第1話:六人目の生贄令嬢、冷遇宣言を笑顔でスルーする
本作を発見いただきありがとうございます。
本日から順次投稿予定、全48話で完結です。
8月末で完結するように投稿しますので、ごゆっくりお楽しみください。
天蓋付きのベッドは、貧乏な実家で使っていたベッドの十倍は柔らかそうだった。
だが、その寝室を支配する空気は、まるで吹雪の吹き荒れる冬の辺境そのものだ。
「……随分と殊勝な態度だな」
低く、地を這うようなテノールが静寂を破った。
声の主は、アルベルト・フォン・ハルシュタット辺境伯。
年齢は二十八歳。隣国から「逆らえば国ごと経済的に干上がらせる悪魔」と恐れられ、武力ではなく知略と莫大な財力でこの広大な領地を支配する若き統治者だ。
彼は隙のない漆黒の夜会服に身を包み、腕を組んで私を見下ろしていた。
切れ長の鋭い青い瞳、彫刻のように整った鼻梁、そして冷酷に引き結ばれた薄い唇。
どこからどう見ても、一ミリの慈悲もなさそうな「冷血漢」の顔である。
(う、美しすぎる……! スタイルは八頭身だし、顔立ちは全盛期のハリウッドスター顔負け。しかも二十八歳という、ビジネスでも人生でも一番脂が乗っていてお金も持っている奇跡の黄金世代……!)
対する私は、ヴィオラ・フォン・ノイシュタット。今年で十八歳。
実家は借金まみれの零細貴族。辺境伯の「金の力」で、いわば生贄として無理やり嫁がされた哀れな娘――というのが、周囲の共通認識だった。
何しろ、私は「六人目」の妻なのだ。
過去の五人は、誰もこの男に愛されることなく、厳重な監視の末に全員が数ヶ月で追放されたという。
「ヴィオラと言ったか。お前に一つ、はっきりと伝えておく」
アルベルト様が冷淡な一歩を踏み出した。夜会服の生地が擦れる音が、妙に大きく響く。
私はベッドの端に腰掛けたまま、不安に震える「うぶな十八歳の少女」を演じるため、そっと膝の上で手を握り合わせた。
「はい、旦那様。どのようなことでしょうか……?」
上目遣いで、細い肩をわずかに縮めてみせる。
その実、私の脳内は前世の記憶――歌舞伎町で死ぬ気で這い上がり、やがて銀座の高級クラブに引き抜かれて頂点を極めた『伝説のNo.1ホステス』としてのプロフェッショナルな視点で、目の前の「上質な物件」を猛スピードで査定していた。
(ふむ、姿勢の良さからして自己管理能力は抜群。夜会服の仕立て、ボタンの意匠、カフスボタンに埋め込まれた魔石のサイズ……ふふっ、年収(領地収入)は我が実家の数万倍、いや数百万倍かしら。銀座にいた頃、こんな『超極上の太客候補』がフリーで来店したら、ホステス全員が殴り合いの争奪戦を始めていたわね)
そんな私の品定めなど露知らず、アルベルト様は冷酷極まりない、いつもの「冷遇宣言」を口にした。
「この結婚に、何一つ期待するな。私がお前に愛を与えることはない。会話も、そして夜の営みも、お前のような金目当ての女に与えるつもりは毛頭ない。お前はただの、外聞のための飾りに過ぎん」
冷え冷えとした声音。
過去の妻たちは、きっとこの一言で絶望し、泣き叫ぶか、あるいは怒り狂ったのだろう。
しかし、私の心の中に湧き上がったのは、絶望ではなく――熱いガッツポーズだった。
(期待するな? 愛をくれない? 夜の営みもナシ? ……えっ、最高じゃないの!!)
前世のキャバクラや高級クラブの営業を思い出してほしい。
「お前を絶対に愛さない、プライベートな関係も持たない、でもお金だけは山ほど払ってやる」というお客様がいたら、それはホステスにとって「神様」以外の何者でもない。
面倒な枕営業の強要も、ストーカー化するリスクもなく、ただ綺麗なドレスを着て美味しいお酒を飲み、相手の話を聞くだけで億単位のお金が動くのだ。
(しかも、この人は「金しか愛さない」実業家タイプ。男としては恋愛経験ゼロのチェリーちゃんとお見受けしたわ。こちとら前世で、ありとあらゆる業界の、一癖も二癖もある百戦錬磨の変態社長たちを手の平で転がしてきたのよ? こんな分かりやすい『ツンデレ・こじらせ男子』、イージーモードにも程があるわ!)
「お前――」
アルベルト様が怪訝そうに眉をひそめた。
私が泣き出さないばかりか、むしろその可憐な瞳に、一瞬だけギラリとしたプロの闘志が宿ったのを見逃さなかったらしい。
おっと、いけない。仕事中の顔になってしまったわ。
私はすぐに表情を「清楚で、健気で、それでいて凛とした深窓の令嬢」へと切り替えた。
すっとベッドから立ち上がり、床を踏み締める。
そして、銀座の最高級クラブでしか身につけられない、首の角度から指先の動きまで計算し尽くされた「完璧な作法(お辞儀)」を披露した。
「かしこまりました、旦那様。そのご意向、謹んでお受けいたしますわ」
「……は?」
アルベルト様が、今日初めてマヌケな声を漏らした。
その切れ長の瞳が、驚きでわずかに見開かれる。
「お前、今なんと……?」
「ですから、旦那様のご希望通りにいたします、と申し上げたのです」
私はあざといほどに美しく、しかし嫌みのない完璧な微笑みを浮かべた。
「愛がなくても、会話がなくても、こうしてハルシュタット辺境伯という偉大な男性の『飾り』として、この豪奢なお屋敷にいさせていただける。それだけで、極貧のノイシュタット家から這い上がった私にとっては、身に余る光栄でございますもの。お部屋も、このような素晴らしいベッドを私一人のためにご用意していただけるなんて、まるで夢のようですわ」
「……」
「旦那様のように、一領地をこれほどの財力で潤わせる合理的なお考えを持つお方と、こうして夫婦としての形だけでも同じ時間を共有できる。私は、世界で一番幸せな『飾り』でございますね」
完璧なトーン。完璧な「立て(おもてなし)」。
どんな偏屈な大物政治家も落としてきた、最高峰のコミュ力。
「お、お前……、本気で言っているのか……?」
アルベルト様は完全に毒気を抜かれたように、半歩あとずさった。
彼の頭の中では、「お前が私を愛さなくても、私はあなたを愛します!」と縋り付かれるか、「なんて冷酷な男なの!」と罵られるかの二択しかなかったのだろう。
まさか「飾り(※ただしニート生活確定)に指名してくれてありがとう、超合理的で尊敬しちゃう!」と笑顔で返されるとは夢にも思わなかったに違いない。
「ええ、もちろんでございます。……あ、ですが、一つだけお願いがございますの」
「……やはり、本性を現したか。金か? 宝石か?」
アルベルト様が、ここぞとばかりに目を鋭くした。
「金で釣られる浅ましい女」というレッテルを貼って、私を軽蔑したがっているのが見え見えだ。
だが、そんな手垢のついた要求をする私ではない。
私はそっと胸元に手を当て、ほんの少し首を傾げて、捨てられた子犬のような瞳で彼を見つめた。
「いいえ。……旦那様。これから、この広いお屋敷で一人で過ごす私に、どうか『お仕事』をいただけないでしょうか?」
「お仕事、だと……?」
「はい。私は飾りですが、ただ寝て食べるだけの穀潰しにはなりたくありませんの。旦那様のご負担を少しでも減らすため、書類の整理でも、領内の簡単な数字の計算でも、私にできることがあれば何でもお手伝いさせていただきたいのです。それが、私がこの家にいることへの『誠意』でございますから」
(そして、いずれはあなたのビジネスパートナーとして、その莫大な資産運用の相談役にまで上り詰めてみせる。最終的には『この女なしでは、もうお金儲けの計画が成り立たない』とまで言わせて、胃袋ならぬ『財布の紐と脳』をガッチリ掴んであげるわ!)
私の心の中の「夜の女王」が不敵に笑う。
アルベルト様は、私のあまりに真剣で、しかし清らかな眼差し(※演技)に完全に圧倒されていた。
大人の男としての余裕を取り戻そうとするかのように、彼は慌てて喉を鳴らし、そっぽを向いた。
「……勝手にするがいい。お前にできる仕事など、せいぜい古い帳簿の埃を払うくらいだろう。セバスチャン(筆頭執事)に言って、適当な雑用でも回してやる」
「まあ、嬉しい! ありがとうございます、旦那様!」
私は飛び上がらんばかりの「少女らしい」喜びを表現してみせた。
「……私は、仕事がある。今夜はここで失礼する。二度と私の寝室には近づくな」
「はい。旦那様も、どうかお仕事で行き詰まったときは、いつでもこのヴィオラにお申し付けくださいね。いつでも、最高のおもてなしでお迎えいたしますから」
アルベルト様は、何か言いたげに口を動かしたが、結局そのまま踵を返し、逃げるように寝室から出て行ってしまった。
バタン、と静かに扉が閉まる。
嵐のような初夜の対峙が、幕を下ろした。
「ふう。……よしっ!」
誰もいなくなった豪華な寝室で、私は小さくガッツポーズをした。
「初日の『接客』としては、掴みはオッケーね。さあ、ハルシュタット辺境伯様。私で六人目の挑戦者だそうだけど――。
覚悟しておきなさい。あなたのその冷たい仮面、私の知性とあざとさで、すぐに剥ぎ取って『世界一のデレ旦那』に育て上げてみせるから!」
こうして、元高級ホステスの私の、異世界「旦那様攻略ミッション」が幕を開けたのだった。
本日の投稿予定は 19:40 20:40です。




