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糊口を凌ぐというのは何と耐え難い事でしょう。でも世の中の皆はこんな事くらいで不平は言わない。黙々と額に汗して働いています。私からしたら、もの凄く立派です。どうしたらそんなに立派になれるのか、教えて欲しいくらい立派です。私には、自分の一番大事な物を捨てた私などには、本当は糊口を凌ぐ権利もない筈なのです。平和に、善良に、形だけでも幸福になろうとすれば、それは嘘になるでしょう。だから今の私は、自分にとっては分不相応なくらい恵まれた環境にいる筈なのです。しかしそれが辛い。貧乏人がいきなり高級レストランに行くと挙動不審になるあの居たたまれなさ。単なる我が儘ではありませんか。どうしようもないくらいに我が儘です。でも分からない事もないでしょう。
先生は文学性だけは捨てるなとおっしゃいます。極めて残酷な話です。文学性だけ持ったまま俗世間に迎合するなど、生みの親の遺影を持ったまま風俗店に入るようなもので、法律で罰せられるわけではなくとも、普通の神経の持ち主にはできる事ではありません。誰も得をしません。もう私の存在自身が世の中から不謹慎とされている事、いや、そういう言い方は何か被害妄想的で如何にも言いがかりですね、私が不謹慎な存在である事を自覚しながら生きる事は何と肩身の狭い事でしょう。しかもその肩身の狭さを心のどこかで楽しんでもいるという馬鹿らしさ。やっていられません。そう、先生が仰られたように、確かに私は文学性を捨てきれずにいるのです。文学の事なんか風船のしぼむくらいの早さで日に日に頭から抜けていっているのに、文学性だけはどこかで根を生やしているみたいなのです。夢破れた人は、今度は真面目になって堅気の商売で地味でも堅実な生き方をするというようなのが、大概の小説とか映画とかにありがちな筋書きで、傍から見れば私もその一人なのかもしれませんが、でも心のどこかでそれを諦めきれない、いや、諦めきってはいるのです。諦められないなんていう我が儘を言うつもりはありません。愛してきたからこその反動で、諦めて、蔑んで、憎悪を感じています。そしてその諦念を、軽蔑を、憎悪を、片時も忘れられずにいるのです。忘れられないどころか、それが文学を己の文学性というものを涵養していくのではなかろうかと心のどこかで思っているのです。これは要するに、一度文学に取り憑かれた人間というのはどれほどそれを忘れようとしても、それは無駄で、却って文学を忘れる事の出来ない文学性を育んでしまう結果に繋がるという事ではないでしょうか。
私は嘘をついていました。もう頭の中のどこにも文学の事などありません、などと言いました。それは嘘です。嘘どころか、全く正反対の状態です。文学がしたいのです。文学をもう一度取り戻したいです。でも私にはどうしても、あの頃のような純粋無垢な気持ちが蘇ってこないのです。どうしてもあの破滅願望としか表現しようのない、退廃的な価値観が生まれて来ないのです。
先生、こんな私が、文学というものを愛さずにいられましょうか。私はもう何もない、空っぽの人間なのに、文学性だけは捨てきれず、文学へ憧れだけを胸にその日その日を生きています。もしかすると、私は文学というものに一生かかっても辿り着く事が出来ないのかも知れない、でもそれでも、文学が私に取って全てである事、分かって頂きたいのです。負け犬の遠吠えです。私など、文学云々以前に、実社会のどれ一つ取っても満足に出来ない人間です。文学なんかよりも実社会での生活の心配をすべきです。しかしこんな愚かな自分を生かしてくれたのは文学などを志したこの愚かさだと思っています。文学は私を生かしたのか殺したのか、これは大いなるパラドックスです。
先生、私に文学を教えてくれて、感謝しています。正直な話、私は先生のご意見に全面的に賛同できるわけではありませんが、それでも先生は私の恩師です。文学は、いいですね。ありがたいなあと思います。日の光を全身で浴びている思いです。でも、何だかそんな気持ちも、最近ではくだらないものに思えて仕方がないのです。色褪せてきているのです。私はそれほど退落しきってしまいました。もうどうしても元には戻れない、でも未練だけはたっぷりあるのです。そんな自分をダメだと思います。最近ではこういう自己卑下がすっかり板について、自己卑下をしていると心の底から安心するようになってきてしまっているのですから、もう目も当てられません。
ところで、先生はアフィリエイトというのを知っていますか?(いきなり現実的な話になってしまいましたが)インターネット上の自分のサイトに企業広告を貼り、それがクリックされて買ってもらえたら、成果報酬として広告料をもらえるわけです。勿論成果報酬なんて微々たるものですが、そういう企業広告を至る所に張り付けて、またそういうサイトをいくつも作ると、ちりも積もれば山となるで、かなりの金額が稼げます。上手くやればサラリーマンなんかやっているよりずっと多くの額を稼ぐ事も不可能ではありません。まあそこまでいくには流石に時間がかかるでしょうが、人間一人の生活を支えていくことくらいはどうにだってなるでしょう。分かりますか?人と関わりたくない、生産的な仕事なんかしたくない私にさえ、現代にはこんなチャンスがあるのです。私は一時期このアフィリエイトで生活を立てていこうかなんて馬鹿げた考えに浸った時期もありました。しかし、私はこれで例え自分の生活を立てていけるだけの収入が得られたとしても、内心は忸怩たる思いを拭いきれないのです。金が稼げれば、果たしてそれで満足なのか?どこの誰が熱愛発覚とか、不祥事を起こしたとか、そんな下らないネタを取り上げてはそれを呼び水にして自分の収入に繋げる事に躍起にならなければならない。私にはこんな方法が耐えられそうにありません。そんな低俗な世間に同調する事が出来ないのです。文学的なものから次第に遠ざかっている事が疾しく思えて仕方がないのです。分かりますか?生活を守れば守る程、文学からは遠ざかっていくのです。私はそんなことが果たして自分にとって正しいのかどうか、今でも分からないのです。




