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婚約誓約布の旧読了欄は、ミリアの拒否を搬入許可にできません

王太子礼服の搬入口は、礼拝堂の読了席より低い場所にあった。


石段を三つ下りると、祝典の音楽は薄くなり、代わりに台車の車輪と、布を押さえる革帯の音が聞こえる。エリナは読了席の書見灯を背にして、リネの北門帰着札、マルタの外套紐、王妃付き記録係の代読責任札を小さな板に挟んだ。


その板の端に、まだ新しい札が一枚加えられていた。


『王太子礼服 搬入許可済み。婚約誓約布旧読了欄により確認』


トマが息を止めた。


「婚約誓約布って、ミリア様の……」


「名前だけで読ませません」


エリナは台車を止めた。礼服を掛けた覆い布の下から、白い誓約布の端が覗いている。そこにはミリアの花文字に似た細い線があった。けれど、その横の読了欄は古い。日付は三日前、場所は礼拝堂保管庫、確認者欄には、エリナの退職処理済み針箱番号が写されている。


王太子側の係官が言った。


「婚約誓約布に読了欄がある。だから礼服搬入は許可済みです。候補者本人の了承は――」


「了承という言葉を、搬入口で先に閉じません」


エリナは覆い布をめくらず、台車の車輪止めを掛けた。ここで布を剥がしてしまえば、誰の手が花文字を作ったかという犯人探しだけが先に立つ。ミリアが何を読め、何を拒めるのかが、また布の端へ押しやられる。


「必要なのは三つです。ミリア様が読める文面。拒否を自分で置ける欄。そして、その拒否が王太子礼服の搬入許可へ変換されない生活影響明細」


「拒否?」


係官の声が尖った。


「候補者は、王家の祝典を拒めません」


「候補者でも、人は読めない布を着せられません」


その時、搬入口の向こうから、小さな足音がした。


ミリアだった。


青ざめた顔で、両手に薄い手袋を握っている。王太子側の侍女が止めようとしたが、ミリアは一歩だけ前へ出た。昨日までの彼女なら、誰かの袖の後ろで笑うか、黙って頷くだけだった。けれど今は、リネの北門帰着札を見てから、エリナの手元を見た。


「姉様」


その呼び方だけで、搬入口の空気が少し揺れた。


「わたし、その布を読み切っていません。礼拝堂では、花文字を書く練習紙だと言われました。婚約誓約の本文は、覆い紙の下でした」


係官がすぐに口を開いた。


「候補者が混乱しているだけだ」


「では、混乱を理由に済みにしない手順が必要です」


エリナは台車の横へ小机を置いた。上に並べるのは、王太子を責めるための証拠ではない。


読める灯り。


水を入れた杯。


未使用の拒否欄札。


そして、王太子礼服の搬入車輪止め。


「ミリア様。この札には、あなたが今読めない部分を、自分の言葉で書けます。『同意しない』と書けと言っているのではありません。『まだ読んでいない』『覆い紙で読めない』『拒否欄がない』。読める事実だけでいい」


ミリアの手が震えた。手袋をつけたままでは、ペンを持ちにくい。マルタが外套紐をほどかず、代わりに自分の予備布を小机の角へ敷いた。


「手が滑らないように。外套紐は証拠のまま残します」


リネも北門帰着札を板から外さず、ミリアの側へ半歩寄った。


「わたしも、帰っていないことを自分で書きました。書いたら、欠席済みにはされませんでした」


ミリアは小さく頷き、拒否欄札へ書いた。


『ミリア。婚約誓約布の本文を、覆い紙の下まで読んでいません。花文字練習紙だと説明されました。王太子礼服搬入許可として使うことを、わたしは読んでいません』


文字は少し曲がっていた。だが、花文字よりずっと本人の息があった。


エリナはその札を、誓約布の上へ貼らなかった。貼れば、また布の一部にされる。代わりに、搬入口の車輪止めへ結んだ。


「婚約誓約布の旧読了欄は、ミリア様の未読と拒否欄欠落を、礼服搬入許可へ変えられません。車輪は、本人読了と拒否欄確認が終わるまで進めない」


王妃付き記録係が、自分の記録板へ追記した。


『代読責任は祝辞文まで。婚約誓約布の本人読了・拒否欄確認は未到着』


トマは台車の下へ膝をつき、車輪止めの番号を読んだ。


「この止め具、旧処理番号と同じです。でも、番号の下に別の行があります」


エリナは視線を落とした。


車輪止めの裏に、黒い細字があった。


『王太子礼服搬入許可。拒否欄欠落時は、退職処理済み保守責任で補完』


礼拝堂の書見灯が、遠くで一度だけ揺れた。


エリナは針箱番号札を握り直す。


「補完させません。私の退職処理済み番号は、ミリア様の読めない拒否欄を埋める手ではありません」


搬入口の車輪は止まったまま、王太子礼服の白い裾だけが、覆い布の中で静かに震えていた。

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