57.ジャック先生に遭遇しました
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胸に抱いた紙袋がかさりと音を立てる。
あたりはとっぷりと暮れ、魔法の明かりがあちこちを照らしている。
魔法の明かりをお供に一歩前を行くジェイドは、楽しそうに笑いながら振り返り、リリーも朗らかに笑う。
頭上のクロもご機嫌らしく、ゴロゴロと喉を鳴らしっぱなしだ。
こんなに楽しく時間を過ごせたのはいつぶりだろう。
こっちの世界に来てから緊張の途切れることがなかった。アンヌの家でクロと一緒にお風呂入ってる時ぐらいかな、本当に気が抜けたのって。
それも、学院に入ってからはリラックスタイムじゃなくなってしまった。
だって、いつ誰が来るかわからないんだもの。
一応鍵はかけてるけど、その気になれば解除なんか簡単だし、アンヌの家とは違って男の人もいるのだ。少しでも物音がしたらさっと上がるようにしてるから、あんまりゆっくりもできない。
クロもなんだか不機嫌なんだよね。そんなにお風呂、好きだったとは知らなかった。前は濡れるの嫌がってたような気もしたんだけど。
「それにしても、あんなに食いつくとは思わなかったなあ」
「そうよね、お店の人もびっくりしてたわ」
ぎゅっと紙袋を抱きしめる。だって、アンティーク調の文房具があんなに勢ぞろいしてるなんて思わなかったんだもの。
学院で使うものはウルクが準備してくれたもので、使い勝手最優先でシンプルなデザイン。どうやら魔術騎士団の支給品らしい。
わたしが使っていいのかな、と最初は思ったけど、ガルフが何も言わないからそのまま使ってる。
もちろんそういうものばかりじゃないことは、リドリスのお店で見て知っている。花柄や、ビーズのようなものをあしらったものが店の女の子たちには人気だったっけ。
わたしはむしろモノトーンとかシックな方が好きだし、そもそも買う余裕もなかったから買ったことはないけど。
でも、さっきまでいた文具屋さんにはいろいろなデザインのものがあって、思わずかじりついてしまった。
だって、表紙が紙じゃなくて板や革のノートとか、木彫のペンとか、渋い紅色や柿渋色っていうのかな、味のある色のカバンとか、とっても素敵だったんだもの。
もちろんお値段はそれなりに張る。わたしのお財布の中身では買えないのはわかってたんだけど、すっごく気に入っちゃって、立ち去り難くて……。
そうしたら店主のおじいさんがやってきて、つい話に引き込まれてしまった。ジェイドたちは慣れたもので、さらっとかわしてたけど……。
思い出して遠い目をしたら、ジェイドにくすくすわらわれてしまった。
「また遠い目してるわよ」
「まあいいじゃない。あそこの偏屈親父と仲良くなれるなんてすごいよね。話も盛り上がってたし、またおいでって言われてたしね」
「もう、忘れてっ」
何が気に入られたのかわからないけど、おじいさんは終始ニコニコ顔で、ジェイドもリリーも唖然としてた、曰く、笑わない男だったらしい。
「いやあ、いいもの見た。知ってる? リリー、あの爺さんの笑顔を見たひとはいいことがあるんだって」
「聞いたことあるわ。眉唾だと思ってたけど、あながち嘘じゃないのかも」
リリーはそういうと私の抱えている紙袋に目をやった。
そう、いいなと思って矯めつ眇めつして見ていたノートとペン、半額の上に出世払いでいいとわたしにくれたのだ。
そんなわけにいかない、とお金を払おうとしたんだけど、おじいさんはニコニコしながら絶対に受け取ってくれなかった。
帰ったらウルクに話をして、お金貰わなきゃ二度と行けなくなっちゃう。
「もう、その話は終わりっ」
あわてて話を打ち切ると、なぜかリリーは嬉しそうに笑った。
「ふふ、シオンが焦ってるところ、初めて見た気がしますわ」
「え、そう?」
「そうだよ、シオンっていつも大人しいし、引っ込み思案っていうかさ、あんまり自己主張しないだろ? 何が好きなのかとかも話したことなかったし」
「それは……」
「だから、あんなに食いついたの見てさ、なんかホッとした」
「……え?」
驚いて顔を上げると、ジェイドはにかっと笑った。
「好きな物を見る時のシオンの目がすっごく生き生きしててさ。あー、好きなんだなあってすぐ分かった」
それがなんでホッとした、につながるんだろう。
首をかしげると、リリーはくすくす笑いだした。
「それにおじいさんとやりとりしてた時も、とっても楽しそうで、ちょっぴり妬けましたわ」
「ええっ?」
「あーそうだよね、あたしたちと喋ってるときには見せてくれたことない顔だった」
そう言われて、眉を寄せる。そんなに態度に出てたとは思ってなかった。
「そうよね、シオン、わたしたちの前ではあんまり感情を表に出さないものね」
「……そう、だっけ」
「そうって……自覚ないの?」
苦笑を浮かべるジェイドに、わたしも苦笑を返す。
自覚がないわけじゃない。でもーー距離の取り方がやっぱりまだわからない。
口調はいつも指摘されるから、だんだん慣れてきたけど、どこまで近寄っていいのか、踏み込んでいいのかわからない。
自分のことも、どこまで出していいのか、出しすぎて嫌われないか……。
あの時と同じことはしたくない。
「シオンは遠慮しすぎなのね」
「あー、そうそう。そんな感じ。なんかさ、一歩引いてるっていうか」
先を歩くジェイドはそう言うと足を止めた。
「爺さんと喋ってるときみたいにさ、遠慮しないでほしい。……って無理強いできるようなもんじゃないけどさ。なんかこう、友達なのに水臭いじゃんって思うんだよね」
そう告げた彼女は照れたように笑っている。その隣にはリリーの笑顔があって、二人並んだ姿が眩しい。
友達。そう言ってくれた。
「ちょっと、ジェイド? 何泣かせてるのよ」
「ええっ! なんでシオンが泣くんだよっ! あたしなんか変なこと言った?」
「ご、ごめん、ジェイドは悪くないから」
ぽろりとこぼれた涙をあわてて拭う。
ジェイドは悪くない。わたしが動揺しただけ。
「わたし、友達がいなかったから、そういうのもよくわからなくて、ごめん、なさい」
そう頭を下げると、きょとんとした顔のジェイドは、にやっと笑った。
「それなら、あたしたちがシオンの友達第一号なんだ、やったね」
「あら、私も忘れないでよね」
「いいじゃん、二人で第一号なんだから」
「……ほんと、ジェイドは能天気でいいわね」
「いいじゃん、友達に一番も二番もないだろ?」
ジェイドの言葉にリリーがクスクス笑い出す。わたしも思わず笑った。
「だから遠慮はなし、敬語や丁寧語もなし。言いたくないことは言わなくていいけど、嘘はなし」
「えっ」
リリーの言葉にはっと顔を上げる。
「私がジェイドと友達になった時の取り決めよ。……誰だって聞かれたくないことや言いたくないことの一つもあるでしょ? だから、嘘をつかせるくらいなら、何も聞かないって決めたの」
そう語るリリーは少しだけ辛そうに眉をひそめた。
魔獣を使役する一族だというリリーにとって、その秘密は簡単に話せることじゃなかったはずだ。
でも、今の話だけ聞くと、リリーが嘘をつかせたくないのはジェイドって聞こえる。
ジェイドの方を見ると、八の字に眉を下げてそっぽを向いている。
「そういうこと。……あたしも嘘はつきたくないし、つかせたくない。でも、シオンとは友達になりたい。っていうかもう友達のつもりなんだけど?」
「そうよ、わたしたちはもうすっかりそのつもりよ。これで友達じゃないなんて言ったら怒るから」
そう言いながら、リリーはウインクをした。
ありがとう、と言いたかったけれど、鼻の奥がツーンと痛くなった。言葉の代わりに涙がこぼれる。
「ありがっ……」
なんとか押し出した言葉に、二人はゆっくり歩み寄ってきた。頭にぽんと手が乗せられた、と思うと両サイドからぎゅっと抱きしめられた。
「あーもう、シオンってばかわいいなあ。いっそのことうちの妹にならない?」
「抜け駆けはダメよ、ジェイド。わたしだって妹が欲しいんですから」
ええっ? どうしてそうなるのっ。それに、どう考えたってわたしの方が年上で、妹じゃないのだけれど。そう告げようと顔を上げると、頭に張り付いてたクロがすっくと立ったのが分かった。
「お、クロも参戦する?」
にやっと笑ったジェイドの言葉に、クロがにゃ、と鳴く。
ええっ、どういうこと?
「ふふ、よっぽどシオンが好きなんですのね」
「ち、ちょっとっ」
クロを頭から降ろそうと手をやった時だった。リリーが短く呪文を詠唱し、さらりと手を払った。
その方角は魔法の明かりからは死角となっていて、真っ暗だった。が、
「うあちっ」
声がした途端に二人がわたしから離れて身構えた。
「シオンは下がってな」
「え……」
「ひでぇな、問答無用かよ」
その声は聞き間違えようがない。ジャックだ。
リリーの放った魔法の明かりがジャックの姿を照らし出した。学院内ではカモフラージュ的に着てるローブを脱いでいて、珍しく私服だ。騎士団にいた時より少しラフな感じで、ローブよりよっぽど似合っている。
「何の用かは知りませんけれど、ずっと私たちをつけてましたわよね?」
「そりゃ……」
「ジャック……先生」
二人の後ろから顔を覗かせて声をかける。さすがに呼び捨てはまずいよね、と先生と呼んだけど、あからさまに嫌そうな顔をしたのが見えた。
「え……先生?」
「シオンの知り合い?」
二人が同時に振り向く。その隙をついてジャックは距離を詰めるとわたしの首根っこをつかんでひょいと持ち上げた。
確かにここの人たちと比べたら子供サイズだけど、軽々と持ち上げるなんて、やっぱり騎士団員なんだ。
「シオン!」
「ちょっと、シオンを離しなさいっ」
そう詰め寄るものの、わたしがまるっきり人質状態で、二人は動けない。
「どうして」
「あんまりに遅いから迎えに来た。ウルクが心配してたぞ」
「えっ?」
「ちなみにずっと上から見てたんだけど、よく気がついたな、お嬢ちゃん」
「え?」
後半はリリーに向けられたものだった。上からってことは、ヴィルクに乗って空から護衛してたってこと? 店の中にいた時はどうしてたんだろう。
「ええ、あの子は中庭で見かけましたからすぐ気がつきました。聞き分けのいい子ですわね、先生?」
「えっ、リリーいつから気がついてたの? あたしはマダムローザの店出たところからしか気がつかなかったよ」
「イリーナの店に向かってた時かしら」
ええ……どうしてわかるんだろう。中級になったらそういう魔法も習うんだろうか。
「参ったな、ほとんど最初から気付かれてたってことか。護衛失格だなあ」
ジャックはわたしを降ろすと苦笑を浮かべた。それから二人に向き直る。
「改めて、俺はジャック。魔獣の特別講師として呼ばれた。まあ、シオンの兄貴代わりみたいなもんだ。よろしく」
ジェイドたちは顔を見合わせていたが、わたしの顔を見ておのおの名乗った。
「でも、女性の後をこっそりつけまわすのはどうかと思いますけど、ジャック先生」
「そうだよ、シオンのことが心配だっていうなら、一緒について来ればよかったじゃん。あたしたちは気にしないし」
「それは、わたしが頼んだの。友達と歩いてみたくて……」
ジェイドたちは目を丸くしてる。変なこと言ったつもりはないんだけど、やっぱり普通じゃないのかも。
「シオンってば……」
「やっぱりほっとけないわね」
なぜか二人が顔を見合わせて頷き合っている。ジャックはわたしの頭を撫でながら、いい友達だな、とつぶやいた。うん、本当に。
「君らのことはシオンから聞いていた。その年で中級クラスなんだって? 俺が付いてなくてもいいかとは思ったんだけど一応心配でな」
「あら、シオンのお兄様はずいぶん過保護ね?」
リリー、本当の兄じゃないから!
「まあでも心配するの、わかるなあ。シオンが妹だったら絶対そばから離れない」
「ジェイドには渡さないわよ?」
なんでまた妹の話になってるの? 口を挟みたいのにぽんぽんと話が逸れていって、タイミングが取れない。
「えー、とりあえず、帰りながら話そうか。シオンも疲れただろう?」
微妙に居場所のないジャックの言葉にうなずくと、ジェイドたちも同意してくれた。
二人はわたしを両側から挟んで並び、ジャックは一歩前を歩く。クロは気がつけばいつものポジションにおさまっている。
ただそれだけなのに、とても幸せな気分になった。




