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異世界鉄道王物語  作者: 蒼屋 瑞希
第一部 窓辺の王女と、地下の水音
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17/17

リリーの抜け道

 翌日の夕方。


 テオが石橋の下に着くと、鉄格子の向こうから、ぱっと明かりが灯った。


「遅いわよ、テオ」


 小さなランプを掲げたリリーが、アーチの中から顔を出していた。茶色い外套のフードの下で、青い瞳がきらきら光っている。


「まだ約束の時間前だよ」


「わたしは、もっと前から待ってたの」


 リリーは、なぜか得意げに胸を張った。


 テオは、鉄格子をくぐりながら、エマとの約束を思い出していた。


「リリー。今日は、夕食の鐘の半刻前には戻ろう」


「えっ、半刻も前に?」


「この前みたいに、ぎりぎりで走るのは嫌だろ」


 リリーは、少しだけ唇をとがらせた。それから、ふっと表情をやわらげた。


「……そうね。またエマに叱られたら、今度こそ鉄格子に錠前をつけられちゃうかもしれないもの」


 テオは、思わず咳き込みそうになった。


◇


 アーチの奥は、思っていたより広かった。


 最初の数歩こそ四つん這いだったが、すぐに天井が高くなり、腰をかがめれば歩けるほどの通路になった。左右の壁は、ぴったりと噛み合った石で組まれている。足元は乾いていて、ゆるやかな上り坂が、城のほうへまっすぐ延びていた。


 テオは、壁の石にそっと手を触れた。


 紙一枚差し込めないほどの、隙間のない石組み。


 村の古井戸の下で見たのと、まったく同じだった。


「すごいでしょう、この道」


 先を歩くリリーが、振り返って言った。


「九つのときに見つけたの。北の塔のいちばん下の物置にね、使われてない古い井戸があって。その中に、石の階段がついてたのよ。降りてみたら、この道につながってたの」


「九つ……一人で?」


「もちろん。最初は、すっごく怖かったわ」


 リリーは、くすくすと笑った。


「でも、どうしても確かめたかったの。この道が、どこにつながってるのか」


 腰の水筒袋の中から、ミズハが小さな声でささやいた。


「テオ。この道、水の道じゃないわ」


(えっ?)


「水の道の、番をする人たちが通るための道。昔はね、こういう細い道が、大きな水の道のそばにいくつもあったの。人間たちが、ここを通って見回りをしてたのよ」


(だから、水がほとんど流れてないのか)


 テオは、壁のところどころに、小さなくぼみがあることに気づいた。ランプを置くための棚のようだった。何百年も前、ここを歩いた人たちが、明かりを灯していた場所なのだ。


◇


 しばらく歩くと、リリーが立ち止まった。


「ここよ。見せたかったのは」


 通路の右側の壁に、小さな入り口が開いていた。リリーは、ランプを掲げて先に入っていく。


 テオも、その後に続いた。


 そこは、丸い小部屋だった。


 大人が五、六人も入ればいっぱいになるくらいの広さ。天井は低く、ドーム型に丸くなっている。


 そして、その壁という壁に――。


 テオは、息をのんだ。


 一面に、絵が彫られていた。


 石の壁を、ぐるりと一周する浮き彫りだった。たくさんの人間たちが描かれている。石を運ぶ人。土を掘る人。壁を積む人。


 そして、その人間たちのまわりに、小さな何かが描かれていた。


 雫の形をしたもの。丸い小石のようなもの。渦を巻く綿毛のようなもの。揺らめく炎のようなもの。


 それが、人間たちと一緒に働いていた。


 雫の形をしたものたちが、水の流れを導いている。小石のようなものたちが、積んだ石の隙間を埋めている。綿毛のようなものたちが、穴の奥へ風を送っている。炎のようなものたちが、暗い場所に明かりを灯している。


「おとぎ話みたいでしょう?」


 リリーが、ランプを壁に近づけた。


「小さな妖精たちと、人間が、一緒に何かを作ってるの。わたし、初めて見つけたとき、すごくわくわくしたわ。この絵の続きが知りたくて、何回もここに来たの」


 テオは、答えられなかった。


 壁の絵を、ゆっくりと目でたどっていく。


 浮き彫りの中で、一人の人間が、雫の形のものに向かって、両手を合わせて頭を下げていた。


 その隣では、別の人間が、小石のようなものに、何かを手渡していた。花のように見えた。


 おとぎ話なんかじゃない。


 テオには、分かった。


 この雫は、ミズハたちだ。この小石は、アースの畑で働いていた土の精霊たちだ。この綿毛は、マーリンの風鈴のまわりで遊んでいた風の精霊たちだ。この炎は、グスタフさんの炉で跳ねていた火の精霊たちだ。


 昔、本当にあったことなのだ。


 人間と精霊が、お願いと感謝で結ばれて、一緒にあの水の道を作った日々が。


 腰の水筒袋が、かすかに震えていた。


「……わたしたちよ」


 ミズハの声は、涙ぐんでいるように聞こえた。


「これ、わたしたち。みんなで、あの道を作っていたころの……」


 テオは、浮き彫りの一番奥に目を向けた。


 部屋のいちばん正面の壁。そこには、ひときわ大きな姿が彫られていた。


 雫の形をした、大きな大きな何か。


 まわりの小さな雫たちの、何十倍もある。その大きな雫を中心に、四方八方へ、水の流れが線になって広がっていた。その線の先々に、小さな家や町が描かれている。


 あの石板の地図と、同じだった。


 そして、大きな雫の前には、たくさんの人間たちがひざまずき、頭を下げていた。


(これは……)


 テオの胸が、どくんと鳴った。


 泉の底で眠っていた、あの大きな精霊だろうか。それとも――ミズハが泉の底のさらに奥に感じたという、とても大きくて、とても古いものだろうか。


「――テオ?」


 リリーの声に、テオははっと我に返った。


 リリーが、ランプを持ったまま、じっとテオの顔をのぞき込んでいた。


「どうしたの? そんな顔して」


「え……」


 テオは、自分の頬が濡れていることに、初めて気づいた。


 慌てて、袖でごしごしとこする。


「な、なんでもない。ほこりが、目に……」


「ほこり」


 リリーは、じとっとテオを見た。


 それから、壁の絵に目を戻した。浮き彫りの中で、人間が雫に向かって頭を下げている、その場面を。


「……ねえ、テオ。あなた、この絵の意味が分かるの?」


 テオは、言葉に詰まった。


 リリーは、しばらく黙ってテオの横顔を見つめていた。何かを聞きたそうに、唇がかすかに動いた。


 けれど、結局、リリーは何も聞かなかった。


 かわりに、ふっと微笑んだ。


「わたしね、この絵の中で、ここがいちばん好きなの」


 リリーは、人間が雫に向かって頭を下げている場面を、指先でそっとなぞった。


「この人、すごく大事そうに頭を下げてるでしょう。橋の下で、テオが道にお礼を言ってたとき、この絵を思い出したの」


 テオは、リリーを見た。


 ランプの明かりに照らされた横顔は、とても穏やかだった。


「だから、どうしてもテオに見せたかったのよ」


◇


 小部屋を出て、通路をさらに少し進んだところで、リリーはまた立ち止まった。


 道が、二つに分かれていた。


 右の道は、これまでと同じゆるやかな上り坂で、城のほうへ続いている。


 左の道は、急な下り坂だった。ランプの明かりが届かない闇の奥へ、ぐんぐんと下っていく。


 その闇の奥から、冷たい風が吹き上がってきた。


 そして、音が聞こえた。


 さらさらと、絶え間なく、どこまでも続いていく、たっぷりとした水の音。


 テオは、その音を知っていた。


 村の古井戸の、ずっと下で聞いた音だった。


「こっちの道はね」


 リリーが、左の闇をランプで照らしながら言った。


「ずっと下に続いてて、水の音がするの。一度だけ、途中まで降りてみたんだけど……真っ暗で、どこまで続いてるか分からなくて。怖くなって、引き返しちゃった」


 リリーは、少しだけ恥ずかしそうに笑った。


「九つのときから、ずっと気になってたの。この奥に、何があるのか」


 腰の水筒袋の中で、ミズハが、ちゃぷんと大きく跳ねた。


「テオ……この音……」


(ああ。分かってる)


 テオは、闇の奥を見つめた。


 ごーん。


 遠く、頭の上のほうから、かすかに鐘の音が響いた。夕食の鐘の、一つ前の鐘。鳴ってから半刻で、夕食の鐘になる。


「あっ、もうこんな時間!」


 リリーが、慌てて右の道を振り返った。


「戻らなきゃ。約束だものね、半刻前って」


 それから、名残惜しそうに、もう一度だけ左の闇を見た。


 そして、テオのほうを向いた。


「ねえ、テオ。次は、あの奥に一緒に行ってくれる?」


 青い瞳が、ランプの明かりの中で、まっすぐにテオを見つめていた。


「一人じゃ怖いけど、テオと一緒なら、行ける気がするの」


 テオは、闇の奥の水音に耳を澄ませた。


 それから、うなずいた。


「うん。一緒に行こう」


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