取捨選択の揺らぎなき方針
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次回の更新は、3/30です。
ペニシリンとは抗生物質の一種であり、抗生物質とは微生物が作り出す、他の微生物や細胞の発育などを抑制する物質のことを指す。
抗生物質は細菌感染症などの治療や予防に広く使用され、種類も数多く存在するそうだ。
実は前世でも古代エジプトなどでは傷口にカビを塗ったり、カビをわざと混入した病人食なんかもあったらしい。
エイルさん達の大母様は、こっちの世界に渡ってくる前は「キュウキュウキュウメイ」というところでお医者さんをしていたんだとか。
十中八九、救急救命だろうな。
それで培った手術の手技は勿論のこと、手術用具とか医療器具や薬なんかも一族に遺して逝かれたという。
その遺産の一つがペニシリンとその製法だった。
大母様もペニシリンが本当に出来たときは、物凄く安堵なさったんだって。
「それが……『マンガ』っていうの? 異世界にはそういう絵物語があって、それで読んだのを学校の課題でやってみただけだから、こっちで上手くできるかは賭けみたいなもんだったんだってさ」
「えー……」
ワジュドさん宅の片付けに、滅茶苦茶時間がかかって気が付けば夜。
ラナーさんと鏡の中のワジュドさんは塒に泊り、私達は一度エイルさんの集落に帰ろうってことになった。
それでリヴさんやエムブラさんも交えて話し合った結果、ワジュドさんの塒の整理は一族の皆さん総出で、ラナーさんと一緒に明日やってくれることに。
まだ片付かないんだよ……。
それでイワクツキの物に憑いてるイワクは私がぶっ飛ばしたので、何の心配もないだろうし人海戦術でやってしまおうという。
ただワジュドさんの持っていたマジックバッグに関しては、念のために菊乃井で大掃除した方が良い。中にいるやつがマジックバッグに守られて、まだ憑いている可能性もあるからね。
とはいえ、そのイワクツキのイワクもマジックバッグから出た瞬間消滅確定だろうけど……。
それで色々決まったのはいいんだけど、帰るにしても夕飯の時間。
ご飯を食べてってという有難い申し出があって、今、お夕飯を皆でいただいている。
そこで出たのがペニシリンの話だった。
カビを集めて培養液を作り、ろ過と抽出、不純物を取り除くとか、複雑な工程と厳密かつ繊細な管理が必要なのだとか。
菊乃井にくればその情報を開示してもらうことになるけれど、いいんだろうか?
そういう質問をするとリヴさんは「構わない」と頷いた。
「ペニシリンは万能薬じゃないからねぇ。それにそれで助かる人が増えるなら、大母様に褒められこそすれ、叱られることはないよ」
そうなんだよな。
ペニシリンはあれば沢山の人の命を救ってくれるだろうけれど、万能薬ではない。
その言葉に「だからか」と大根先生が溜息を吐いた。
きょとんとレグルスくんが大根先生に「だからかって、どうしたんですか?」と尋ねる。大根先生は苦く笑った。
「鳳蝶殿が、どうして我らの学派にペニシリンという薬のことを告げなかったのか考えていてね」
「ああ……」
ペニシリンを作るだけの知識があったら話してたかも知れないけど、無かったからね。それに件の病にペニシリンが効くかどうかも、正直未知数だったから。
そういう未知数の物よりも、はっきり効くと分かっている疑似エリクサーを頼るのは自明の理じゃないかと。
それを端的にいうと。
「私は為政者なので。製法も存在も不確かなペニシリンの情報を研究者に与えるよりも、確実に件の病に対抗できる疑似エリクサーを迅速に確保する方を選んだだけです。感冒みたいな病は、時間との勝負もあるので」
「治すのに時間がかかる、あるいは感染した者が長く存在すれば、病が変質……成長するからかね?」
「はい。変質を起こさないように初期段階で抑えつつ、治療薬などを研究してもらう。そのために、あの時点でよそ事に気を取られてしまうことは避けたかったからです」
不確かでなく確実に出来る物で対応できるのであれば、まずはそれの確保。
平時であれば研究者の興味を優先しても構わないけれど、非常時には一切無視させてもらう。後々非難されようが、そこは曲げない。領民の命を守ることが最優先だ。
そういう意志を込めて大根先生を見上げると、大根先生は穏やかに、しかし苦みを滲ませて頷いてくれる。
「だろうなぁ。吾輩も気になったら、色々そっちのけで気になる方を研究しないとは言い切れない。見事な決断だったよ」
「いえ。本来ならペニシリンのことを皆さんに聞いてみたかったんですけど……。私自身も名前しか知らないし、『そんなもの本当に作れるの? どうやって?』と疑問だらけになったので」
「まあ、異世界の知識だからね。仕組みが分からないと説明のしようもないよねぇ」
エイルさんもリヴさんもエムブラさんも頷く。
実のところ、一族でも本当に意味が解っていて作業しているかと言えばそうじゃないらしい。
異世界で構築された化学とかまるっと無視で、ただ薬剤としての価値だけを求めた結果だよね。
こっちは魔術があるから、理化学系が前世よりは進んでいない。その代わり魔術と言う、あちらにはない学問が存在する。
あちらの理化学とこちらの魔術が合わさって、何か大きな別の学問が出来るかも知れないな。
それに新薬や今ある薬の効果を増減させる研究も捗るかも。
ヤバいなぁ、早いとこ学府をどうするとか決めないと。
やることは多いし、お金はないし。
この三歩進んで二歩下がるならいいんだけど、四歩くらい下がってるような頼りなさよ……。
やんややんやと焚火の傍で、一族の人が踊ったり歌ったりしている。
お引っ越し決定記念のパーティー状態で、皆飲んだり食べたりで賑やかだ。
薬草を扱うだけあって、料理にもスパイスや香草がふんだんに使われてて、マルフィーザとはまた違う味の系統なんだよね。
特に山鳥の中をくりぬいて野菜やお米を詰めた後、ハーブ塩で覆って焼いた塩釜とか、マルフィーザ特産の透明なライスペーパーっぽい食感の葉っぱに川魚のすり身をくるんで蒸した物とか。つけダレにもニラとネギに似た香草がたっぷり。美味でごじゃりまするぅ。
皇子殿下方も、最初はスパイスに苦戦してたみたいだけど、慣れてくると作り方をメモしてたくらい。
ノエくんと識さんもスパイスの使い方とか色々聞いてたな。
ノエくんはそもそもマルフィーザの生まれだから、スパイスの効いた料理が好きだったらしくモリモリ食べてる。
勿論レグルスくんも奏くんも紡くんもだし、先生方なんかとっておきのニガヨモギのお酒出してもらってるし。
そんな中、エイルさんがハッとした顔で私の手をツンツンつついた。
「忘れてたけど、あのドラゴニュートのオジサン。どうすンの?」
そういや、いたな。
まだ具合が良くないというか、気鬱というか。
問いかけに首を振ることで答えるようにはなって来たけど、やっぱり一言も話さないらしい。
今だって体調がいいなら宴会に参加したらと、一族の人も誘ったんだけど首を振って出てこなかったそうな。
ノエくんがいるからな。恥ってもんがあるなら出て来られない可能性はある。
恥を知っている性格ではなさそうな印象ではあるけども。
どうなっているにせよ、エイルさん達は近いうちにマルフィーザを離れて海の向こうに移住する。
その時には身の振り方を考えてもらわなきゃいけないんだよな。
一緒に来たいならそれでもいいけど、菊乃井では多分針の筵だぞ。
なにせノエくんは好青年というか好少年なので、ご近所の小っちゃい子からお兄さんお姉さん、オジサンオバサンお爺さんお婆さんに大人気なのだ。
「しょうがない、会って話してみますか」
「うん。任せちまって、いいかい?」
「はい、安んじて」
答えを返せば、エイルさんがほっとしたような表情になった。
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