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先生、やっぱり私には無理です。もう私の頭のどこにも、文学の事なんてなくなってしまいました。考えるとか、忘れずにいるとか、そんな抽象的な芸当は私には到底できやしません。どう頑張っても私は、私個人の、今日食う飯のことを考えて生きていく他に何も出来やしないのです。思えば、私は自己愛が強かっただけなのでしょう。自己愛が強すぎて、自分の事しか考えられないのです。そういう人間は時に途方もない夢を見ます。自分の中にそれを宿していると、それが一点の光明を放って見える、それが自分の神様の様に思えて、それだけを見つめるようになります。それで却って周りが見えなくなり、自分を追いつめる結果になるのです。そのことに、私はほとほと疲れてしまいました。もう、はっきり言って面倒くさいのです。私は決死の思いで、文学などというものに取り組んできました。笑われたって構いやしませんでした。人にどう思われようと、何も気にした事などありませんでした。でも、それで満足していたのは私一人で、世の中は、いいえ私のごくごく近しい周りの風景だって何一つ変わってはいなかったのです。もちろん、それは文学だけに限らないでしょう。非力な私が何をしようと、何一つ変えることが出来なかったに違いありません。というより、元々そういう現実から逃れようとして文学だとか芸術だとか、そういうものを自らのうちに宿したのに違いないのです。いやらしい、姑息な人間です。しかしそうした逃避的な動機は、今では文学をやる為の十分な理由にはなり得ません。結局私は自分の神様を、自分の為に利用する事しか考えていなかったのです。そして今ではあっけなく、それをゴミ箱に放り投げてまた日常の煩雑さの中に埋没しようとしているのです。一番大切だと心の底から思っていたものを、今では心の底から忘れているのです。弱い人間というのは卑劣な人間になるものです。卑劣にならなければ生きていけないからです。私はいかにして生きていこうとも卑劣になる事を免れないでしょう。しかしそれは最小限のものに止めたい、出来れば人に見つからないように、こっそりと生きていきたいのです。だから仕事もできればしたくない。何もしたくない。何もせずに生きられたらどんなにいいでしょう。私は弱い卑劣漢らしく、私の事だけ考えていきていたいのです。その他には何の興味もありませんのですから。しかしそれを許してくれる程、生きるという事は生易しいものではありません。食べていかなければなりません。暮らしていかなければなりません。そして人と関わっていかなければならないのです。なかなか、これが自分には厳しい事です。先生が指摘されたように、私は人間関係とか人付き合いとか、そういうのが苦手です。そしてその上、自尊心が馬鹿らしい程強いのです。自尊心が強いと思われる事すら許せないくらい自尊心が強いのです。自分の事しか考えられないこの無能力を誇らしく思うくらいに、自尊心が強いのです。そんな私が、今日食う飯のために苦手意識を顧みず働き続けるなんて、こんなに耐え難いことはないのです。卑劣漢は卑劣漢らしく自分の自尊心だけ守って生きていきたいのに、それすら許されないなんて、悲惨です。毎日毎日、税金計算の申告書の細かい数字ばかり追いかけて、ああ自分はなぜこんなことをしているのだろうと、たまに途方も無く虚しくなるときがあります。ご存知かどうか分かりませんが、あの税務とかいうものは、この世で一二を争うくらい無味乾燥で詰まらない代物です。こんな複雑で面倒な計算をした挙げ句、人様からお金を取り上げて、そのお金が国庫や役所に入るや否や、よく分からない用途に使われていく事を思うと、虚無感しか覚えません。一体何の為にこんな事をやっているのか分からなくなります。そんな時に自分は、どこか遠い異国の地に思いを馳せたりします。そしてぼんやりと一日中何もせずに、その日暮らしを送ってみたくなったりします。馬鹿な現実逃避です。それにそうした場合の常として、ちょっとした破滅願望みたいなものにも憧れるというのはご想像に難くないとは思いますが、そのくせ本当に破滅して路頭に迷い、寒さに凍え、飢死するのは大層恐ろしいため、ちょっと酒を飲み過ぎたりなんかして、自分のプチ破滅願望を満たしているのです。そうした自己満足を積み重ねて、とにかく自分を励まさざるを得ないのは何とも哀しい限りです。




