第80話 十六日、②
(行程)京の都に入る。
(原文)
夜になして、京に入らむと思へば、急ぎしもせぬほどに月出ぬ。
桂川月明きにぞ渡る。
人々のいはく、
「この川、飛鳥川にあらねば、淵瀬さらに変わらざりけり」
といひて、ある人の詠める歌、
「久方の 月生ひたる 桂川 そこなる影も 変わらざりけり」
また、ある人のいへる、
「天雲の はるかなりつる 桂川 袖をひてても 渡りぬるかな」
また、ある人詠めり
「桂川 我が心にも 通はねど 同じ深さは 流るべらなり」
京のうれしきあまりに、歌もあまりぞ多かる。
(舞夢訳)
京の街には、夜になってから入りましょうと思うので、急ぐことはせず、ゆっくりと車を進めていると、素晴らしい月が見えて来ました。
人々が(懐かしいので、うれしそうに)言うのです。
「この(桂)川は、例の飛鳥川ではないので、淵も瀬も、やはり、何も変わっていませんね」
それを聞いて、ある人(紀貫之)が歌を詠みました。
月に生えている桂の名を冠した、この桂川は、その名にふさわしく、川面の底の月影までも、以前と何も変わることはありません。
また、ある人(紀貫之)が歌を詠みました。
天に浮かぶ雲のように、とにかく遥か遠くに感じていた桂川でした。
(ようやく)今になって、袖を涙に濡らして、渡ります。
また、ある人(紀貫之)が歌を詠みました。
桂川が私の(京の街への)恋しい思いを知っていることはないでしょう。
しかし、私が恋慕う心の深さと、同じ深さで、桂川も流れているのです。
京の都に入った喜びで、歌も特に多くなっております。
夜になってから、京の街に入る理由は、京の民衆に見られたくないため。
とにかく「イケズ」で「人を貶めることが大好きな」京都人である。(現代も全く同じ)
前土佐国守の「持って帰る荷物の多寡」で、余計な噂を立てられたくないのである。
※この川、飛鳥川にあらねば、淵瀬さらに変わらざりけり
元歌。
世の中は 何かつねなる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬となる」古今和歌集
この世は、一体何が不変であるのでしょうか。
まるで飛鳥川のように、昨日は淵であったところが、今日は瀬に変わるのですから。
懐かしい桂川に変化がないことを、素直に喜んでいる。




