30.絵は苦手です
今日はヴィルクに乗りたかったんだけど、ウィレムがいい顔をしなかった。
ピートは地面を駆ける魔獣だからそれほど危険は大きくないけれど、ヴィルクの場合は空を飛ぶ。
万が一にでも落下したりする可能性がある以上はダメだとウィレムは拒否の姿勢を崩さなかった。
一度だけでいいから空を飛んでみたかった。
二人とも学院の先生になるのだし、学校にいる間に頼んでみよう。
学校の敷地内ならそれほど危険もないだろうし。
残念だけど諦めることにして、今日は馬車の中だ。
クロは早々に戦線離脱して足元に長く伸びている。
ウィレムは今日は何かわからないけど書類にずっとかかりきりだ。サインをしてるだけじゃないみたいで、幾つかの資料を見ながら報告書か何かを書いているらしい。
わたしは、メディアの本の読破にかかった。
今日読んでるところは、王都のグルメレポートやショップレポートだ。
一番知りたかった情報だけど、どれぐらい前の情報なのかがとても気になる。
本の後ろの方や裏表紙に日付の手がかりとなるようなものが書き込まれていないかとぱらぱらめくってみたが、特に何もなさそうだ。
ただ、彼女が書いている店はどれも老舗ばかりだから、今もまだ営業してるんじゃないかと期待が持てる。
学院は王都の中でもずいぶん奥まったところにあるらしい。
研究機関が密集しているあたりに学院は立っているらしい。というのも、研究機関に所属する研究員が学院の教師も兼ねているからだとか。
今もきっとそうなのだろう。研究機関というのがいまいちピンとこないけど、大学みたいなものだろうか。わたしが入るのはその付属小学校と考えればわかりやすいかもしれない。
その研究エリアの出口当たりにはいくつも喫茶店が並んでいて、そこで売られているケーキは持ち帰りもできるらしい。
学院があるせいか、その付近の店は、見た目が子供であってもお客さんとして扱ってくれるのだそうだ。
実際に、学院に入院(びっくりしたんだけれど、学院に入ることを入学と言わずに入院というのだそうだ)したばかりの公爵の息子や王女がお忍びでケーキを買いに来たり、普通にお茶したりしていたそうだから、わたしでも出入りできるお店に違いない。
これは嬉しい情報だ。
他にも学院生なら年齢にかかわらずに出入りできる雑貨屋さんや服屋さん、服飾屋さんもある。
しかも、きっちりと地図が書き込まれているのだ。
かなり細かい地図で、全部つなぎ合わせれば王都の地図ができるんじゃないかと思うほどだ。
学院に到着して、紙とペンをもらったら書き写して重ねてみよう。
学院の制服さえ着ていれば、王都の中を歩いていても以前のように邪険には扱われないのだ。
以前、王都に飛ばされた時のことを思い出して、少し目を閉じる。
――結局、肩書に弱いのはいつの時代でも同じなんだなぁ。
こんなちんちくりんの子供でも、勇者だとか学院生だとか肩書と身なりが整えば、人の目は変わる。
嫌だけど……この世界でわたしが生きていくには必要なものなんだ、と自分を納得させる。
ただの異国の女の子では価値がないんだ。
頭を振り、ともすれば暗くなりそうな思いを振り切る。
それにしても、メディアの残してくれたこの本は本当に役に立つ。
お店についても、地図だけでなくお店の外観やお店の人の似顔絵、美味しそうなパイの絵などが事細かに書き込まれている。
これを見ると、前半で書かれていた彼女のつらそうな境遇が改善されてきたのが感じられた。
なにせ、描かれているお店の人が皆、笑顔なのだ。
不自然な笑顔ではないから、彼女が想像して書いた似顔絵ではないと思う。
店の紹介にしても、普通なら知らないはずの店員の事が書かれていたりした。花屋のメリーが甘いもの好きで虫歯があることや、喫茶店の店員のビルが隣のお姉さんに片思いしているなんてこと、その店員と仲良くなってなければ知らないことだもの。
きっとそうやって友達が増えて、楽しい王都ライフを送れていたのだろう。
そう思いたい。
もしかしたらここに描かれている人たちと会えるかもしれない。そうでなくても、この人たちの子や孫に会えるかもしれない。
この本を片手に王都を歩きたいな。
ちらりとウィレムを見上げる。
この本自体はウィレムの……辺境伯の図書館の所蔵本だ。勝手に持ち出したわけじゃないけど、流石にくれと言ってもくれないだろう。
書き写す、と言ってもこれだけの精密な絵を書き写せるはずもない。
自慢じゃないけど、絵を描くのだけはダメなのだ。
「気に入ったのか?」
不意にウィレムの声が振ってきた。
顔を上げると、ウィレムは書類から顔を上げずにずっと何かを掻き続けている。
「はい。……あの、これ、貸していただくわけにはいきませんか?」
「……汚したり破損させたりしなければ構わない」
「ありがとうございます」
「ただ、情報自体は古いぞ」
「あの、この本っていつ頃のものなんですか?」
「二十年ぐらい前だろう。学院がまだ研究エリアにあった頃の話だ」
「え? 今は違うんですか?」
ウィレムは眉間にシワを寄せたまま、顔を上げた。
「ああ。今は王宮の一角に移設されている。研究エリアとはそう離れてはいないが、出入りするには王宮の門を通らなければならない」
「えっ? 王宮の中?」
王宮なんて縁のないものだと思ってたのに、学院がその中にある? どういうこと?
「王宮の結界は強固なものだからな。学院には他国の子女も来る。預かっている王家としては最も安全な場所を選んだのだろう」
「じゃあ、出かけるのって難しいですか……?」
「その本が書かれた頃よりは面倒になっているだろうな。曲がりなりにも王宮の中だ。必要な手続きはあるだろう」
「そうですか……」
気楽に町中をぶらついたり食べ歩いたりしたかったけど、外出許可証とか取らないと駄目なのかもしれない。
「詳しいことは入院してから聞け」
「あの、なんでこの本、領主様の書庫にあったんですか?」
ずっと聞いてみたかったこの問を今なら聞けそうだと思って口にした途端、ウィレムは目を見張った。それからすぐ眉根を寄せて書類に視線を落とした。
「知らぬ。誰かからもらったものだろう」
そういえば、二十年ぐらい前の本だと言っていた。その頃ならウィレムはまだ子供だろう。知らないのも無理はない。
この世界はまだ印刷技術は発明されていない。基本的にどれも写本によって複製されたものだ。
でも、メディアのこの本は、緻密で丁寧な絵や地図といい、原本のように思える。何より巻頭にあったあの言葉は筆者の直筆サインだと思った。
ウィレムの……いや、リドリス辺境伯とメディアには何らかのつきあいがあったのではないだろうか。
だからこそ、後輩に向けての本をリドリス辺境伯に託したのではないか、と。
彼女自身のその後も知っているのではないかと思ったのだけれど。
「そうですか。……残念です」
あとを引き継いだウィレムが知らないのであれば、メディアに会うのは無理だろう。
「じゃあ、お借りします」
「そんな古い本、どうするつもりだ?」
一応頭を下げると、ウィレムは書類から顔を上げずに聞いてきた。
「この本で紹介されてるお店に行ってみたいんです」
「二十年も前の話だ。もうないかもしれないぞ」
「それでもいいんです。彼女が歩いた――彼女が愛した店を見てみたくて」
「……そうか」
ふぅ、とため息をついてウィレムは顔を上げた。いつものように眉根を寄せているが、どことなく悲しそうな顔に見えた。
「領主様もこの本、読んだんですね」
「ああ」
「……彼女は幸せになれたでしょうか」
今度ははっきりと、ウィレムは目を見開いた。驚いた、というより畏れのような色が浮かんでいたように思う。
「さあな」
それだけ絞り出して、ウィレムは書類に没頭する。
やっぱり彼は何かを知っているのだ。
わたしの正体をあっさり見破ったり、左手の篭手のことを知っていたり、魔獣について詳しかったり、一体この人は何なのだろう。
味方なのだろうか。……それとも敵なのか。
秘密の多い人だ。
この人が笑うことなんてあるのだろうか。全く想像できない。
クロが膝の上に登ってきてニャア、と鳴く。
その柔らかな毛並みを撫でながら、わたしも本の続きに没頭することにした。




