11.魔王が来たそうです
「すごい寂れ方したわねえ」
声が聞こえてきて意識が浮上する。いつものようにお茶をしているのだろう、いい香りがする。今日はアップルティーのようだ。甘い香り。
「そうよねえ、広場の店もあらかた閉めちゃって」
「あら、あれはそのせいじゃありませんわよ? 魔王が暴れたせいで屋根や壁が飛んじゃったって聞いておりますわ」
魔王……また暴れてるんだ。今度はどこの姫をよこせと言ったのだろう。ああ、そっか。だからユーティルム王国は勇者を召喚したのか。姫も国もろとも滅ぼされたのだろう。好色魔王め。
しかし、この街に魔王が現れたということは、わたしを探しているのかもしれない。
そういえばあの吟遊詩人がなにか言っていたような気がする。あまりよく思い出せないけど。
あの時感じた絶望的な悪意と殺意。あれは……幻じゃなかった。思い出すだけで身震いする。
――逃げなきゃ。
あの吟遊詩人が王都に飛ばしてくれたのは、もしかしてそのつもりだったのかもしれない。
でも誰かに捕まって……なんだろう。記憶が曖昧だ。目が覚めたらこの部屋にいた。
夢の中で誰かが「ごめんね」って言っていた気がする。あの声には聞き覚えがあった。あの時篭手をくれた魔術師だ。最年少で筆頭魔術師の。
「アミリは避難しないの?」
「わたし以外はもう王都に出発したわ。王国騎士団の方がいらっしゃるというのでこちらに残りましたの」
「ああ、それって前に言ってた婚約者がいるっていう?」
「わ、わたしは別に、そういう意味では……」
あからさまにうろたえているのが分かる声音だ。
「隠さなくていいよ。へえー、騎士団かぁ。この間まで来てた騎士さんたちも一緒だってね。払いもチップもいいから、あたしは嬉しいな」
これはレダの声かな。ベッドのそばから聞こえるということは、ベッドに凭れているのだろう。
「コンラート様はだめよっ、わたしの婚約者なんですからっ」
「はいはい、ごちそうさま。っと……シロ、目が覚めたの?」
レダの顔が視野に入った。うなずくと、彼女は口角を上げる。
「ん……今何時?」
「ランチタイムが終わって休憩してるところよ。なにか食べる?」
わたしは首を横に振った。お腹は空いてる気はするけど、食欲はない。
「何か食べといたほうがいいよ。スープでももらってくる」
ころりと寝返りをうち、みんながいるはずの方に顔を向ける。ソファに四人座ってるのが見えた。レダと合わせて五人だけだ。
「あれ……他の人は?」
「ウルスラとサーニャは家族と一緒に疎開したよ。ユーティとクロエは家から出してもらえないって。お客もめっきり減ったわ」
エミリーがベッドのそばまでやってきた。
「魔王が来たんですって。街中パニックよ。出ていく人の列、すごかったわよ。今はだいぶ落ち着いてきたけど。入れ替わりに調査隊と王国騎士団が来てるの。うちに来るお客さんのほとんどが騎士団の人よ」
「魔王……」
「隣の国を滅ぼしたってアレでしょ。まさかこっちに流れてくるとは思わなかったけど」
「怖いわね」
「そういえば、王国騎士団の人から聞いたんだけど、王都でも魔王が目撃されたんだって」
「ええっ、もう王都に行ってるの? じゃあここにはもういないのかしら」
女の子達の会話が意識を上滑りしていく。
アンヌはあと三日って言ったけれど、待っていられない。まとめる荷物を考える。大きめのリュックを買ったほうがいいだろうか。お店が開いてるかどうかわからないけど、誰かについてきてもらわなきゃ。
体を起こすとエミリーがクッションで背もたれを作ってくれた。
「起き上がって大丈夫なの? まだ顔色が悪いけど」
「大丈夫。……それより、雑貨屋に行きたいんだけど、誰かついてきてもらえませんか?」
ベッドから出ようとするとエミリーが押し戻した。
「だめですわよ、わたしたちがここにいるのは、あなたをベッドから出さないための監視役なんですからね?」
アミリはそう言うとニッコリ微笑んでくる。
「でも……」
「それに、広場の角の雑貨屋さん、魔王が吹き飛ばしちゃったんですって。もうお店はないわ」
「そうなんだ……」
仕方ない、彼女たちがいなくなったら着替えとお金だけ持って行けるように準備しておこう。あの時、リュックの値段にドン引きして買わなかった自分を殴りつけてやりたい気分だ。
足音がしておいしそうな匂いが鼻をくすぐった。
「はい、おまたせ。アンヌさん特製スープだって」
レダがカップを渡してくれる。昨日と同じ野菜のポタージュだ。これなら食べられる。
「ありがと。アンヌさん、何か言ってた?」
「早く良くなれって。店員は減ったのに、人の三倍食べる騎士さんたちが朝も昼も夜も来るんだもの、もう大変。シロくんの手も借りたいほどなのよ」
弱々しく笑って、スープに専念する。
魔王が探しているのがわたしならば、街を出たほうがいい。これ以上迷惑はかけられないもの。
でも……。
この身を魔王に差し出して全てが丸く収まるなら、そのほうがいいのではないか。かつてわたしを……ブランシュを守ろうとした王国が結局失敗して滅亡したように、勇者だとバレて祭り上げられてしまったらあの王国の二の舞いになるに違いない。
迷ってる暇はない。
街を出よう。
王都には行けない。行けばきっと迷惑をかける。
ユーティルムからの避難はいまだに続いている。王都は徹底的に破壊され、街道も街道沿いの宿も皆灰燼に帰したと言う。
でも、田舎の方ならばわたし一人ぐらいなんとか行きていけるところはあるんじゃないか。
生活魔法はあの本があれば習得できる。
それ以外の魔法は思い出せた。防護魔法も攻撃魔法も……王家にのみ伝えられる秘伝の魔法も。どういった時に使う魔法なのかは思い出せないけれど。
今のわたしの魔力量は昔のわたしを遥かに上回る。その上無詠唱のチートと、魔術の詠唱文構成すら不要になるチートが今のわたしにはある。
きっとなんとかなる。
彼女たちの会話を聞き流しながら、わたしは旅立ちの準備を色々と考えていた。




