依存
痛みを和らげる何かを探し回り、ひと時の快楽を求めて人を渡り歩いていた。もはや人間としての理性も道徳もなく、指折り数えるほどの回数呆れられた。そうして犠牲を払いつつ少しずつかつての事を忘れ、生きる目的などなくとも自分の将来を思い描けるくらいになった。それでも過去は未だ私を離してくれようはずもなかった。
ある日めったに開かない郵便受けを開いたとき、一通の知らせが届いていることに気付いた。その差出人こそいつの日か私の全てとなっていた人だった。実際にはメッセージなどが届いたわけではないが、仮にも全力を尽くして愛した人の行動の意図は簡単に理解できた。
やめると決めたことではないか。あの時の決意はそんなものだったのか。痛みに苦しんだではないか。どれだけ言い聞かせようと無駄なことだ。あの場所に行けば彼女はいる。かつて身を切るほどの痛みとともに別れ話をした場所。カラダは言うことなぞ聞かず、そして再び相まみえた。
この一年を通して、すっかり自分のことが分からなくなってきていた。何をもって人の事が好きと言っていたのか。何を理由に人と時間を過ごしてきたのか。今までは自己の存在価値を満たすものとして愛を考えていた。依存されることにより、自らが役に立っているという実感をしていた。しかしそれでは真に人が好きということにはならないのだろう。元より曖昧なことを考えることは苦手で、定量的(数字などで比較して、具体的に物事を評価する方法)な考え方しかできない身である。もし私なりに好きを定義するのであれば、一緒に過ごしているときの脳内物質の量を見るということになるのだろうか、面白みに欠ける方法である。
ところが自分の好きが分からなくとも、声を聞けばすぐに理解できた。心の底から、体が彼女を愛してやまないのである。根拠など説明できずとも、間違いないと断言できる。人づてに聞いていた話で、数少ない約束を違えていたことは知っていた。その時の落胆も、心に刻み付けられている。それでも、苦みも酸味も余さず飲み込んでしまうことを選んだ。
いざ会って要件を聞けば、その行動の意図はやはり正しく汲み取れていた。その後に言われる言葉も、容易に想像できた通りのものであった。処方箋を渡されようが、もう一度体に薬を入れようものなら廃人待ったなしだ。人生を棒に振るか、そもそも途絶える可能性も十二分に考えられる。誰が見ても踏み込んではいけないところだったが、引き返すことができなかった。
この一年で、数少ない長所である一途さすらも失い、私の手元に残っているものが何かも分からない。それでももう一度やり直したいと心から思い、挑むと決めた。この先上手くいく要素は少ないだろうが、一寸先の闇を一歩一歩踏みしめるのである。




