10.目が覚めたらベッドの上でした
目を開ける。ここ、どこだろう。
ふかふかのマット、ふわふわの毛布。綺麗にプレスされたシーツ。こんなに綺麗ににアイロン当てたことなんてない。
それから――いつもの重さを胸の上に感じる。
そっと手を出して、目の前の黒い毛玉を撫でる。ピクピクと耳がうるさそうに動いて、するりと体をひねるのが見える。
「クロ……」
じゃあ、やっぱりここは、店の二階……? この柔らかいベッドは、いつもみんなが使ってた、使ったことのないベッドなのかな。それにしては、シーツが綺麗すぎる。
起きなきゃと思うのに体が動かない。どんどんマットに沈んでいく気がする。柔らかい寝台って起きるのが辛くなるんだ。
いつもは床でごろ寝してたから、目が覚めたらすぐに起きられるのに。まぶたが下がってくる。
なんだか体が熱い。頭もぼうっとしてる感じがする。熱が出たのかな。体もあちこち痛いみたい。
二度寝の誘惑に勝てなくて、結局わたしは意識を手放した。
「起きたかい」
次に目を覚ました時、聞き慣れた声が聞こえてきた。目を開けるとアンヌは枕元に立っていた。
「モーニングに降りてこないから心配して来てみたら。熱もあるし、今日は休みな。店の子たちには言っておくから。レモン水、置いてくから起き上がれるようなら飲んどきな」
「あ、りがとう」
お礼を口にしたけれど、喉も腫れ上がってろくな声が出ない。アンヌは不機嫌そうに眉根を寄せて、わたしの額にタオルを乗せると出ていった。
迷惑、かけてしまった。
それからは何度か寝たり起きたりを繰り返した。次に起きた時は窓から光が差し込んでた。その次は暗くて明かりが点けられてた。その次は夜。アンヌがいたこともあった。確かレモン水を飲ませてもらった。アミリが覗き込んでたことも、レダが喋ってたような気もする。
最後にニャア、とクロがわたしの顔を覗き込んで――その後は覚えてない。
次にぱっちりと目が覚めたのは、数日経ったあとだったらしい。
朝、スープとパンを持ってアンヌが来た時には、わたしはベッドの上で上体を起こせるようになっていた。
「おはよう、シロ。今日はずいぶん顔色もいいね。そろそろ動けそうかな」
「おはよう、アンヌ。うん、今日は少し動けそう。寝たままなのは辛くて」
「でも、お医者さんが言うにはあと三日はベッドから動くな、だそうだよ。原因がわからないっていうのがアレだけど、まあ、ゆっくり休みな。食事や仕事の心配なんてしなくていいから」
「ありがとう」
スープはあっさりした塩味で、野菜などは全部すりつぶしてあるのだろう。ちょっとドロッとしていたけど、体に染み渡る感じがする。お腹が空きすぎてわからなくなってたのかもしれないけど、パンを浸しながら口に運んでいくと、あっという間にカップ一杯分のスープは平らげてしまった。
アンヌはニコニコしながら盆を取り上げた。
「この調子ならすぐ元気になるよ。ああそうそう、着替えも洗っといたよ」
「ありが……ええっ!」
わたしはお礼を言いかけて絶句した。
そういえば、寝付いてから時々アンヌが体を拭いてくれたり、寝間着も着替えさせてもらったような記憶がうっすらある。
ていうことは、わたしが男じゃないって、バレた……。
うん、ぜったいバレてる。だって、胸を抑えてたスポーツブラもないし、さらしも巻いてない。
まずい。今バレたら……。
冷や汗を垂らしながらわたしはアンヌの顔を見上げた。
アンヌはわたしの言動に少し眉根を寄せていたけれど、思い当たったらしくてにやっと口角を上げた。
「まあ、あのサイズじゃ女の子とは認めてもらえないだろうけどね。……それにしても、なんで最初から言わなかったんだい」
「あの、えっと……すみません」
布団を被ってそう答えるのがやっとだ。
「うちの子、全員女の子だろう? でもやっぱり女しかいない職場ってのはだめだね。最近はすっかりだらけててねえ。女として問題ありな子ばかりになっちゃって。だから男の子を入れたら多少は色気づくかと思ったんだけど、あんたじゃお子様扱いだもんねえ。ちょっと宛が外れたのはほんとだけど。かといって肉食系男子なんか入れた日にゃ、目も当てられないしねえ」
ため息をついてアンヌがこぼした。
「まあ、事情があるんだろうから聞かないでおくよ。とにかくお医者様の許可が出るまでは店に出させないからね。どうせお客も来ないし、おとなしくしてな」
ぽんぽんとやさしく頭を叩く。わたしは布団から顔を出してアンヌの顔を見た。手のかかる子どもに向けるような、優しい笑顔だ。
「あ、あの。皆には……内緒にしておいてください」
「わかったよ。何か食べたいものはあるかい?」
特にこれ、というものが浮かばないので首を横に振ると、アンヌはやわらかく微笑んで降りていった。
どこかで見た覚えのある眼差しだった。
クロが枕元に登ってきてニャアと鳴く。そういえばアンヌがいる間、どっかに消えてたんだ。時々そういうことがあったけど、もしかしてクロはアンヌが苦手なのかな。
「クロ」
布団の中に首を突っ込みたがるので、布団持ち上げてみる。そういえばこうやってちゃんとした寝具で寝るのってこっちにきて初めてかも知れない。
いつもクロはわたしの体の上に乗っかって寝てたものね。
クロは少し警戒してたけど、すんなり入ってきてわたしの体にぺったりくっつくように横になった。手を差し込んで喉のあたりをかいてやるとゴロゴロという音が聞こえてくる。
クロの体温が移ってきて、わたしはあっという間に眠りについた。
夢の中で、わたしはどこかの城を歩いていた。
前を金属鎧をつけた兵が先導している。わたしはといえば、薄い桜色のドレスのようなものを着ている。ヒールの高い靴を履いているらしくて、何度も裾を踏みそうになっては指先で少しだけドレスをつまんで歩く。
頭も重い。何を載せてるんだと思うほど重いのに、首はまっすぐしなければならない。
「お急ぎください、――様。皆様がお待ちです」
「分かっているわ」
わたしの口が勝手に動く。
広い廊下を急ぐのはわたしとその兵士のみ。金属音とヒールの音だけが響く。
一枚の扉の前にたどり着いた時にはクタクタだ。なのにわたしは背筋をピンとして扉が開くのを待っている。
「――様、参られました」
兵士の声に中から応答があり、扉が開く。足の長い赤い絨毯が目に入る。
「さあ、どうぞ。お入りください」
促されて部屋に入る。そこは謁見の間だった。数段上に設えられた椅子に座るのは、この城の主。つまりは――。
「お父様!」
「よく来たな。急がせてすまぬ。他の者は退出せよ」
国王の言葉に居合わせた者たちが退出していく。最後の侍従が扉を閉めると、わたしは階段のすぐ下まで詰め寄った。
「どういうつもりなのです、お父様、あんな――成功するかどうかもわからない術にすがるなど」
「仕方がないのだ。こうする以外、お前を守る方法がないのだ。わかっておくれ、娘よ」
だが、わたしは首を横に振る。
「わたくし一人が我慢すれば、全ての王国の民が救えるのです。何を迷うことがありましょう」
王はしかし首を縦には振らなかった。
「大丈夫だ。今回は複数の聖具を賜っておる。失敗するはずがない。そなたはこの父の元で笑っておればよいのだ、ブランシュ」
階段の下でうずくまる娘の中にいるわたしは、その瞬間に周りのもの全てが色を失って粉々に砕けて消えていくのに目を見張った。
――ブランシュ。
わたしは、この名を知っている。




