その349 ナナミと舞以:前編
廃墟の街並みを、二人乗りのベスパが走り抜けていく。
すでに二人は首都高を抜け、皇居をぐるりと回るコースを通っているところで、あとはなんとなく”ゾンビ”のいない道を選びつつ渋谷方面へ向かうだけ。
うまく”ゾンビ”たちが一カ所にまとまっていたお陰で、連中を誘導するのはかなり簡単だった。もちろん全て、ナナミが《パレード》を起動しているためである。
”ゾンビ”たちは、つかず離れずの距離で走る原動機付き自転車を、無尽蔵の持久力によって疲れもせず、狂ったように追いかけてきていた。
肩にかけたスピーカーから聞こえる音楽はモーツァルトのアルバムからランダム再生されていて、これは彼女の趣味ではない。中継地点のビルの持ち主から拝借したものだ。
それは決して爆発力のある音ではなかったが、これはこれでシュールである。
後部座席で後ろ向きに座ったナナミは、つかず離れずの距離で疾走する”ゾンビ”たちに両手を広げて、
「――凡庸なる人々よ、罪を赦そう。罪を赦そう。汝らの罪を赦そう」
壊れた凡人たちからの返事はない。
ただ、背中から、
「『アマデウス』ね。――懐かしいなー♪ 一緒に観たよね。パパの寝室で」
「ええ……あれは良い映画だったな」
「そだったねぇ」
「そういえばあなたのお父さん、いま何してる?」
「とっくに死んじゃった♪」
「そっかあ」
そして、沈黙。
舞以のことは、色々と知っているようでいて案外、何も知らなかったりする。
ライバルだったのだ。”終末”が訪れる前の彼女は。
今となっては、向いている方向そのものが変わってしまっているが。
ぼんやりと過ぎゆく時間に、口を開いたのは舞以だった。
「ところで一つ、聞いて良い?」
「なに」
「もう小説、書かないの?」
「は?」
「”終末”前はあなた、ちょっとした文学少女だったじゃん? オタクっていうべきかな」
「一緒にしないでよ」
そこは個人的に、しっかりと分けて欲しいところ。
彼らは自分の弱さに溺れることがある。ナナミはそうならないと誓った。決して。
「書かなくなったのは、”王国”のやり方に順応したから。動画の方が、ぱーっと笑ってスッキリして、それで終わりにできる。いろいろ難しいこと考えずにいられるでしょ。……この世の終わりとか」
「じゃ、みんなのために方針転換したんだ」
「まさか。金のためよ。マネェマネェ」
「お金のためにやる物作りはみんなクソとか言ってたじゃない。真理を遠ざけるから、って」
「若かったのよ」
「十代でそれ言うかなぁ?」
でも、事実だ。
そもそも、大衆を啓蒙しようという考えそのものが傲慢だった。
真理というものは、説教がましく押しつけるものじゃない。
たっぷりのユーモアの中にさりげなく一さじ、隠し味にするくらいがちょうどいい。
「そっちこそ、――ずーっとおんなじダンスばっかり投稿して。よく飽きないわね」
「同じ演舞に見えて、結構違っているのよ。流れてる音楽とか」
「それで食えなくなって、汚れ仕事まで請け負うようになっちゃあ、お仕舞いでしょ」
「芸の道は茨の道だわ。そんなの、子どもの頃から言われてきた。すべて覚悟の上」
「そこまでストイックにはなれないなぁ」
「ストイックに見える? 私、いつもニコニコ楽しいよ」
「あたし、生活に不満があったら午前中はずっといらいらしているの」
「見解の相違ねー」
「あんただって実はそうなんじゃない?」
「生活の不満は工夫で乗り切るタイプだから」
「工夫、ねえ」
ふとそこで、彼女をどうにか言い負かそうと躍起になっている自分に気付く。
この、誇り高い友人が、――私の人生はとてつもなく不幸で哀しくて、自分の考え方は何もかも間違っていたから助けてください、みたいに頭を垂れるようなことなど、永遠にないだろうに。
舞以に対してはずっとずっと、コンプレックスがあったのだ。
”終末”でも変わらず、自分のスタイルを貫き続けられる彼女に。
そしてそんな彼女が、少し歯がゆくも感じられた。
彼女の才覚なら、もっともっと上を目指せるはず。
たった一言、自分と組みたいと、そう言ってくれれば……。
だが、彼女は決して、そうは言わなかった。
だから今回みたいに、護衛という名目で、彼女を雇う必要があったのだ。
とはいえ、無理に時間を作っても、そううまくはいかないもの。
二人の行き違いはつまり、生き方に対する姿勢の違い。
頭を下げるということは、自分の人生を否定することになる。
言葉を取り繕うことはできても、生き方まで取り繕うことはできない。
「……………………」
「……………………」
気まずい沈黙が、しばらく続いた。
後ろを追いかけてくる”ゾンビ”たちにちょっと手を振ったりして。
こいつらきっと、悩みとかないんだろうな。
再び沈黙を破ったのは、舞以だった。
「ねえ」
「うん?」
「ひとつ、びっくりな告白、してもいい?」
「なあに?」
「私、実は先週、誕生日なの」
「へ」
一瞬、ひどく意表を突かれて、
「えっ。えええええ!」
つまりそれは、――
「あんたあたしと同学年だから……もう二十歳ってことでしょ。じゃあ、蘇生できないよ?」
「そういうことになるかなー☆」
「ふっ、ふざけないでよ。じゃあもう、ヴィヴィアンじゃあいられないじゃん」
「年齢詐称してるヴィヴィアンなんてあちこちいるよ。クドリャフカちゃんなんて、28だし」
「あのクドリャフカが……? そういうウワサはあったけど」
「そ。びっくりでしょ? 彼女、童顔だからみんな気付かないのね」
いやいや落ち着いて。
追求すべきはそっちじゃない。
「ってかじゃあ、なんであたしについてきたの? 運転手は犬咬くんでも良かったのに」
「そりゃまー、あなた、むざむざ死ぬつもりだったみたいだから」
「なんっ……」
ぎくりとする。背中合わせに座っているから、きっとこちらの動揺も見抜かれたに違いない。
あるいは、心臓の音も全部、聞かれているかも。
「あなたの自殺に、お腹の子どもも巻き込まれちゃ可哀想じゃない?」
その意図は明白だ。
舞以は、……彼女自身の命を人質に取ったのある。
他でもない、根津ナナミを生かすために。
なんと応えればいいかわからず、ナナミはしばし眉間に皺を寄せた後、
「ばか」
と呟いた。
舞以は、
「あっはっはー☆」
と、門番をしている時みたいに、明るく笑うだけ。
ナナミの脳裏にはふと、昨日の一件が蘇っている……――。




