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異世界猫と転生姫  作者: と〜や
王都行軍編

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閑話:魔王閣下の日常 5

 馬車での長距離移動とか、勘弁して欲しい。縮地の魔法陣ぐらいとっとと改良しろよ。

 今使われてる移動用の魔法陣は古い方式のままだ。ちゃんと研究すれば省力且つ短縮方式のものが作れるはずだ。というか、作ってるし使ってるし。教えてやる義理はないけど。

 あの面倒臭がりなクラウスでさえ、それだけは自力でなんとかしたってのに、研究所の奴らは何をしている。

 一度に移動できる人数の制限も魔力を食うって理由だったわけだし、それさえできれば馬や馬車も含めてこの程度の規模なら一瞬で移動できるだろうに。

 王都まで一週間とか、付き合ってられん。

 馬車での移動の間、俺は体を休眠状態にして彼女の横で眠らせると、隠れ家に飛んだ。


 ◇◇◇◇


 隠れ家に行くと、クラウスはいなかった。しばらくまともに帰ってきていないようで、畑の水やりだけはされていたが、キッチンにはうっすら埃が積もっている。

 そういえば、そろそろ魔術学院での勤務が始まるとか言っていた。

 どんな様子か覗きに行ってみたくなるが、外部からあの分厚い結界をぶち破ると一発でバレるからな。

 王立魔術学院という名前に負けない程度には強固な結界が幾重にもかけられている。

 その理由は単純だ。

 優秀な魔術師は常に狙われているからだ。魔王おれや魔族からだけでなく、力を欲するありとあらゆる権力者から。

 以前は、王立とはいえ魔術学院は王都の研究施設が集まるエリアに建っていた。それが王宮内に移設されたのは、そういう事件ことがあってからのことだ。

 だから、王宮の強固な結界の庇護下に置かれている。

 その程度はごまかしてすり抜けられるけれど、力を振るおうとすれば一発で引っかかる。

 彼女の使い魔として入り込むまでは、当面おとなしくしているつもりだ。

 クラウスの飯を少しだけ期待していたが、いないのなら仕方ない、適当に食材を探すと分厚いハムステーキが見つかった。フライパンに放り込む。

 前代の魔王は高位魔族や魔獣を従え、身の回りのことを全て任せていたらしい。彼らを住まわせるための館を構え、穏やかに暮らしていたという。

 その当時は魔王の館に遊びに来る高位魔族も多かった。

 ユーティルムの魔鉱石鉱山が見つかったこともあって、魔族は人から襲われることも減り、穏やかな時代のおかげで人間世界に似た社交界っぽいものまでできてたらしい。

 あくまでも、『らしい』である。

 前魔王が討伐されて、居城が蹂躙され、それらは一切消え去った。

 その後、次代として魔王として生まれ落ちた俺に残ったのは、この身一つだ。

 なぜ前魔王が討伐されたのかは正直なところ、わかっていない。その場にいた者はもう誰一人生きていないからだ。

 勇者が討伐したとも冒険者が討伐したとも伝わっているが、人間の間に残る伝承や吟遊詩でしか知ることはできない。それらは――人間に都合の良い改ざんがされて今に伝えられている。真実は闇の中だ。

 だから。

 魔王おれは彼女を召喚した国を滅ぼした。彼女を利用させないように。

 それでもやはり、彼女を利用しようと人間たちは寄ってくる。

 彼女を奪うのは簡単だ。だが、それでは彼女の心は手に入らない。彼女をまるごと手に入れるためなら、どれだけでも待てる。


 ――今までだって待ってきたのだ。


 ステーキを皿に放り上げると、ワインを取りに地下に向かった。

 通りがかったクラウスの部屋をちらりと覗くと、ずいぶん散らかっている。吟遊詩人のくせに几帳面な性格のあいつにしては珍しい。

 床に落ちていた本を拾い上げる。分厚い紙質のそれは子供向けの絵本に見えた。部屋を見回せば、クマのぬいぐるみだの、女の子が好きそうなリボンだの、おしゃぶりだのがあちこちに置いてある。


 ――あいつ、一体何やってるんだ。


 魔術学院の非常勤講師として入ったことは聞いていた。でもこれは……初級クラス向けの教材のつもりか。絵本はどれも魔法使いの物語だ。

 しかもこれだけ教材やら子供の気を引くアイテムやらを集めているところを見ると……真面目に取り組んでいるらしい。これもあいつの悪い癖の一つだったな、と思い出す。

 本来の目的を忘れなければ構わないのだが。……やりすぎるのだ。今回もその片鱗が見える。

 ため息をついて、俺は部屋の扉を閉めた。


 ◇◇◇◇


 馬車の中の猫の体に戻ると、丁度今日の宿についたところだったようだ。彼女が身じろぎしたのに合わせて座席を降りる。どうやらあのままずっと彼女と一緒に眠っていただけのようだ。

 明日以降もこの方法で行こう。

 ジャックとウルクを見つけて駆け寄ると、ピートとヴィルクも反応した。彼女に撫でられるのが余程気持ちいいのだろう。二匹が彼女の手を奪い合うように頭をこすりつけているのが癪に障った。


『いい加減にしておけ。俺の女だぞ』


 そう二匹に告げながら彼女の腕を歩き、奴らの鼻面をざり、と舐めてやる。彼女の目の前でなかったら爪でひと掻きしてやったのに。

 二匹が急に姿勢を正す。それでいい。彼女の手から放たれる魔力は魔族おれたちには実に気持ちがいい。それはよく分かる。

 そう簡単にお前たちにやるものか。彼女はつま先から頭のてっぺんまで俺のものだ。本当は触らせたくないくらいなのに。


『わーったよ。ったく、肝っ玉のちっけぇ魔王だな、おい』

『がっつくなよ魔王サマ。狭量な男は彼女に嫌われるぜ?』


 彼女たちには聞こえない声で奴らがせせら笑う。好きなだけ吼えていろ。彼女の側にいるのは俺だ。

 ウィレムの迎えで彼女は奴らから離れた。明日も先触れを担う二人と二匹は他の騎士団員よりもはやく出立する。彼女に会えるのは明日の夜だ。

 それまでは、俺の時間だ。


 ◇◇◇◇


 久しぶりに風呂の匂いがする。


「クロ、久しぶりに一緒に入ろうね。綺麗にあらったげる」


 お湯を張りながら、彼女が言う。嫌なはずがない。しっぽをピンと立てて彼女に体をこすりつける。

 馬車での長旅は嫌だが、風呂は大歓迎だ。いつまでもこの宿にいてもいいくらいだ。

 浴室のドアの前でウロウロしているうちに、彼女はするりとローブを脱ぎ、下着姿になった。下着姿も寝巻き姿も領主の館でも何度も見たが、生まれたままの彼女の姿は本当に久しぶりだ。

 最後の一枚を脱ぎ、服を浴室の隅に置いてあるたらいに入れて彼女はおれを抱き上げた。

 ああ、美味しそうな匂いがする。首を伸ばしてぺろりと肌を舐めるとくすぐったがって体をよじった。


「だめだったら、クロ。このお風呂、手酌がないんだから。落っことしたら溺れちゃうでしょう?」


 言うとおり、猫足の豪華なバスタブは、蓋もなければ手桶もない。

 彼女はおれが溺れることを心配しているが、おれだって泳げるのだ。……まあ、水に濡れるのは苦手だが。

 心配無用、とばかりにたらいから身を乗り出すと、さっとすくい上げられた。


「さ、洗っちゃおっか」


 彼女は手際よく石鹸を泡立てておれを洗うとざっと湯をかけた。それから自分の体を洗い出す。この浴室にはシャワーもある。アンヌのところと同じシステムで、湯船の湯を吸い出すものだ。

 湯を増やすとおれが溺れると思っているのだろう。ちょろちょろとしか出ない湯をかぶりながら、髪と体を洗うと、おれを抱き上げてから湯を追加し、もう一度湯船に体を横たえた。

 ああ、幸せだ。

 学院の寮は共同風呂だと聞いた。こんな感じに一緒に風呂を楽しむのはこの旅の間しかないのかもしれない。

 いろいろと妄想をたくましくしたところで、彼女がおれの顔を覗き込んできた。

 ニャア、と返事をして彼女の肩にのびあがり、頬を舐める。唇も舐めたかったけど、避けられた。

 どうもあれ以来、唇を嫌がる。俺、何かしたっけ。

 それとも。


 ――もしかして、他の男が彼女の唇に触れたのか?


 目の前が真っ赤になるほどの怒りが湧いてきた。

 彼女から他の男の匂いはない。一体、誰が彼女にマーキングしたのだ。

 許さない。許さないぞっ!

 怒りに任せて毛を逆立てると、彼女の手が伸びてきた。おれの背からしっぽにかけて丹念にほぐすように撫でてくる。

 俺の気のせいであって欲しい。そう言ってくれ。お前に誰かが触れたなど、あってはならないのだ。


 ◇◇◇◇


 風呂から上がると彼女はあっという間に眠りに落ちた。よほど疲れていたのであろう。俺は昼間さんざん眠っていたこともあって、眠気は来ない。

 抱き込まれたおれはそっとその腕の中から這い出すと、周辺を探った。

 この宿全体に結界魔法がかけられているが、リドリスの館に比べれば弱いものだ。魔力量を変えずに猫の体を引き延ばす。

 細心の注意を払いながら人型に変わると、彼女の唇にそっと手を伸ばした。前よりももっと密度の薄い体だ。子供のサイズにしておけばよかったと気づいたが、どちらにせよ長くは持たない。


「シオン……俺の勇者」


 横を向いて寝ている彼女をそっと仰向けにさせ、唇を塞ぐ。この唇は俺のものだ。他の誰にも触らせるものか。

 ああ、魔法をかけてしまいたい。その姿を他の男の目に晒さぬように。

 だが、今は無理だ。

 せめても、と彼女の唇にキスを落とし、薄く開いた唇から舌を差し入れる。

 俺の体液を身に入れておけば、何があってもすぐ検知できる。俺が――猫の体を離れていても。

 人の姿で彼女に触れたのは本当に久しぶりだ。気を抜けば欲望に負けそうになる。

 いっそのこと、魔獣のふりをしているピートとヴィルクをそそのかしてしまおうか。

 あの二人はパートナーを欲している。俺と同じように。魔獣は成長すれば人型になれる、と偽ってしまえば、人のサイズで隣にいられるのだ。

 そうして――おれも人になる。

 ああ、だとしても。森で出会った俺の姿になるわけには行かない。そんなことをすれば間違いなく疑われる。だが、あの場所で出会った俺が魔族だと彼女は知っているのだ。

 それならばいっそのこと――。

 ぴくりと彼女が身じろぎして、俺は一気に現実に引き戻された。彼女の目を手で塞ぎ、もう一度軽いキスを落とす。


「愛しているよ……シオン」


 耳元でそう告げると彼女はまるで微笑むように口元をほころばせた。

 ああ、早く堕ちてこい。堕ちてこい。

 そうでなければ……俺が堕ちそうだ。


 ◇◇◇◇


 今日も馬車での移動中は隠れ家に退避だ。

 ざっと見回して、クラウスが来ていたことは確認できた。食材が減ってるし、畑は水が撒かれたばかりで土が濡れている。

 クラウスが寝起きしている王都の館には、この隠れ家への移動用魔方陣が置いてある。

 王都の館自体は俺の趣味で準備させたが、あとは完全にクラウスに任せた。好きなようにしてよい、と。一部屋だけ、俺のために空けておけとは言ったが、館に踏み入ったことは一度もない。

 一度ぐらい見に行ってみるか。

 今日は彼女は本に完全に没頭しているし、おれが構われる可能性も低い。

 隠れ家の廊下に並ぶ扉のうちの一つを見定めて、取っ手に手をかけた。


 子供の声が聞こえる。……幻聴だろうか。この館にいるのはクラウスだけのはずだ。

 扉を開けた先は、地下の食料庫になっている。そこまで声が響くとは、一体どんな子供が来ているというのだ。

 クラウスには館に誰も入れてはいけないとは命じていない。それは、いずれ彼女をこの館に導くためには制限してはならない点であろうと思っていたからだ。

 だが。

 地下から上がってきた俺の目の前を、素っ裸のガキが走っていった。


「だめですってば、まだ拭き終わってません! 戻りなさい、テオ!」


 そのガキの後ろをエプロンをつけ、袖とズボンの裾をまくりあげたクラウスが走って行きながら、俺に気がついて心底驚いた風に目を剥いた。

 捕まえたガキをタオルで拭きながら、クラウスが戻ってくる。ガキは立ち止まったクラウスの手からするりと逃げるととっとと元来た方向へ帰っていった。

 クラウスはため息をつくと前髪をかきあげ、俺を睨みつけた。


「なんでここにいるんですか、あんた」

「お前に任せっぱなしだったから様子を見に来ただけだ。……アレはなんだ」

「俺が受け持ってるクラスの子供たちですよ。王都に館があるって言ったら『お宅訪問』だとか言い出して……。言い出したのがどこぞの貴族の長男坊だとかで、面白がった指導員の先生が乗り気になっちゃって断れなくなって」

「お前、一体何やってるんだ?」


 呆れたように言うと、クラウスは途端に氷のような表情になった。


「何って、あんたが言いつけた仕事やってるんじゃないですか。彼女が入院する前に潜り込めって言ったんですよ? 魔法が使えない彼女は初級クラスに入るだろうしって言ったのもあんたでしょうが」

「それは……そうだが。なんでここまでやってるんだ」

「仕方がないでしょう? 彼女に信用される程度の先生になっとかないと」

「それで、これか。……隠れ家に転がってたあれも、これのためか?」


 途端に周囲の気温が明らかに下がった。


「……見たんですか。っていうか、俺の部屋、勝手に入るなって言いましたよね」


 コイツの力も半端ない。……魔王おれが分け与えた血のなせる技だが、コイツはすっかり使いこなしている。

 コイツと正面からやりあうのはとんでもなく面倒なのだ。……とりあえず、ごまかしておくか。


「扉が開いていたぞ」

「……それはすみませんでしたね。でも俺以外の人間には開けられない鍵にしてあるのに、ですか」

「知らん。嘘じゃない」

「……まあ、いいです。今度覗いたら……勇者にあることないことチクりますから」

「あ、ああ。わかった。気をつける」


 内心大汗をダラダラ流しながら俺はうなずいた。……何で俺、こいつに頭が上がらないんだろう。おかしい。


「せんせー、このひとだれ?」


 ドロップキックが飛んできた。

 おい、このガキ。痛えじゃねえか。

 アイアンクローで掴み上げたら、キャッキャと喜ばれた。途端に両腕にパンツしか履いてないガキたちがぶら下がる。


「あー、一応僕の……ええと上司、じゃないな、師匠、でもないし、友達……じゃないですよねえ?」

「……ただの客だ」


 ニヤニヤ笑いながらこっちを覗き見るクラウスの顔がものすごく苛つく。こいつ、いい性格しやがって。


「ただの客なら遠慮はいりませんね。このおにーさんがみんなと遊んでくれるらしいです。よかったねぇ」

「なっ、貴様っ」


 掴みかかろうとした両腕にはガキが二人ずつぶら下がっている。両足にも二人ずつ。ぐるりと子供に囲まれて、頭の上までよじ登ろうとするのまでいる。


「おい、クラウスっ!」

「せんせー、このひと、おなまえなんていうの?」


 薄いワンピースを身に着けた女の子が寄ってきて、俺のマントの裾を掴んでいる。


「えっと、名前ですか? ……なんでしたっけ?」

「貴様……」

「ほら、早く言わないと、真名教えちゃいますよ?」

「くっ」


 ……そうだった、こいつには筒抜けなのだ。血を与える時に真名も交換している。だから、こいつも俺が支配しているはず、なのだが。


「……クロ」


 彼女がつけてくれた名を名乗る。途端にクラウスは表情を曇らせ、すいと顔を近づけると耳打ちしてきた。


「困りますねえ。俺が家名持ちなのに、貴方が家名持ちでないとなると、色々不都合が出ますよ? この家に誰がいたかなんて、子供の口から先生方に漏れますし。偽でいいですから、家名も込みでフルネームを考えてくださいよ」


 ね? と軽くウィンクして、奴は離れた。

 言われなくても、この国での仮の名前は持っている。この館だって、その名義で購入したのだ。


「クロード・ヴァレリウス・エンヴァスだ」

「あれ……ファーストネーム、変わってません?」

「変わってないっ」


 元はブランディンと名乗っていたが、彼女がクロと名づけてくれたのだ。その名にちなんだ名前を自分の名にしたかったのだ。


「ねえ、魔王サマ」


 不意に耳元でクラウスが囁いた。


「お前、その呼び方はっ」

「大丈夫です、聞こえないようにしてますから。それにしてもあんた、意外と乙女チックだねえ。彼女がつけてくれた名前に改名するとか」

「なっ」

「彼女とその姿で再会した時にクロって呼んでほしいんだろ。……変態」

「貴様っ」


 図星を刺されて俺はクラウスの胸ぐらをつかむ。が、奴は気にした風もなく、くすくすと笑うだけだ。


「せんせーいじめちゃだめ」


 途端に反対の手の甲に痛みが走った。腕を捕まえていた少女が手の甲をつねっている。

 仕方なく手を下ろすと、ようやく少女は手を離した。


「お前、こんな少女にまで手ぇ出してんのか」

「貴方じゃありませんから。さあ、みんな。そろそろお昼寝にしようか。お風呂上がりで風邪を引かないように上を着ていらっしゃい」


 はーい、と子供たちはかけていった。唯一残った、俺の手をつねった少女は、俺がクラウスに暴力を働かないか監視するつもりなのだろう。服の裾を握りしめてずっと俺を睨みあげている。


「アリシア、あなたもね。そんな薄着では風邪を引いてしまいますよ」

「でも」


 クラウスは彼女の前に膝をつくと視線を合わせた。


「大丈夫です、クロードが僕に何かすることはありませんから」


 にっこりと微笑むクラウスに少女は顔を赤らめると、ぱっと身を翻してみんなと同じ方向へ走っていった。

 さすがは吟遊詩人、女の扱いには慣れている。


「さて、魔王サマ。覚悟してくださいね? あの子たちを寮に帰すまで付き合ってもらいますよ」

「なんで俺が」

「……いいんですか?」


 ちろりとこっちを見る奴の目に思わず目をそらす。


「分かればいいんです。ちょうどよかった。今日は介助員の女の子達が来ていないので、一人で二十人を相手にするのは手が足りなくて。よろしくお願いしますね、クロード」


 満面の笑みを浮かべるクラウスは、絶対尻尾と羽を隠しているに違いない。


 ◇◇◇◇


 三日目。

 馬車での移動の間はずっと隠れ家でのんびりするつもりだったが、昨日クラウスに無理やり約束させられて、今日は王都の家での手伝いだ。


 ……なぜ魔王たる俺があいつに服従せねばならんのだ。


 それだけは容認できない。俺が眷属にしたようなもんなのに、なぜかあいつだけは俺に逆らう。

 ああ、そこが面白くて血をやったんだっけな。

 魔王といえば普通、逆らおうとしないのに。


「手がお留守になってますねえ。ちゃんとやってくださいね」


 クラウスの厳しい声が飛んでくる。

 ちっと舌打ちして、俺は手を動かす。

 昨日いた子供たちは一泊して朝食を摂ったあと、学院からの迎えの馬車で帰っていったそうだ。

 俺が駆り出されたのは、その後始末だ。

 あちこちに落書きのあと。部屋に積み上げられた子供用の布団は半数がおねしょでぐっしょり、半数がよだれでべっとり。

 これを館の中庭に出して干すという。

 浄化すれば問題なかろう、とクラウスに聞いたが、浄化のあと日の光にあててやらないとダメだと言う。

 学院からの借り物らしく、普段も使っているものだからお日様に当てて返さないと怒られるらしい。

 仕方なしに並べる。

 子供たちが使った食器もキッチンに山積みになったままだ。これも学院から借りてきたとかで以下略。

 ええい、ちゃんと洗えばいいんだろうがっ。

 浄化でだめとか、一体何の意味があるというのだ。

 銀食器を綺麗に磨き上げて、キッチンのテーブルに並べていく。

 それにしても銀食器か。こんなもの学院がよく貸し出してくれたものだ。高価なものだし盗難や紛失を考えないのか?


「夕方回収に来てくれるらしいから、それまで布団は干しておこう。食器は磨き終えたらそっちのケースに仕舞うから」

「へいへい。落書きの方は落ちたのか?」

「ああ、あっちは終わった」


 他にも色々と被害はあったらしいが、俺の部屋以外はクラウスに任せてある。何がどう被害にあったのかは俺にはわからない。

 少し疲れた顔をして、クラウスは笑いを浮かべる。


「それにしても、あんたがいてくれて本当に助かったよ、クロード。二十人を一人で見るなんて狂気の沙汰だ。介助員の子たちが来たがらなかった理由もよく分かった」

「ああ、ほんとお前はお人好しだよな」

「そうか? まあ、次回は食事の介助だけは介助員についてもらうつもりだけど」


 次回と聞いて俺は目を剥いた。


「お前、懲りてないのか?」

「懲りるも何も、俺の生徒だし。今回のお宅訪問は突発だったけどな。一応報告書まとめて提出するつもりだ。学院の寮ではあの子たちは二人部屋に振り分けられて、介助が必要な場合も二人一組で受けているはずなんだ。でも、もっと大勢で一部屋に入るようにしたほうが、うまく回るんじゃないかと思ってね」

「うまく回る?」


 首を傾げると、クラウスは嬉しそうに言葉を継いだ。


「ああ、今回みたいに集団生活をさせてみて分かったんだが、少し年上の子たちが年下の子たちを自主的に世話するようになったんだ。例えばご飯の介助やトイレ、お風呂もそうだな。教室では一様に授業を受けるだけだが、そうじゃないつながりってものもできてくる。それは彼らにとっても悪いことじゃないと思うし、介助員や教員の負担も少し軽くなる。だから、時々今回のように大人数での合宿をやっていこうと思う」

「お前……すっかり教育者の顔になったな」

「そうか? まあ、職業柄さ、人の動きには敏いんだよ。歌ってる間も周りの人の動きや気配を常に気にしてるし、戦闘の場合はもっと鋭い感覚で同時にいくつものことを裁かなきゃ命取りだ。だからかもしれない。二十人ぐらいなら、同時に把握できるからな」


 ふふん、と鼻を膨らませてクラウスは胸を張った。

 なるほど、こいつにしてみれば息を吸うようにやってるだけなのか。


「報告書あげて、学院側の反応を見てからってことになるけど。もし認められたら、次回からは介助員をつけてもらうから、あんたには迷惑をかけないよ」

「そうか、それなら構わないが……」

「多分子供たちはあんたと遊びたがるだろうけどな」

「……俺は子供は好きじゃない」

「ま、気が向いたら来てくれればいい。それに次回やるときには彼女はもう入院してるだろう? もしあんたが来るなら顔合わせできるだろうと思ったんだがな」

「う、そこまで言うなら、考えておこう」


 クラウスがにやっと笑ったのが見えた。くっそう、そこまで読んでいたか。

 それにしても、魔王の館に学院の生徒が連れ込まれてるとか、良いのかほんとに。こんなにガードゆるゆるで。

 これもクラウスの人徳とやらのおかげなのかもしれないが。

 とりあえず、次回のお泊りとやらを楽しみにするとするか。


 ◇◇◇◇


 いつもなら彼女が座っている場所に丸くなったまま、ちらりと片目を開けて目の前に座る男を見る。

 今日も忙しそうに書類にペンを走らせているが、昨日とは明らかに違う。

 眉間のシワが深く刻まれ、全身から不機嫌オーラがにじみ出ている。

 彼女がピートとともに早朝出発したことは、この男の予想外だったのだろう。

 おれに八つ当たりしないだけマシと言えるか。

 そういえば、今日は一人になるからと、彼女はお風呂でずいぶんサービスしてくれた。

 いつもよりもゆっくり入り、彼女の体を楽しませてもくれた。……相変わらず唇へのアプローチは邪魔されたが。

 でもこれは、ちょっと報酬が足りない。今日の宿に着いたら不足分を支払ってもらおう。

 そんなことを思いながらニヤニヤと口元を緩めていたら、いきなり書類から顔を上げた男と視線が合った。

 ニヤついてた口元を見られたか。


「クロと言ったな。丁度いい。そなたと二人で話す機会を持たねばと思っておったのだ」


 おれと話す? 何を言っているのだ。

 腕を伸ばして顎の最適な置き場所を探すと、目を閉じた。


「クロ……貴様は何者だ」


 耳をぴぴっと動かす。

 こいつ、気がついているのか……?


「貴様を癒やしたという男と貴様の魔力の気配が同じだったと報告を受けている。それに、契約ができない程度の魔力しか持たない魔獣は一般的に本能に支配され、人間の言語を理解することはできないのが定石だ。ただの魔獣がこれほど人語を理解することはない」


 魔獣に詳しいのか、面倒な相手だ。

 座席の上で起き上がると大きく伸びをして、あくびをすると身づくろいを始める。


「魔獣を癒せる者は魔族以外にはいない。人の間に紛れ込んだ高位魔族は人と見分けがつかない。どれほどの魔族がこの国に紛れ込んでいるのやら。……貴様もその一人ではないのか」


 そこで言葉を切り、男は普段は見せない魔力の一部を纏い、圧倒してくる。

 さすがはユーティルム王家とエランドル王家のご落胤だ。力の質も量もガルフなど軽く凌駕する。それでも俺や彼女には敵わないが。

 普通の魔獣なら簡単に服従させられるほどの魔力だ。

 だが、魔王おれには通じない。

 平然と身づくろいを続けると、ふっとその魔力の威圧が消えた。


「やはりな。……見たとおりの魔獣ならば、我が魔力に抗えぬ。貴様がただの弱小な魔獣でない証拠だ。それに、あの森には貴様よりも強大な魔獣がいたはずだ。なのに、貴様は捕食されなかった。むしろ、強い魔獣や猛獣が駆逐されていた。……貴様の仕業であろう?」


 もしそうだと言えば、こいつはどうするつもりだろう。排除するだろうか。それとも?

 どちらにせよ、面白いことにはなりそうだ。

 舌なめずりをして牙を見せつける。


「答えずとも良い。――貴様が魔王であろうとも」


 ぴぴっと耳を動かす。

 なら、どうするつもりだ。

 こいつは母であるユーティルム女王とともに彼女を呼び寄せた。俺を倒す駒として。

 ならば、俺は敵だ。そうではないのか?

 それを『気づいている』と魔王おれに知らせて、どうするつもりだ?

 この場で殺せとでも言うのか?

 周りの護衛に気づかれないように一瞬だけ力を戻してこいつを殺すことなど造作もない。

 だが、『そういう』気配は微塵もない。

 近い未来、自分がいずれはユーティルム王国の復興を宣言することを信じて疑わない、頑なな魂を感じる。

 俺の一番苦手とする、面倒な相手だ。


「ずいぶん勇者に入れ込んでいるようだな」


 身づくろいを終わらせて、姿勢を正して座る。がたんと馬車が揺れた。


「魔王が勇者の供か。……面白い」


 にやり、と奴の口元が歪んだ。

 何を考えているのだ、こいつは。

 魔王おれはお前の敵だろう?

 こいつが魔王おれ勇者かのじょの本当の関係を知っているはずがない。

 人間の世界には語り継がれていない、本当のことを。


「そういえばジャックとウルリーケと言ったか。二人の契約している魔獣は魔族の化身した姿だな。二人は気がついていないようだが」


 迂闊にもおれは目を見張った。

 それをなぜこいつが知っている? 魔族と魔獣の見分けがつくなど、人間ではありえない。

 魔眼イーヴルアイでも持っているというのか。


「ほう、驚いているようだな。人間にもお前たち魔族の想像の及ばない者がいるということを覚えておくといい。さて、貴様は何を企んでいる?」


 こいつ、どうしてやろうか。

 おれがそうであることを知らせてやる義理はない。ただのこいつの妄想だと放置してやればいい。

 何も語らずにじっとこいつを見つめる。


「このまま王都に入り、学院に入ってまで彼女の横にいるつもりだろう。魔獣と契約した魔術師は少なくない。契約済みの魔獣ならば同じ部屋で寝食を共にできる。だが、貴様はどうかな」


 再びにやりとこいつは笑う。その背後に隠れるどす黒いものが見え、ゾッと首の後ろの毛が逆立つ。


「契約もしていない、ただ、彼女になついているというだけの魔獣が学院の門を潜れると思うなよ」


 あくびをして、おれは座席に丸くなる。

 そんなことか。彼女との契約は済んでいるのだ。彼女が知らないだけで。……本来の主従関係は逆だがな。

 従がいる場所に主が立ち入れぬ道理がない。

 まあいい。

 おれがいない状態で彼女がどうなるか。

 それを見るのもまた一興か。

 ちらりと片目だけ開く。

 目の前の男はおれの反応をじっと見つめていたが、何の反応も返さなかったのがつまらないと映ったのだろう。

 首を振り、さらに眉間のシワを深く刻んで書類に視線を戻した。

 その後、おれと二人きりになる機会が何度かあったが、二度とおれに声をかけることはなかった。


 ◇◇◇◇


 今日はクラウスも学院に出勤しているし、隠れ家から王都の館に渡っても問題はないだろう。

 そう思っていつも通り、馬車に乗り込んですぐこちらに来たのだが。


 ……なぜ、この館に人がいるのだろう。


 地下のゲートからキッチンに入るまで人がいることに全く気付かなかった俺も迂闊なのだが。

 クラウスがいるはずもないのに、人の気配にてっきりクラウスだろうと思い込んでしまっていた。場所がキッチンで、いい匂いがしていたことも一因といえるだろう。


「あら、どちらさまかしら?」


 その声ではっと気がついて身構えると、鍋の前に見知らぬ女が立っていた。

 金髪と言うには色がうすすぎるクルクルに巻いた髪、ぽっちゃりしてまんまるな顔なのに、目や鼻のパーツはひどく小さい。びっくりしたように見開いた目は澄んだ緑色だ。年の頃は三十ぐらいか。


「……誰だ?」


 クラウスの関係者か?

 俺の顔をじっと見ていた女は、はっと気がついて手にしていたお玉を置くと、俺の方に向き直り、頭を下げた。


「まぁまぁ、貴方が『お客様』ですのね? わたくし、子供たちのお世話のために雇われたコルネリアと申しますの」


 お客様。その言葉で以前の騒動を思い出した。


「クラウスが雇ったのか?」

「ええ、年若い介助員の女の子たちでは歯が立たないだろうということで、わたくしが呼ばれたんですの」

「ほう?」


 確かに恰幅もよく、多少のことでは揺るがないだろうとは思う。それに当たりの優しい言葉づかいはしているが、こっちをまっすぐ見て目をそらさない。おどおどしたところもない。

 芯の強い女性だ。


「ふふ、こう見えても五人のやんちゃ坊主を育て上げましたからね。多少のやんちゃぐらいでは驚きませんわ」


 ころころと笑う。笑うとえくぼが出て目がすっかり細くなる。百面相とまではいかないが、感情の起伏が豊かな女性のようだ。


「で、貴方様は? どう呼べばよろしいでしょう?」


 抜かりなくまっすぐ詰め寄られて、俺は素直に姓名を名乗った。自分でも意外だが、この手の強い女性は苦手らしい。


「そう、ではクロード様とお呼びいたしますわね。クラウス様のお友達……いいえ、お客様、でしたわね」


 くすくすと笑う。先日の話もすっかり知られているらしい。クラウスのやつ、何をどこまで話したのだ。


「魔法をお使いになると伺っておりますわ。いきなり現れても気にせずに応対するようにと申し使っております。今日はクラウス様はお仕事で、しばらくはお戻りになれないのだそうです」

「そうか」


 おそらく、以前言っていた「毎月の合宿」を何とか学院長から許可をもらおうと奮闘しているのだろう。

 この女性も、次回の合宿に備えての人員配置だろう。

 だが、この館に人を配置するなら、前もって知らせておいてもらわねば困る。

 確かに、学院似通うクラウスのために用意した館ではあるが、いずれは彼女を囲うための館にもなるものだ。完全に奴にやったつもりはない。

 ……しかし、この間の様子からすると、この館は諦めたほうがよいかも知れん。奴はどうやら教育に目覚めてしまったようだし、首尾よく行って学院に潜入する役目が不要になっても奴は自分の思うようにことを進めるだろう。

 深くため息を点き、彼女をしげしげと見下ろす。


「ああ、そうそう。お昼はもうお済みでして?」

「いや」

「でしたら、ぜひお味見をお願いしたいのです。来週、子供たちが来るのだそうで、その時に出したいと思ってるんですけれど、わたくしの好みだと少し味が濃くなり過ぎてしまうらしいんです」


 にこにこと微笑みながら、彼女は鍋に向き直ると皿に中身をよそい始めた。


「おすわりになって。どこでも構いませんわ」

「あ、ああ」


 丁寧な口調なのに有無を言わさない彼女の言葉に、仕方なく椅子を引いて座る。

 ほどなくして湯気の立つ皿が目の前に置かれた。


「これは、なんだ?」

「わたくしの生まれ育った地方に伝わる料理ですわ。根菜と若鶏の煮物なんですけれど」


 フォークで煮崩れた芋をすくうと、恐る恐る鼻先に持ってくる。匂いは悪くない。コンソメベースのようだ。それにしても、煮崩れるまで煮るなど、普通はしない。

 口に運ぶとふわりとコンソメの匂いがして、舌の上に載せた芋はあっさりと崩れて消えた。味は確かに濃厚だが、美味い。


「ほう……」

「いかがですか?」

「確かに味は濃い。年端もゆかぬ子供には辛いかもしれんな」

「やっぱりそうですか……」

「だが、これだけ煮込んで柔らかくしてあるのは、年若い子供たちの離乳食も兼ねてのことであろう?」

「あら、お分かりですの? もしかしてお子さんが?」

「いや。知識として知っているだけだ。大人に出すには歯ごたえがなさすぎるからな。その点だけが残念だ。美味いのは美味いのだがな」


 フォークで鶏を突き刺そうとしたが、これもホロホロと崩れる。すくうようにして口に運ぶと、やはり柔らかく煮てあってすぐに解けていく。


「お褒めいただきありがとうございます」


 にっこりと彼女は微笑み、頭を下げる。なんと朗らかに笑うのだろう。


「ああ、美味かった。お前よりも美味かったとクラウスに伝えておいてくれ」

「まあ、そんなことをすればわたくしが叱られてしまいますわ」


 クスクスと笑いつつ彼女は空になった器を下げていく。


「他の品もお味見いただけまして?」

「ああ、いただこう」


 椅子に座ったまま彼女がくるくると回っては料理を仕上げていくのを見つめつつ、これはこれで悪くないかもしれない、と思っている自分に驚く。

 いずれ別所に彼女のための館を準備するのはするとして、彼女を手に入れるまでは、しばらくここを使ってやろうと思う。

 念のためにコルネリアの身辺は調べさせておくか。……クラウスのことだ、調べ上げた上で雇ったのは間違いないだろうが。

 当初の目的をすっかり忘れたことに気がついたのは、彼女の数々の手料理に満足して早々に馬車に戻ったあとだった。

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