810話 Point of No Return ─ 回帰不能点 05
「いくら愉しみが無い、といえど。
時折訪れるお前と四方山話をするのは、嫌いではない。
ガラクタの山から引っ張り出した本を読む、その姿を眺めているのもな」
一抹の《悔しさ》。
”わざわざそんな事を口にし、認めたくない”。
はっきりと感情を露わにした表情と声で、尊大な女が言う。
「時間など、望めば望むだけあるのだ。
別に急ぐ必要はなかろう?
もうしばらく、このままでも良いではないか。
壊すのは一瞬だが。
二度と元に戻せぬものもあるのだぞ?
何か困っている事があれば、妾が力を貸そう。
珍しい本を求めているなら、もっと奥へ立ち入って探すのも許可しよう。
どうだ?
それで考え直してはくれぬか、可愛いアドリーよ?」
「些事に過ぎるかもしれませんが。
これまでに2度。
《欲暴主》、エムレ・エクゼイル・グレンキウト様からお声掛けがありました」
「やめよ」
「《滅王》、ゾール・エクゼム・グレンキウト様も、同じく。
我が領地の運営に関し、”便宜を図る心づもりがある”、との打診が」
「ええい、やめよと言うに!」
「どうぞお気を付けください、ジアス・エクゼイル・グレンキウト様。
《古き同胞》にこそ、油断なさらぬよう。
それと。
《獅子身中の虫》に至れぬ、この《矮小な蛇》にも」
「アドリー!」
「───1000年前。
あなた様が、作るだけ作って放置していた『魔薬』の瓶。
そこから一滴を盗み出したのは、私であり。
あなた様の名を『作成者』として炎狼に教えたのも。
この私、アドリー・ディエ・ブランフォールでございます」
「・・・・・・馬鹿者が」
怒りを噛み潰し。
ガリガリと、粉になるまで挽き。
更にそれを多量の冷静さで押し流し、喉奥へと飲み込んでから。
ゆっくりと女は、瞼を閉じた。
「消えろ」
それは、退出を促す命令ではなく、《事実の強制》。
”消す”という意思を、敢えて宣言しただけであり。
そうした以上、どんな結果になるかを知らぬ発言者ではなかったが。
───長く吐く筈の溜息が、その最中で途切れ。
───再度開かれた瞼と不敵な唇が、わなないた。
「・・・アドリーよ。
いつの間に、《位階》を取ったのだ?」
驚愕した女が、『消えなかった』相手に問うも。
「いいえ」
返された答えもまた、先程の仕返しのように短く。
端的に否定を告げるだけにとどまった。
「お前、まさか、」
ドシュッ
言い終わらぬ内。
直上から落ちてきたものが、玉座に座った女の頭頂から脊椎を貫き通し。
「あ?」
突き立った巨大な『刺突剣』ごと、豪炎が玉座を押し包んだ。
「・・・・・・」
しかし、それも僅かのこと。
一呼吸に満たぬ間に、猛火は幻の如く霧散し。
焦げた『剣』が、ぼろり、と折れ砕けて。
消し炭と化した亡者達の亡骸から、女は軽やかに降り立った。
「おお、これは・・・憶えておるぞ」
紫色の舌が右手の甲を、べろり。
「いつぞやにこの身を焼きおった炎と、同じ味がするのう」
「それはそれは。
私など、娘よりも数段下がりますけれどね!」
美しくも楽しげな声を響かせたのは。
『消せなかった』相手が消えた代わりに、忽然と現れた姿。
優雅な薄笑いを浮かべて佇む、長身の悪魔。
「ほほう。因縁とは、かくも妙なりや」
「こちらとしては、たまったものではありませんよ。
なにぶん、こんな突然の事ですので。
まあ、《逃し屋》としての仕事の半分は、もう片付きましたけれど」
「そうか。
それは重畳であるな。
───ただし。
『残りの半分』は、容易くなかろうぞ」
「さあ、どうでしょうかね。
実際にやってみなければ分かりませんよ?
私も、《墓守》殿も」
「・・・・・・おう」
皺枯れた低い声が、軽口に応じ。
女の輪郭が煙のように溶けて消えるや否。
地響き。
膨大な質量を持つ『何か』が幾つも、石畳を突き破った。




