19.彼の可愛いあの子は。(エミル)
私がミュアヘッド嬢に初めて会ったのは13歳の頃。
ディーン様の婚約者になったばかりの彼女は初々しく、彼の笑顔を見るたびに頬を染めていた。
ああ、一目惚れしたのか。
ディーン様は見目麗しく、柔和な笑顔を絶やさない方だ。だから令嬢達に受けがいい。
本人は、スペアにすらなれない意味のない王子だと冷めているけれど。
王太子殿下はディーン様より8歳年上、第二王子は6歳上だ。私達が物心付いた頃にはすでに立太子していて、ディーン様の王位継承権などあってないようなもの。1つ下のパトリシア王女の方が使い道があると口さがない者達の陰口を何度か耳にした。
どうやら幼い頃からディーン様はそんな悪意に晒されていたようだ。
そんな彼の友人という立場は、幼心にも不安定に思え、自分の将来が心配でもあった。
だが、彼自身はとても優秀で、勉強も剣術もどれ一つ勝てるものはなかった。
だが、一番凄いと思うのは処世術というか、あの柔らかな対応だ。あの顔立ちでやると本当に受けがいいのだ。
だが、ミュアヘッド嬢だって美しい令嬢だ。
サラサラのホワイトブロンドの髪に瑠璃の瞳。少し背が高く、スレンダーな美少女だ。一見気が強そうに見えるけど。
「真面目で頑固なだけで、あまり強い人ではないね」
「責任感が強いのだと思うよ。ミュアヘッド夫人が病弱だからね。人に心配を掛けたり、頼ったりが苦手なようだ」
「ああ、少し生きるのが下手そうだな。大丈夫なのか?」
不器用で気弱な王子妃ってどうなんだ。
「王子妃といっても少しの間だけだ。いずれ臣籍降下することは伝えてある。
クリストファー兄様が公爵位を受け取るだろうから、私は結婚後はミュアヘッド家を継ぐことになると思う。
彼女も自分の家を守れるなら嬉しいだろうし」
「だから兄弟のいない彼女を選んだのか?」
「ん~、というより圧強めの令嬢じゃなかったから。ギラギラしていないからホッとできた」
それはお前がそんな笑顔を振りまくから。
だが、彼にとって笑顔は武器だからなぁ。
「まあ、実家を継ぐならそこまでギラギラしないだろうさ」
「だって皆知ってるはずだろう。第三王子が王位につけるはずがない。それなのに王子だというだけでギラギラするんだ。謎だよな」
「ミュアヘッド嬢は王子スマイルにメロメロだけど?」
「少し赤くなるくらいなら可愛いものだ。しばらくしたらこんな顔くらいすぐに慣れるよ。あれは恋というより、初めて見る王子の耐性が無いだけだ」
「そうかな。ちょっとした感情が気が付けば恋に変わっちゃうものだよ」
「……ふーん」
ディーン様はその笑顔ほど優しくないと思う。
ただ、上手く生きるために優しい王子に擬態しているだけなのだ。
そして、そんな二人を眺めているうちに、気付けばミュアヘッド嬢の憧れは恋に変わり、そんな彼女を眺めているうちに、私の心にも恋心が芽生えてしまった。
恋とは何と簡単に落ちるものなのか。
「なぁ、彼女の間違いを正さないのか」
「……私は何度も言っているよ。いずれ王子ではなくなると。でも、その瞬間までは王子だと言うんだ。そこまで頑張らなくていいとやんわり伝えても、やりたくてやっているからと……。
彼女にとって私との婚約は王家との婚約なんだ。間違ってはいないけど……どう言ったら伝わるのかさっぱり分からない。
彼女は私のために頑張ってくれている。
でも、私には『王子』のために頑張っているとしか思えない。
……その『王子』は本当に私なのかな。よく分からないんだ」
ディーン様が擬態した『王子』に恋をした彼女にディーン様の言葉は届かない。
「あの子が優しい王子様が好きなら、それが本物になれるように努力するよ」
「それは何の解決にもならないだろう?」
「彼女はああ見えて頑固だよ。それにね、演じていればいつか……それは本当になるって言ってたから」
「?誰がそんなこと」
「──ひみつ」
それは、今まで見たことのないディーン様の微笑みだった。
それからも、ミュアヘッド嬢は優しい王子の夢を見続けていた。
そんな愚かにも健気な姿に、もう王子妃などやめて、普通の結婚では駄目なのかと、何度もそう言いたくなった。
だが、ある日変化が訪れた。
フィリス・ムーア伯爵令嬢という嵐が彼らの膠着した関係を引き剥がし始めたのだ。
ミュアヘッド嬢はディーン様が優しいだけの王子とは違うことに気付き、王妃様達のミュアヘッド嬢への対応にも変化が生まれたようだ。
案外と察しが悪く、自虐的な彼女はきっと傷付くことだろう。
……これはチャンスなのではないか。
私は、そんな彼女の夢を壊し、現実のただの男としてその瞳に映りたいと願ってしまった。
友である彼を裏切ってでも、彼の可愛いあの子は、もっと愛されて幸せな笑顔でいるべきだと、そんな狡い理由をたてに、ミュアヘッド嬢に愛を囁いたのだ。
狡くてごめん。でも本当に好きなんだ。
王子様みたいに美しくも格好良くもないけれど、君を大切にすると誓うから。
彼の可愛いあの子は今、私のとなりで笑っている。




