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壺皿の思い

 石畳の床に転がる羅漢の生首を前に虎杖は安らかな笑みを浮かべる。

 やっと自らの家族を惨殺したその敵の無残な姿を拝み見ることができた。仁兵衛の首元につながっていた鎖を断ち切ってやることができた。

 だが悲しいかな、自らの命も断ち切られてしまおうかというところだ。


「大吾……、随分と借りば作って…しも……うたな……」


 荒い息を立てて、肩を上下させながら必死に立ち上がろうとするも、床に伏したところから、腰を浮かせることすらままならない。そんな不甲斐ない自分の姿に、先ほど仁兵衛に向けて言い放った言葉が脳裏をよぎる。


『仁兵衛、見ちょけ。これが人生三度目の大博打やぁ』


「……けっ、大見得切ってまたこんザマかい。仁兵衛ぇ、わしゃあ……、やっぱおまんには敵わんのう……」


 身体を動かしたい。奮い立たせたい。

 それはやまやまだが、力を入れて、全身に青筋を走らせるほど筋肉を震わせても、鉛のように身体はびくともしない。


「……せめて、仁兵衛……、おまんが娘と笑い合う姿……、見てから死にとかった……。まあ、こんも罰か。わしゃあ、……ダチ公んために自らん家族を供物に捧げた。とんだ罰当たりじゃ。……なんも……守れなんだ、自分への罰か……」


「大吾、後ば任せた……。あんふたりの笑顔を拝み見るんは、おまんにくれちゃる。わしゃあ、地獄ん底から遠目で見ちょくけえ」


 引導を大吾に明け渡し、自分はここでのたれ死ぬという虎杖。大吾は虎杖の前に立ち、力なく倒れ伏す彼の身体を自らの陰で覆う。間もなく屍になろうかという、血にまみれた身体だ。


「――ふざけんな、立てよ」


 だがそんな虎杖の願いを大吾は聞き入れてはくれなかった。


「最後までかっこつけて死のうとしてんじゃねえよ。ぼろぼろの身体引きずってでも、いいじゃねえか……」


 大人しく死なせてくれという虎杖の身体が、聞かん坊によって肩を担がれる。かすかに聞こえる虫のため息をついて、呆れの混じった薄ら笑いを浮かべる。


「見に行こうじゃねえか。その笑顔ってやつをよ」


 呆れながらも虎杖の脚は自らの身体を支えようとしていた。立ち上がることは叶わなかったが、肩を借りて歩み進むことならかろうじてできる。


 それがいつまで持つかは知れないが。


(いや、持ってくれ……。……せめて、あと少しでも)


 がくがくと頼りなく震える、虎杖の足取りに引っ張られながらも、ふたりは少しずつ少しずつ歩みを進める。仁兵衛を匿っていた地下の深くから石造りの階段をゆっくりと上がっていく。


 そうすれば、地下の一階。イカサマや盗みを犯した罪人を閉じ込めておくための牢屋が並んでいる。そこにひとつ、ひどく荒れた様子の牢屋があった。石壁が崩れ、ぽっかりと大きな穴が開いている。その牢屋をちらりと流し目で覗いたとき、言いようのない悪寒を大吾の背中が襲った。


(もう少し……、少し……だけでいい)


「さらばだ。愚人よ」


 背後から聞き覚えのある憎たらしい声。それが響いた後。皮膚をつんざく鋭い音が自らの肩によりかかる虎杖の身体を伝って聞こえてきた。大吾は首に回された手がだらりとすり抜けて崩れ落ちる虎杖を抱きかかえ、その肩を揺さぶる。だが、息は既になかった。後頭部、頸動脈の箇所を正確に一本の毒針が貫いていた。


「虎杖っ!おい!虎杖っ!しっかりしろっ!」


 呼びかけるも、彼は帰らない。

 冷たくなってしまった彼の体温が、大吾に伝わる。――そこで、彼は虎杖の最期を悟った。


「……、まだ見れてねえだろうがよぉ、屍でも構うもんか」


 それでもなお、大吾は動かなくなった虎杖の身体を背中に背負い、震える足取りで先を進んでいく。蝶番の錆びた鉄の扉が見える。


 地下牢の出口だ。


***



「なんとか外に出られたな」


 櫓と櫓を無数の縄で渡し、それに無数の提灯がぶらさがり、月明かりを追い越さんと闇街の地面を照らす。そこに一軒の賭場が、ここに来た時は客も入っていて賑わっていたが、今やそれもこの闇街の縄張り争いに巻き込まれ、もぬけの殻だ。身体には傷を負い、刀で切り裂いた右手には衣服を破って自ら止血帯を施しているが鋭い痛みが冗長に襲う。失ったものは大きい。自分が負った深手。ここに来るまでに斬った人の数。たとえ、仁兵衛と蘭華を外まで連れ出せた今でも、心の中はどこか複雑だ。何よりも。何よりも……。


『ああ、これは三人、いや……四人の約束だ。必ず、生きて帰る……』


 その約束を交わした相手の安否が心配だ。虎杖の賭場を見つめるアザミの背後で仁兵衛がゆっくりと跪く。三つ指を立てて頭を下げる仁兵衛。


「……アザミと言ったか……一つ礼をしたい」

「…私は頼まれただけだ。お前を最後に救ったのは」


その礼を受け取ることを拒否するかのように、仁兵衛の前からアザミは離れ、かぶっていた三度笠を蘭華の頭へと返す。


「他のだれでもない。蘭華こいつだろ。

 だから礼は、こいつにくれてやりな」

「あ……アザミさ……ん」


 三度笠の奥から蘭華の声が少しだけ涙声になっているようだ。そっと微笑みかけ、アザミはもう一度虎杖の賭場を見やる。

 影が見えた。小さな影が。影はゆっくりと近づいていき、遠近法でその大きさを増していく。それが目に入るや否や、アザミは確信し、その影のもとへと腕を大きく振って駆けて行った。


「大吾っ!大吾っ!無事か!」


 大吾は背中に一人の男を背負っている。大吾の命に別条はないが、背中に背負われた男から精気は感じられない。

 さらに、アザミの無事かという問いかけに対して、口を数秒つぐんだ後に、「ああ」とたった一言しか返せないでいる彼の様子に、アザミは事のすべてを悟った。背後を振り返り、仁兵衛を直視はできないが流し目で見やる。拳が力強く握られかすかに震えている。


 そして地面に一滴、仁兵衛の頬を伝った涙が零れ落ちた。




*****



 籠女から歩いてほどなくしたところにある寺院の一角にある墓地。境内には一本桜の立つ小高い丘もあり、その桜の木の下には羽沼が弔われている。その墓地に新しく立てられた卒塔婆が一本。墓標の名前は虎杖と書かれている。その前に手を合わせるは、アザミと大吾だ。ふたりも手向けの花を持ってきているが、既に卒塔婆の前には花が二束供えられていた。


「先を越されたか」

「……のようだな」


「にしても、虎杖という名前を坊さんに伝えただけで、気味悪がってたな」

「闇街の賭場を収める極道……。その墓をつくってほしいなんて頼み込む時点で、極道に片足突っ込んでるみたいなものだ。諦めて、白い粉でも運べ」


 そう言って、アザミが薬包紙に包んだ白い粉を取り出す。


「お前が運んでるんじゃねえか!」

「勘違いするな。これは清めの塩だ」


 そして卒塔婆の周りにくまなく塩をまく。卒塔婆の周りに草が生えるのと、むやみやたらに墓場をさまよう霊が中で眠るものを妨げることを防ぐためだ。


「しっかし、遊女の次は極道まで弔うとは……。俺たちも随分と厄介ごとに手を突っ込んできたな」


「そういえば、少し気にかかるものを拾った」


 ひとしきり塩をまき終わったアザミが懐からあるものを取り出す。護身用の短刀で、大吾が携えているものとよく似ている。そして、黒光りする漆の塗られた鞘に、交差した一対の鉤針が金箔で描かれていた。それを見て大吾も自らが腰にさす短刀を取り出す、その鞘にも同じ飾りが施されている。


「……、こいつは……」

「……血抜き屋の者を表す紋章だ。上からの命でその血のつながった者をひとり残らず、この世と戸籍から抹消する。闇の仕事人だ」

「……なぜ、そんなものを持っている……お前……」


「俺の両親は、その血抜き屋に惨殺され、家も焼き払いにあった」


 大吾本人の口から彼の凄惨な過去が吐露され、アザミは狼狽える。それが作り話ではないということが、大吾の目からも読み取れる。何より、大吾はアザミが知る限り、嘘をつく男ではない。だからと言っても、いや、だからこそ大吾の過去はアザミにとってまさに寝耳に水だった。


「……だから、俺には分かるぜ。寄る辺がない苦しみも。守るべきものをすべて失った……悲しみもよ……」


 だが、そんな過去を背負っていながら大吾は、墓の中で眠る虎杖に優しい微笑みをかけていた。その表情を見て、アザミの顔からも狼狽は消え、鏡に映い多様に優しい笑みが代わりに浮かびあがってくる。ふたりは仏花を先に供えてあった二束の花束の隣に添え、ゆっくりと手を合わせた。


「大丈夫だよ。お前はきっちりと守り通したさ」



*****



 青空に日輪が燦々と光り輝く晴れ間の下、少女はひとりきりでブランコを揺らしながらも、頭を垂れていた。少女の視界の中では、渇いた地面が、金属のきしむ音と合わせて前後に揺れるのみだ。そこに渇いた地面を踏みしめる足音が加わる。


「おい、なんつう顔してんだ…」


 彼女は歪んだ顔をそっとほどき、三度笠の中で密かに口角を上げた。


「ガキなら笑って見せろよ」


 子供は子供らしく笑っていろと。そこで、少女は三度笠をもう一度深くかぶり直し、せっかく浮かべていた笑みをわざと隠すようにする。


「おじちゃんは、何しに来たの……?」


 少々捻くれた言動からも彼女が孤独に慣れっこになってしまっていることが読み取れる。

 三度笠をかぶった股旅姿のその男はゆっくりと静かに口角を吊り上げた後、少女の前に藁の盆御座を敷き、懐からサイコロをひとつ取り出して転がす。さらに壺皿を取り出し、盆御座の上に腰を下ろす。


「……、お前のもとに戻って来たのさ。さあ、遊ぼうか…」


「チョボイチでもするか? 生憎だが、サイコロがひとつしかねえんでぃ。昔にどっかの馬鹿に、やっちまったからよぉ」


『せめて言うならそのさいを渡しに来ただけだ。いつか…、運が尽きたろくでなしにあったらそれを渡してくれ』


 その言葉を思い出し、少女は懐からひとつ、サイコロを取り出す。


 昔にどっかの馬鹿にもらった大切なサイコロだ。ブランコから腰を上げて、男が公園に敷いた盆御座の上に上がり、正座をする。三度笠が、肩が少し小刻みに震えている。男はうっすらと慈愛に満ちた微笑みを三度笠の中で浮かべ、壺皿の中でサイコロを転がす。


 その壺皿を少女の手が持ち上げ、自分の持つサイコロをその中へと転がした。


「……ちょぼいちなんて……、寂しいじゃない…ですか……」


「……ひとつよりふたつのほうが……いいですよ……。ひとりより、……ひとり……より……ふた……りのほうがいいですよ」



「だから……、丁半にしま……しょう……」


「……。何に賭ける?」


 少女の頬を涙が伝い、三度笠を脱ぎ捨てがばりと勢いよく、男の胸に抱き付く。

 それに応えるようにして男も少女の背中に手を回す。


 盆御座が揺れて、二つのサイコロの上にかぶせて置いた壺皿が倒れ、サイコロの目が露わになった。


「……丁……で……」





 サイコロの目は、ピンゾロの丁だった。





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