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異世界猫と転生姫  作者: と〜や
王都行軍編

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34.ウルクとお茶をしました

 目を覚ますと、ぬくぬくの毛布にくるまれていて、そのまま二度寝したくなる。

 でも、今日一日、ろくな食事を摂れなかったせいでわたしの胃はひっつきそうなほどぺこぺこで、仕方なく毛布からのろのろと起き上がった。

 見覚えのない部屋で目覚めるのは何度目だろう。

 あのホテルの人が手配してくれたのなら、きっとここはリドリス辺境伯の王都の館だろう。

 時間は分からないが、分厚いカーテンが引かれ、ランプが置かれているところから見て夜にはなっているのだろう。

 のどが渇いてベッドを降りると、素足にも柔らかな足の長いじゅうたんが気持ちいい。靴はと見ればベッドの足の方に置かれている。

 ベッドサイドのテーブルまでだから、と素足でぺたぺた歩いて行くと、クロの声がした。

 振り向くと、クロがベッドの足のあたりからこっちに走ってくるのが見える。


「クロ」


 ニャア、と返事をして、クロはしゃがんだわたしの腕に飛び込んできた。すりすりと甘えたように顔をこすりつけ、ぺろぺろ舐められる。


「心配かけちゃってごめんね、クロ」


 ひとしきり撫でると、落ち着いたのかクロはわたしの肩に乗っかって、両手を私の頭に乗せて動かなくなった。出会った頃からお気に入りの定位置。まだまだ小さいクロだから重たくはないのだけれど。

 そういえば、そろそろ体も大きくなって肩乗りもできなくなる頃だろうと思っていたのだけれど、クロは猫じゃなくて魔獣だ。猫とは成長速度が違うのかもしれない。生後六ヶ月ぐらいの姿は出会ってから何ヶ月か経っているのに変わらない。


「クロは変わらないね」


 水を飲んでからそう言うとニャア、と返事が帰ってきた。

 成長期の終わったわたしも変わらない。二メートルが標準身長のこの世界で、何年経っても十歳のサイズのままだ。

 空きっ腹に水を入れて腹の虫を収めようとしたものの、やはり虫は主張してくる。くーくー鳴るお腹を抱えて部屋の中をぐるりと探索することにした。

 部屋自体はそう大きくはない。ベッドの丈が丁度いいところを見ると、もしかしたら子供部屋なのかもしれない。本棚や引き出しのついた机などもない。

 扉は一つだけ。意を決してノブに手を掛けると、軽く音を立てて手前に開いた。


「お、ようやく起きたか」


 そこは居間のようで、広い空間の中央にソファとテーブルがある。ソファの一つに座っていたのはウルクだった。


「ウルクさん」


 ウルクはさっと立ち上がるとわたしのところまでやってきておでこに手を当てた。


「うん、熱はないようね。覚えてないだろうけど、あたしとジャックが迎えに行ったのよ。で、毛布ごとピートに乗せて帰ってきたの」

「あ、ありがとうございます」


 恐縮して頭を下げると、下げた頭にぽんぽんと手が置かれた。


「いいのよ。見つかってよかったわ、ほんと。シオンが見つかったって第一隊に連絡があった時にはもうみんな休暇に入っちゃっててね。隊長たちと、あたしとジャック以外動けるのがいなかったのよ。でもよかったわ、ほんと」

「ごめんなさい、お騒がせして」

「何言ってんのよ、シオンは巻き込まれた側で、被害者なんだからね? 胸はってなさい。そうそう、お腹空いてない? 晩ごはん食べてないでしょう?」


 途端にくうくうと胃が主張する。恥ずかしくて俯くと、ウルクはくすくす笑いながらわたしを抱き上げた。


「きゃあっ、何?」

「何、じゃないわよ。靴履いてないじゃない。こっちの部屋は石張りだから冷たいわよ。ソファまで連れてったげる」

「あ、ありがとう」


 クロはさっと飛び降りててこてこと後ろをついてくる。


「ここって、領主様の館?」

「ご明察。まあ、学院にいる間は領主様がシオンの後見人って話だから、気にしなくていいと思うけどね。明日には学院に向けて出発するんだし」


 ソファにわたしを下ろすと、ウルクは手慣れた様子でお茶を淹れてくれた。温かいお茶が体の中からぽかぽかにしてくれる。

 もともとの入学予定日がずれ込んでいるのだ。あまり余裕はないのだろう。今後もいろいろお世話になることが不本意ながら確定しているらしいし、出発前には挨拶できるだろうか。


「ウルクさんたちはいつ学院に行くの?」


 そう言うと、ウルクは目を丸くした。


「シオン、知ってたの?」

「うん……リドリス領を出た時に、領主様から聞いたの。ごめんなさい、わたしのせいで」


 ウルクはちょっとだけ微笑んで、首を振った。


「シオンのせいじゃないわよ。まあ、聞いた時にはびっくりしたわよ? 学院を出たのはもうずいぶん前のことだもの。それが今になって教師として戻るなんてね。シオンとマンツーマンだって聞いてるから、そこだけはちょっと安心。二十人も三十人も相手するのなんて絶対無理だもの。ああ、それにしても残念」

「え?」


 わたしが首を傾げると、ウルクはいたずらっ子の笑みを浮かべた。


「このまま黙っておいて、初日にびっくりさせようってジャックと話してたのに」

「ご、ごめんなさいっ」

「バカね、こういう時は謝らないの」


 くすくす笑いながら入口付近においてあったワゴンからお皿を取り上げてわたしの前に置いてくれる。クッキーらしい。一つ口に入れてみると、口溶けのいいクッキーで、ちょっと甘ったるかった。


「いつ起きてくるかわからないから時間が経っても大丈夫なものをって頼んだんだけど……お腹の足しにはならなそうね」


 確かに、いっぱい食べるには甘すぎて、わたしは苦笑を返すしかなかった。


「何か作ってくるわ。待っててもらえる?」

「え、いいえ、大丈夫です。それに夜中に食べると太るし……」

「シオンはもう少し食べないと、大きくなれないわよ?」

「これ以上伸びないんです」


 そういう家系なので、と付け加えると、ウルクは理解はしてくれたらしくて、厨房に行くのはやめてくれた。甘いクッキーを何枚か平らげると、お腹の虫はおさまった。


「ところで、なんであの宿にいたの?」

「迎えに来た第一隊の人たちが準備してくれたんです。馬車の中では翌日学院に送り届けてくれるって話だったのに、宿に着いたら翌日は学院から迎えが来るって言われて……でも来なくて。翌日になっても来なくて、連絡をお願いしたんです」

「迎えに来た時のことは隊長たちから聞いたから知ってるんだけど、なんで学院からの迎えが来るって話になったのかしらね。それで放置っていうのも解せないし」


 わたしは首を横に振った。


「わかりません。ただ、学院の使いが来たそうです。学院長が直々に迎えに来るって話で、断りきれなかったそうですけど」

「それも変な話よね。なんでわざわざ学院長が来るの?」


 ウルクが首をひねっている。そりゃそうだろう。ただの入学候補生を学院長が迎えに来るなんてことはありえない。事情を知らなければそう思うのは当然で、だからこそ、学院からの使いの話を疑うべきだったのに。


「そうですよね。第一隊の隊長さんは、王命だと言ってました。それをひっくり返せるものなんでしょうか?」

「普通はないわね。ただ、学院長は王族の誰かだったはずだから、無碍にはできないのも分かるわ」

「そうなんですか?」

「まあ、王族とかっていろいろ複雑だからね。わたしら末端の騎士には聞こえてこない情報もあるし。たぶん隊長クラスになると知ってることは増えると思うけど」


 ウルクの話に、入学許可証の入っていた封筒に押された封蝋を思い出した。

 あれは学院長の封蝋なのだろうか。あの紋章を使える立場の人間が学院長なのだとしたら、なるほどいろいろ複雑なのかもしれない。

 そういえば、わたしの荷物はどうなったんだろう。


「ウルクさん、わたしの荷物、知りませんか?」

「え? ああ、そういえば学院に持っていったって話は聞いた?」

「知りません。そうなんですか?」

「ええ、それで、学院にまだシオンが到着してないのが分かって、大騒ぎになったのよね。受け取り人がいなかったから、まだこの屋敷の中にあるはずだけど。どうかしたの?」

「ええ、その、入学許可証が荷物の中にあって……」

「そんな大切なもの、大事に持ってなきゃダメじゃない」


 びっくりしたのだろう、ウルクは声を張り上げた。


「ご、ごめんなさい。でも、あのときは迎えが来てて……」


 そうだ、迎えの馬車が小さすぎて荷物が運べないから、後日持っていくという話になったんだっけ。


「それでもよ。大事なものは手放しちゃダメ。学院に入ってからもそうよ。まあ、最初のうちは初級クラスで、あたしたちとマンツーマンだからそれほど心配することはないと思うけど、寮は相部屋だって聞いてるわ」

「相部屋?」

「ええ。しかもあなたはまだろくに魔法を覚えてないでしょう? 自分の物かどうかは大抵、魔法で印をつけておくんだけれど、それができるようになるまでは、自分のものはとにかく身近から離さないこと。所有者不詳のままだと誰かに上書きされて持っていかれるわよ」

「そんな……」


 ウルクの話にわたしは目を見開いた。それでは、落ちているものは何でも自分の物にできてしまうことになる。それって泥棒だよね? 学院に入る人たちは魔法に優れる人だと思っているけれど、それは高潔であることとはイコールじゃないの?

 わたしは余程困った顔をしていたのだろう。

 ウルクは苦笑を浮かべてわたしの頭に手を乗せてぽんぽんとやさしく叩いた。


「シオンはいい子ね。きっといい環境で育ってきたんだろうなと思う」

「そんなこと……」

「ううん、見てると分かるよ。だって、落ちているものを自分の所有物にすることに対して嫌悪感を持ったでしょ?」

「……はい」

「それは、飢えたことのない証拠よ」


 ウルクの静かな口調に、わたしは顔を上げた。ウルクの方が困ったような顔をしてる。


「学院に入れば、貴族も平民も皆同じ生活ができる。食に飢えることもない、雨風に震えることもない。でも、習慣というものはなかなか抜けないから」


 そうだ。わたしの身につけている二つの石も、所有者の魔力が薄れれば上書きされると言われたのだ。それほど、所有の印はこの世界では有効で有力なのだろう。


「もちろん、人のものを盗むことを容認しているわけではない。泥棒は悪いことだよ。でも、出来る限りの自衛策は取っておくに越したことはないってこと。ほら、あたしも男所帯に入り込んでる数少ない女でしょう? そうするとね。いろいろやられるのよ。下着が消えるとかいつも使ってるペンがなくなるとかね。難癖もつけられたし。でも逃げるのはいやだったから自衛してる。被害が出て騒ぐよりは被害が出ないほうが面倒も少ないしね」

「うん……分かった」


 いまさらながらに、わたしは恵まれていたのだと思った。アンヌの店でも、そんなことは一度も起こったことがなかったし、考えたこともなかったけど、それはあの店と店に来る客と、周辺の人々が満ち足りていたからだったのだ。

 これから向かう世界は、今までのわたしの常識のものさしでは測れない世界なのだ。覚悟は決めなければならない。

 メディアの本を今すぐ読みたい気分になった。

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