代替肩番号一は、王妃衣装の肩を候補者名で閉じません
代替肩番号一。
その刺し字を読んだ瞬間、私は原簿を閉じなかった。
閉じれば、紙はただの証拠になる。けれど今、机の上にあるのは証拠だけではない。
誰かの肩幅札。まだ返されていない外套。読んだと書かれていない欄。
私は候補者同意翻訳原簿の一枚目を、青札板の前へ戻した。
「肩番号を、候補者名の代わりにしないでください」
王太子レオンが眉をひそめた。
「肩番号は衣装室の管理番号だ。候補者本人の名とは別のものだろう」
「別だからこそ、本人名の代わりに使えません」
私は針箱から細い青糸を一本取り、原簿の欄外に触れた。
銀糸の下に縫い込まれた『王妃祝典衣装・代替肩番号 一』は、まだ新しい。針穴の縁に、王妃衣装補助棚で使う白粉がわずかに残っていた。
候補者控えの粉ではない。
王妃陛下の採寸室で使う香粉でもない。
南階段の搬入布を乾かすために、夜番が肩へ振る安い白粉だった。
「まず、生活影響を三つに分けます」
私は一枚目の横に札を置いた。
『肩幅札』。
その下に、『外套返却』。
最後に、『本人読了』。
「代替肩番号一が動くなら、この三つも動きます。肩幅札は誰の体から離れるのか。外套は誰へ返せなくなるのか。読了欄は誰の代わりに閉じられるのか。ここを書かずに、王妃衣装の補助処理とは呼べません」
レオンの背後で、王太子側管理室の使いが口を開いた。
「王妃祝典衣装への搬入は上位処理です。候補者側の返却札を一つ一つ読ませる必要はありません」
「上位処理であっても、肩は上位になりません」
私は返却窓口の棚から、昨日保留にした夜番外套の控えを出した。
マルタの外套。
リナリア様の踵当て。
名前のない候補者の肩幅札。
三つの布片を、王妃衣装補助棚の写しの下へ並べる。
豪華な祝典布の影に入れると、どれも小さく見えた。
けれど、肩幅札は人の肩から取る。外套は人の帰宅へ返す。読了欄は人の目が読んで初めて閉じる。
「王妃陛下の衣装であっても、誰かの肩を部品にしてよい理由にはなりません」
セリアが、青札板の針を一本差し直した。
「この肩番号の人は、まだ名前も戻っていないのですね」
「戻っていません。だから候補者でも、罪人でも、材料でもありません」
私は新しい青札に書いた。
『代替肩番号一は、本人名未帰着』
さらに小さく、その下へ続ける。
『王妃衣装へ肩を渡す前に、肩幅札・外套返却・読了欄を本人へ戻すこと』
使いが机へ手を伸ばした。
「それは王妃衣装の完成を止める札です」
「違います」
私は青札を原簿へ縫い止めず、あえて針を半分だけ通した。
「完成を止めるのではありません。完成という言葉が、誰の肩を通ってきたのかを止まって読む札です」
マルタが息をのんだ。
「私の外套と同じですか」
「同じです。外套が返却済みと書かれていても、マルタさんが南門を通っていなければ、帰宅は完了していません。肩番号が王妃衣装へ搬入済みと書かれていても、その肩の人が読んでいなければ、同意は完了していません」
リナリア様が原簿に目を落とした。
「では、王妃衣装の完成予定表も読み直す必要がありますね。完成とは、王妃陛下の肩に合うことだけではない。誰の肩を借りたか、戻したかも含む」
「はい」
私は王妃衣装補助棚の写しを開いた。
完成予定表には、きれいな字で『代替肩番号一、補助棚より搬入済み』とあった。
その横に、読了欄はない。
候補者名欄もない。
外套返却欄もない。
ただ、搬入済みの四文字だけが、まるで人の生活を通らずに衣装が完成したかのように座っている。
「搬入済みは、到着済みではありません」
私は読み上げた。
「布が南階段へ来ただけです。本人名が戻ったわけでも、外套が返ったわけでも、読了が済んだわけでもありません」
レオンが低く言った。
「ならば、どうする」
「代替肩番号一を、王妃衣装の部品棚から返却窓口の未帰着棚へ移します」
返却窓口には、まだ小さな棚しかない。
針箱と、青札板と、三枚の保留札で始まった仮の窓口だ。
けれど、そこにはもう帰るものが増えている。
外套。賃金札。読了欄。旧保守印写し。候補者名未記入欄。
そして今、肩幅札が一つ増えた。
私は棚の上段を空け、札を置いた。
『肩は本人名が戻るまで衣装へ貸さない』
セリアが札の下に、小さな布切れを敷いた。
「肩の席ですね」
「ええ」
その言い方が、私の胸に少しだけ残った。
肩の席。
名前も顔もまだ分からない候補者が、王妃衣装の影で消されないための、たった一枚の席。
王妃陛下が静かに頷いた。
「その棚は、わたくしの衣装の完成を邪魔していません。わたくしが、誰の肩で立たされるのかを知るために必要です」
広間の空気が動いた。
王妃陛下の言葉で、レオンの使いは札を奪えなくなった。
私は深く礼をした。
これで一つ、同話内の返却は済んだ。
名前のない肩が、王妃衣装の部品棚から外れた。
まだ本人へ戻ったわけではない。
それでも、勝手に候補者名で閉じられることは止められた。
「エリナ様」
マルタが青札板を指差した。
「裏にも、字があります」
代替肩番号一の札を返すと、裏の布芯に紫の完了印があった。
王妃陛下本人の読了印ではない。
候補者本人の同意印でもない。
そこには、機械のような細い字で、こう押されていた。
『祝典代理肩・南階段搬入済み』
私は息を止めた。
南階段。
そこは王妃衣装が上がる階段ではない。
候補者と夜番針子が、祝典前夜に外套を返し、帰宅札を受け取る階段だ。
「代理肩は、もう南階段を通ったことにされています」
私の声は、自分でも驚くほど低かった。
「でも、その人はまだ、名前で呼ばれていません」




