし、俺たちは天国にも地獄にもいける、どちらの娯楽施設も楽しみ放題だ」
「その業務を全うするのはいつになるかわからないけどね。知ってる? 私の隣の席の川井さん、もう百年超えてて、それ以降は数えてないんだって。それに、娯楽施設なんて週休二日(笑)の私達にはほぼ縁はないよ。こうやって帰りに飲みに行くくらじゃん」
百年超えてから数えてないってもうやばいだろ……。
もう俺はこの牢獄から抜け出すことはできないのだろうか。
勤務してまだ三か月、既に闇しかない。
「ま、お先真っ暗だけど、こうやって愚痴言いあいながら、居酒屋にいくってもの楽しいから、唯一の救いだよ」
「俺もだわ、紫籐さんと知り合えてよかった」
「お、嬉しいこと言ってくれるね! ていうか、光でいいよ。同期はよっつんだけだし、もうソウルフレンドじゃん!」
「魂同士だけにな」
「あはは!」
そんな他愛もない話をしつつ、俺達は遅くまで飲んで、明日のデスマーチを忘れようとしていた。そのデスマーチは明日、道なりを変えようとしていたことなど、この時の俺は知らない。




