23.怒られました
「大した護衛もつけずに街の外に出たそうだね」
茶色い執務机の向こうから、窓の外の光を背負って影になったリドリス辺境伯が無表情でわたしを見下ろしてくる。
茶色だと思っていた髪の毛は光にすけて金色に輝いている。冷たく光る目は空のように青い。
「ジャックさんとウルクさんが一緒でした」
声の震えを押さえて言い切った。だから、護衛がいなかったわけじゃない、と主張したかったのだが、眉間のしわが増えただけだった。
「報告は受けている。だが、彼らも休暇で帯剣していなかったと聞いている。それでは護衛とは言えない」
「でも、この街の中でそんな……」
護衛が必要な事態なんて、ありえない。そう言いたかったんだけど。
「そなたは自分が何なのか、理解されておられないようだ」
あくまでも丁寧な口調でウィレムは続ける。
そういえばこの人は最初からわたしには大人に接するような態度で接してきた。
もしかしたらそれは、わたしが勇者だと最初から知っていたからなのだろうか。
勇者とはつまり異世界から召喚された人間で、エランドル王国の人間とは体格が全く違う。
勇者の見かけと年齢が合わないことをこの人は知っていたのだろうか。
普通の人は、わたしを見て年端も行かぬ子供だと思う。なのに。
「いきなり魔王に襲われる可能性があることを忘れておられるようだ」
「忘れてなんかっ……」
忘れられるはずがない。あの魂を削られるような感覚を。
でも、あれからもうずいぶん経って、魔王は姿を現してはいない。どこか他所を探しているんじゃないか、と期待も込めて思っている。
「それに、そなたの魔獣が一時行方不明になったと聞く。その際に誰かに助けられたと言ったそうだな」
わたしは唇を噛んでうつむいた。
あのあとやってきたジャックとウルクはあの人がいた場所に強力な魔力の痕跡を見つけ、何があったのかを聞かれたわたしは抱きしめられてキスされたこと以外はそのままを話した。そんな大事になるなんて思ってなかったのだけれど、ジャックはともかくウルクは深刻な表情になり、館に帰り着くまで変わらなかった。
――誰にも話さないように。
そう、ウルクはわたしに言っていたから黙っていたんだけど、リーフラムを通じて報告が上がっていたのだろう。
「そなたの魔獣になにかされなかったか」
「そんな……あの人はクロを助けてくれただけです。魔獣の治癒ができると言って治してくれただけで」
「魔獣の治癒ができるほどに強大な魔力を持つ人間は国内にはいない」
「えっ?」
驚いて顔を上げると、ウィレムの表情は苦り切っていた。後ろを振り向くと、控えていたガルフとリーフラムも険しい顔をしている。
「じゃあ、もしかしてユーティルムの」
生き残りの魔術師か、と言いかけたが、ウィレムは首を振った。
「ユーティルムにもそれほどの力を持つ魔術師は多くなかった。それにそなたの召喚の際にほとんどが殺されている」
「でも、わたしを助けてくれた魔術師の人は生きています」
体の前で左の篭手に右手を重ねて口を開く。
「ではその生き残りが魔獣を助けたのか?」
「……いえ、違います」
あの時助けてくれた魔術師の若い声と、クロを助けてくれた人の落ち着いた声とはまるで違う。この篭手をくれたのはきっと少年で、あの人は大人だ。
「魔術師ウルリーケからは、魔力の痕跡の追跡はできなかったと聞いている。それに魔力溜まりの魔力と似通った性質の魔力だったそうだから、あの付近に時々現れているのだろう。しばらくあの付近に警戒網を敷いておく」
「なぜ……?」
思わず口に出すと、ウィレムは口の端を少し上げた。
「勇者であるそなたに接近した者だ、確かめねばならん。それにもし、言う程の力の持ち主であれば、味方に取り込んでおきたい。いずれ魔王と対峙する時の力となろう」
魔王と対峙――。
あの恐怖の存在と対決する? 無理無理。今のわたしでは、指一本動かせないに違いない。あっという間に殺される。
なのに、この人は死にに行けと言う。
どうしても避けられないのだと。
「ところでユーティルムの魔術師の生き残りがいると言ったな」
「……はい」
「そなたはなぜそれを知っている? まるで会ったことがあるかのように」
その言葉にわたしは言葉を失った。
ゆらりとウィレムが立ち上がるのが見える。机を回り込んでわたしの前にやってきたウィレムは、視線が合うようにかがみ込んでわたしの顔を覗き込んでくる。
「知りません……顔も見たこと、ありません」
「では何故、生きていると言い切れる?」
「それはっ……」
ちらりと後ろの二人に視線を走らせる。だが、ウィレムの体で遮られて見えはしなかった。
「以前……魔王騒動の時に、誰かに助けてもらったのです。その時、同じ声を聞きました」
息を飲む音が聞こえた。
わたしが魔王騒動に関わったことはアンヌさんも知らない。
「声か。では誰だったかは分かっておるな?」
ウィレムと視線を合わさないように横の床を見つめながら、わたしは首を振った。
「わかりません。召喚されてすぐ、ユーティルムの滅亡の情報がもたらされて皆逃げました。誰がなんて聞いている暇はありませんでした」
「そうか。それは残念だ」
のしかかっている影が消えた。ウィレムが体を伸ばしたのだ。
「それから、もう一つ教えておく。魔獣を癒せる人間はおらぬ」
え……? なにを言って……。
「魔獣をパートナーとする者ならパートナーから聞いて知っているはずの情報なのだが、そなたの魔獣は意志を通わせられるほどの力を持たぬから聞いておらぬだろう。魔獣を癒せるのは魔族の力のみだ。傷を負った魔獣が魔力溜まりに向かうのは、魔族や魔獣の残した魔族の力を身に取り入れようとするからだ」
魔族の力……?
「高位の魔族は人の姿を取り、人として紛れ込んで生きている者もいるという」
「では、その者は高位魔族の可能性があると……?」
リーフラム隊長の声にわたしは振り返った。リーフラムは眉根を寄せて拳を握り、ガルフは眉根を寄せたまま唇を噛んでいる。
「魔族……? うそ……」
「魔王は最強の魔族に贈られる称号だ。そなたが会ったのが魔王だったとしたら、今頃そなたは死んでおる。……だから油断をするなと言っているのだ。今後は邸内でも護衛をつける。王都に出発するまで館の敷地内から出ることは禁ずる」
魔族? 魔王?
そんなはず、ない。だって。
あの時……抱きしめられて、頬にキスされて、白姫って呼ばれて……。
魂を削られるような恐怖なんて、感じなかった。むしろ……。
「以上だ。退出してよろしい」
ウィレムの声にはっと顔を上げると、ウィレムはすでに机の向こう側にいて、もうこちらには興味を向けていなかった。
「シオン、行こう」
肩を叩かれ、二人に促されてようやくわたしはぎこちなく礼をして部屋を出た。
ちょっと展開早くしました。




