過剰摂取
手を染めてはならない薬の効き目は思った通りで、灰色の景色は色づき、味気のしない食事をとることもすっかり無くなった。改めて、自らになくてはならない物を理解した。彼女とともに過ごすことでしか、私はもはや生きることができなくなっているのである。別れても想い続けた一年をそのままぶつけ、活気のある日常を過ごすことができるようになった。
しかし奇妙なことに、正弦波を描く私の人生はそこで最大値を取っていたわけではなかった。最愛の彼女が紹介してくれた一人の知り合い(tとおく)がいた。tは我々とは反対に、最近人と別れたそうだ。寂しさもあり、合わせて三人で時間を過ごすことが増えた。そして彼女は独占欲が強いわけではなく、さらにtが近くにいることを別に良しとしていたのである。私はそれが気に喰わなかった。独占欲が無いのは構わないが、仮に私が他人を愛していても気に留めないのであれば話は別だ。
一ついたずらを仕掛けてみることとした。tと密会の予定を立て、あえてそのことを話してみた。それでも彼女は構わないという。それどころか、彼女へのちょっかいに付き合ってくれたその人とも親密になってしまう始末である。人と寄り添い、離れることを繰り返した私は自棄になっていた。踏みとどまることもできず、二人と関係を持つようになっていった。
およそ許されることではないだろう。かつての私が見たら指をさし嗤うだろう。大した度量も無いお前が。一人を幸せにすることもできないお前が。気でも狂ったのだろうが、その先など知れているはずだろうに。
少しの間しか経っていないものの、寂しい人間である私にとっては絶好の条件であった。どちらかが時間を割いてくれれば、すぐに心の内は満たされるのだから。彼女は一年前と同じように自分の時間を満喫していたが、それでも一人にならないのだから構わない。日に日にtと過ごす時間は増えていき、すでにココロの拠りどころになっていた。またtの声の響きは、私にとってとても心地よい物であった。壊れた自律神経では眠れない夜も数多あったが、tの子守唄を聞いていると不思議と眠れてしまうのであった。
それでもタイミングによっては一人で夜を乗り越える日もある。その時ようやく状況を理解するのである。過剰摂取によって依存を深め、誰かを傍に感じることでしか眠れなくなっていたことを。
前々から決まっていた。二人そろって会えない日をついに迎えた。ひどく無気力であった。私の方で忙しい用事がひと段落し、落ち着いた日であったことも確かだが、酒を煽る手は止まらない。過剰に摂取した劇薬は、確実に体を蝕んで離さない。依存の離脱症状はこの身を痛めつけ、息が詰まり、気絶するまで酒を煽ることでしか眠りにつくことは叶わない。例え遠くの恋人が気にかけてくれようと、バーボンウイスキーの甘味に酔いしれた。目が覚めれば気分が悪い。それだけで何も変わっておらず、アルコールの抜け切らない朧気な意識のまま遠く離れた恋人の事を想う。




