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丁か半か

 昼間だというのに、青空が顔を出す隙間もない曇天のせいで辺りは薄暗い。

 灰色の世界に冷たい、冷たい雨がざあざあと降りしきる。雨にさらされて鎖の錆びついたブランコが少女を乗せて、きぃきぃときしむ。


 少女は無邪気にブランコを揺らして遊ぶでもなく、ただただ頭を垂れて雨脚と金属の悲鳴に聞き浸っていた。――前は見えていない。少女の視界の中では、ぬかるんだ地面が、水をたたえて、濁った水面に波紋が描かれるのみだ。

 そんな視界で満足するのは、おそらく彼女の心の中もまた鉛色だからだろう。


 聴覚が捉える世界も、雨脚とブランコのきしむ音。非常に淡白な世界が彼女の周りを取り囲んでいた。そこに、ぺちゃりぺちゃりとぬかるんだ地面を踏みしめる足音が加わる。


「おい、なんつう顔してんだ……」


 彼女は顔をゆがめながらも、自らを取り囲む孤独に甘んじていた。


 足音の主など気にも留めていなかったが、その主が声をかけてきたのだ。


「ガキなら笑って見せろよ」


 子供は子供らしく笑っていろと。

 そう言われてもなお、彼女は口角を上げずに暗い明後日の方向へと歪ませた。まるで筋肉が笑い方を知らないように。


「おじちゃんは、なに? ひとりぼっちのあたしを、笑いに来たの?」


 少々捻くれた言動からも、彼女が孤独に慣れっこになってしまっていることが読み取れる。三度笠をかぶった股旅姿のその男は、ゆっくりと静かに口角を吊り上げた後、少女の前に藁の盆御座を敷き、懐からサイコロをひとつ取り出して転がす。さらに壺皿を取り出し、盆御座の上に腰を下ろす。


「お前と遊びに来たのさ……」

「何言ってるの? 知らないおじさん」


「――知らないおじさんか。いい名前だ。賭け事の運のために、他の全ての運を捨てた甲斐性無しにはふさわしい」

「本当に何言ってるの? そして、サイコロ遊びでもするの?」


 捻くれた上に、年頃の生意気が加わって少々口答えの多い少女。

 男はうっすらと悲しげな微笑みを三度笠の中で浮かべ、壺皿の中でサイコロを転がす。そして、その手を止めて中の目を当てろと言う。

 これは「ちょぼいち」と呼ばれるサイコロを使った賭け事のひとつ。たったひとつのサイコロだけを使うという単純さで、馬鹿でも貧乏人でも初心者でも誰でもできるとして親しまれている。


「子供でもわかるわよ、そんなの分かるわけないって。1から6まであって、ただそれだけ、それを当てるだなんて、なんの手がかりもないじゃない」

「手がかりがなくても、当てないといけないとしたら?」


「あてずっぽうってわけ? じゃあピンで」


 ブランコの上から、ふくれっ面になりながら乱暴に吐き捨てる。

 かわいい盛りのはずの子供が、なんともふてぶてしい。


「奇遇だな、俺もピンだと思っていたんだ」

「なに、あいこってわけ?」

「じゃあ、それはお前に譲るさ……」


 賭ける目がかぶってしまった。こうなればどちらかが自分が賭けた目を譲り、他の目に賭けるというのが通常。ところがこの男、少女に自分が賭けた目をサイコロごと譲るというのだ。狼狽する少女を背に、男はサイコロを置いてその場を去ろうとする。


「ま、待ってよ! 本当に何しに来たの!?」

「さあな、わからん……」


「せめて言うならそのさいを渡しに来ただけだ。いつか、運が尽きたろくでなしにあったらそれを渡してくれ」


 男は三度笠の中で再び笑っていた。

 背後から話しかけられても振り向くことなく話すその背中は、なにか自分に負い目があるかのようにも見える。歪んだ笑顔も、少女に向けてのものというよりは、自分に向けた自嘲なのかもしれない。


 そして、背中はそれっきり何も語らずにその場を後にした。ひとりの少女と、ひとつのサイコロを置いて行って……。




*****




 稽古に励む遊女たちの三味線の音が木霊する。それに合わせて扇を取り、艶めかしくもどこか品のある舞をする者もいる。すべては灯の昇る夜に向けての腕慣らし。

 ここは籠女かごめ。籠に入れられた女の国。


 猫皮の上を渡る三本の弦の上に撥を滑らせるは、遊女たちの稽古づけをしている杏。その艶やかで巧みな手つきは、彼女が現役の頃から三味線の名手として廓を賑わせてきたことを思い起させる。


「アザミ、あんたも三味線のひとつくらい弾けるようになったらどうだい?」

「あたしは客もとらないし、座敷にも上がらない」


 だが、稽古の相手はどうも乗り気ではない模様。アザミという名で呼ばれているこの女性。客もとらず、座敷にも上がらないどころか、着物さえ来ておらず、黒いスキニージーンズに黒いタンクトップをし、腕には黒い包帯を括り付けているといった、何とも畳の部屋には似合わない出で立ちをしている。彼女――アザミは、女が金をもらって男を侍らせて、さらには床まで交えるという遊女、女郎という仕事を忌み嫌っている。

 にも拘らず、この籠女に彼女は売りに出されてしまった。遊郭にいきり女は貞操を男に売る。この異常でない異常を受け入れはせず、結果彼女は遊郭の治安を守る活動をしている。普段なら外に出て見回りをしているのだが、ここ最近は窓の外を見て、ぼうっとすることが多くなってきた。


「最近どうしたって言うんだい」

「な、なにがだ?」


 そんなアザミの異変の原因を、杏は感づいていた。それもずっと前からだ。


「待っててもあいつは来なんかしないさね」

「だ、誰が大吾のことなんか待ってるかよ!」

「誰が大吾のことだって言ったかい?」

「ぐ……」


 杏の一言で自分が非常にわかりやすい反応をしてしまったこと、そして自分が杏の煽りにまんまと乗っかってしまったことの両方に気づく。気付いてしまったところで不器用なアザミには頬を赤らめて狼狽することしかできない。

 

 そんな彼女の様子を見て、杏は三味線とともに腹を抱えて大笑い。


「わ、笑わなくてもいいだろうが!」

「いや、あんたが男を好くだなんてねえ」

「好いてなどいないわ! たわけ!」


 反論するも、その度に頬の赤みが増していく。

 はたから見れば、アザミが必死に目を背けようとしている想いなど、まるわかりだ。

 よって、杏の笑いが止むはずもない。だが彼女とて、アザミのことを馬鹿にして笑っているわけではない。

 今まで、女らしい素振りひとつすら見せなかったアザミが、好きな男性のことを尋ねられて頬を赤らめる。そのことを内心嬉しく思ってもいるのだ。


「大吾なら当分来ないだろうさね。――あたしが原因であるところもあるんだけどね」


「何のことだ?」


 杏が言うには、ほんの数週間前に起きた、籠女をとりしきる高官の暗殺と遊郭の焼き討ち、それによって出た損害の一部を大吾が肩代わりしたというのだ。

 一連の事件は、籠女の遊女から高官の正室として召し抱えられた葉沼と杏の共謀によるものだった。そのことから大吾がすっかり廓に姿を現さなくなったことに責任を感じている模様。


 アザミと大吾はそのときに、事件を解決すべく共闘した仲である。

 逆に事件などなければ、女遊びの激しい大吾を恋い慕うなどまずない話だ。


「あたしには責任がある。ちょうどお詫びの差入れをしようと思っていたのさ。あんたが渡してくれたんなら、大吾も喜ぶだろうさ」


 そう言って、日本酒の一升瓶を取り出す杏。

 上客でなければ出さないような名酒だという。安酒ばかり飲んでいる大吾には、少々不釣り合いな代物かもしれないが、詫びを示すのにもったいぶってはいられない。

 

「おつかいというわけか」

「そのお酒はうちの上客にしか出さない美酒だから、丁寧に渡すんだよ」


「あの男が丁寧に酒をたしなむとは思えんがな」

「はぁ、気を抜くとすぐに可愛げがなくなるんだから。籠女の外に出るのは久しぶりだろう。寄り道でもしてきな」


「待て。 肝心の届け場所は? あいつは今どこにいる?」

「金がない今なら、『稼ぎ場』にいるだろうさ」



***



 通りにぶら下がる無数の提灯にはまだ灯はともっていない。まるで祭りの夜店のようにひっきりなしに提灯や行灯が続くその街並みは、そこが眠らない街であることを物語っている。平屋の中からは威勢のいい女の声が木霊しており、よく聞くと「丁か半か、さあ、はったはった」と聞き取れる。露天商では、官能を扱った書物や男根をかたどった木彫りが売ってあったり。籠女が色町なら、こちらは闇町といったところ。その闇町で賭け事にいそしむ男がひとり。


(ここは丁か……、半か……。さっきは四の目と一の目でヨイチの半だったから、今度は丁か……)


 男は迷っていた。丁半。壺皿の中に入れられたふたつのサイコロ。その目の合計が偶数なら丁、奇数なら半だ。男はこの場所に足しげく通っているのだが。


(いや、待てよ。二回連続で半ということもある。確率的には、丁も半も半々だし、しかしやっぱり丁……。いや、半……、丁……)


「大吾の旦那、早く決めやせんと進みませんぜ」

「わかってる!」


「旦那ァ、そう迷ったってどうせ勝てやしねえよ」

「みみっちぃ男だね。あんまり無様な真似するようじゃ追い出すわよ」


 他の博徒たちからはおろか、胴取りをする女からも煽られる始末。どうやら勝負強いわけでもツキが強いわけでもないようだ。


「ああっ! もうわかったよ! 丁だ!」

「旦那ァ、もう賭けるコマ札がありませんぜ」


 言われて気付いたこの男。

 そう、とっくに勝負運もツキも見放されていた。


 それどころか、なけなしの金を増やそうとしてはたいたコマ札が、ここに来るまで負け続けたおかげですっかりなくなってしまっていたのだ。


(ス……スッただと……、そ、そんな。ここに入るころはまだ今月乗り切れるくらいはあったはず。ここで勝てば今月どころか人生遊んで暮らせると思って賭けに出たのに。もはや今月どころか、この場すら切り抜けられない一文無しになっているだと……)


(――くそ、どうすれば……どうすれば……)


(いや……、俺はまだやれる……)



ざわ……、ざわ……。

ざわ……、ざわ……。



「GOだっ……! 俺は指を賭ける」

「何やってんだ、あんたはぁあっ!」


 背後から酒瓶が振り下ろされ、酒の飛沫とガラスの破片が畳の上に散乱し、血みどろになった大吾が倒れた。あたりは賭け事勝負の合間に水を差したこのバイオレンスな女に白い目を向けている。


「何どさくさに紛れて雑なパロディ挟んでんだっ」

「……そ、そうだよな。どうせなら顎も尖らせないとだめだよな」

「いや、そういう問題じゃないっ!」


 酒瓶で殴られて頭は血まみれだというのに何事もなかったかのように起き上がる大吾。そしてそんな驚異の生命力を前にしても一切そのことに触れない女。


「つうか、アザミ。なんでこんなとこいるの?」

「おまえに酒を渡して来いと杏に頼まれた」


「こんなダイレクトな渡し方誰も望んでいねえよ」


「というか、その酒は……?」

「え……」


 そう言って額に滴る血を手で拭い、畳の上に転がった酒瓶の亡骸を指さす。もうすっかり割れてしまって、中身は空っぽ。空しくも畳のい草の隙間に酒の香を染み込ませているのみだ。からりと転がり、酒の銘柄が皆の目に入る。



 古代米最高級特殊吟醸 『傾城美酒』



「……おい、あれ……傾城美酒って……」

「そこいらの酒屋じゃまず置いてない。置いていても売ってくれない。最低でもうん十万はする代物だぞ」


「……え……、これ、そんなにするの……?」

「ああ、よくもそんなぞんざいに扱えたもんだね」


 簡単には手に入れられない高級酒で人の頭を殴るアザミには、胴取りの女も呆れ調子。杏が渡したものは、それなりに良い酒とは聞いていたが、まさかうん十万もするような代物だったとは。


『そのお酒はうちの上客にしか出さない美酒だから、丁寧に渡すんだよ』


 杏の言葉がアザミの脳裏をよぎる。


(や……やってしまったぁ……。だいたい、なんでうん十万もする高級酒をこの甲斐性なしにあげようとしたんだよ! こんなやつ『ワン〇ップ大関』でいいだろうが! もしくは、『鬼こ〇し』の牛乳パックにストロー突っ込んでチューチュー吸ってればいいだろうがっ!)


「はぁ~あ、よっりにもよって杏がよこした酒を。それも高級酒を台無しにしちまうたあね」

「うるさい! だいたいあんたが金がないからって、こんなとこでギャンブルに勤しんでるのが悪いんだろうが! 鉄骨でもわたってろ! このバカ! 少しは働け!」

「こちとら火消だぞ。街が平和だと仕事がねえんだよ!」


「そこ、賭け事しないなら、さあ、帰った帰った。博徒は、無粋な奴らは嫌いなんだよ」


 状況をわきまえず大声でケンカをするふたりを胴とりの女は手を払う仕草をして追い返す。

 すっかり冷静さを失っていたが、考えてみれば自分たちは場を荒らしているだけだ。おまけに畳の上にガラスの破片やら酒やら散らかして、損害まで与えてしまっている。


 この状況で、ふたりがとるべき行動は――


「こいつの分はあたしが肩を持つ。あたしは半で。コマ札はとりあえず三千円分の三本で。大吾、お前はどうする?」

「なんでお前まで賭け事に参加してんだぁ!」


「しょうがないだろ。うん十万もする高級酒ぶちまけちまったんだから。店の修理代も払わないといけないし。あ、勝って買いなおした酒はもとの通り、お前に渡すから安心しろ。――その代り……、協力して勝ってくれよな」


「いや、さっきまでの俺とやろうとしてること変わらないけど!」


「うるさい、人の金で賭けようとしているやつに言われたくない」

「お前が勝手に貸したんだろうが! 冗談じゃない。人に貸された金で勝ってもなんも嬉しかねえ、俺はこの勝負降りるからな!」


 賭け事に参加したのはいいが、結局ケンカを始めてしまうふたり。


 その場を去ろうと大吾が立ち上がったその時、障子がひとりでに開く。現れたのは三度笠をかぶった、賭博場にはとても似合わないまだ齢十歳ぐらいの少女であった。


「勝負を降りて賭博場を逃げ出すとは……、博徒の風上にも置けないね。あんた……」


 天を仰ぎ見るほどの体格差の大吾に向かって、年齢に似つかわしくない落ち着いたアルトボイスで煽り立てる。小生意気なガキがと口を開きたくなるが、その小さな背中から醸し出されているただものならぬ気迫がそれを踏みとどまらせる。幼い少女に気迫という言葉も、なんとも似つかわしくない。


 だが少女を見つめる博徒たちの目からは何故か畏怖の念のようなものを感じる。


「あんたが降りるってんなら、あたしが引き受けるよ」


「あ、あれは……、幼いながらも破壊的なツキの良さと勝負強さで名を馳せているという。てっきり都市伝説かと思っていたが……」

「まさか、ここで姿を拝めるとは……」


「これは面白い客じゃないかい。蘭華らんか……何に賭ける?」


 少女の名は蘭華。

 齢幼いながら、博徒の間にその腕で名を轟かす博打打ち。


 三度笠のふちを右の手で少し持ち上げ、幼いながらもどこか妙に大人びた顔つきで、唇を控えめに開く。



「丁で」




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