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6.見透かされる

6.見透かされる

部活が終わるころには、

空はすっかり夕焼け色になっていた。


弓道場の戸を閉める音が、

静かな校舎裏に響く。


着替えを済ませ、

美空は鞄を肩にかけた。


道場の外へ出ると、

すぐ隣に空がいた。


同じように鞄を持って、

何も言わず立っている。


「……帰るか」


「……うん」


並んで歩き出す。


校門を抜け、

いつもの帰り道へ。


部活帰りの生徒たちの声も、

少しずつ遠ざかっていく。


住宅街へ入るころには、

二人の足音だけになっていた。


コツ、コツ、と

ローファーがアスファルトを鳴らす。


風が吹いて、

街路樹が揺れた。


沈黙が長い。


普段なら、

他愛もない話をしている時間だった。


__授業のこと。


__先生のこと。


__芽衣や琉生のこと。


晩ごはん何かな、とか。


そんな会話が、

今日はひとつも出てこない。


美空は横を歩く空を見られなかった。


けれど。


信号の手前で、

空が立ち止まる。


__美空も足を止めた。


__赤信号だった。


歩行者用のランプが、

静かに点滅している。


そのまま、

数秒。


そして。


「……いつまで黙ってるつもり」


空が言った。


低い声だった。


怒っているわけじゃない。


でも、今まで聞いたことがないくらいまっすぐな声だった。


「……え」


美空が顔を上げる。


空は前を向いたまま、もう一度言う。


「昨日から、ずっと変」


返せない。


「教室でも」

 

「部活でも」


淡々とした声。


「今日、矢外しすぎ」


「……」


「いつもお前、あんなに外さない」


心臓が大きく鳴る。


__空は、全部見ていた。


__気づいていた。


「……なんでもないって言うなら」


空が少しだけこちらを見る。


「嘘だ」


その言葉に、胸が詰まった。


赤信号が、青に変わる。


けれど二人とも動かなかった。


「……何かあった?」


美空は唇を噛む。


言えない。


でも、もう誤魔化せない。


空は待っていた。


答えを急かさず、ただじっと。


昔からそうだ。


無理に踏み込まないくせに、

本当に大事な時だけ、

絶対に引かない。


「……昨日」


美空の声が、

小さくこぼれる。


空の目が揺れる。


「……旧校舎裏に行った」


「……うん」


知っていたような返事だった。


「手紙で呼ばれて」


空が眉を寄せた。


「……手紙?」


美空はうなずく。


そして、

制服の鞄をぎゅっと握った。


「六月八日の放課後に来てって……手紙がポストに入ってたの」


空の表情がわずかに変わる。


知らなかった顔だった。


「……なんで言わなかった」


「言えなかった」


「なんで」


その問いに、

すぐ答えられない。


美空は視線を落とした。


アスファルトの白線がぼやける。


「……そこにいたの」


「……誰」


息を吸う。


そして、

ようやく言った。


「……弓道部の、三年の先輩」


空の顔がわずかに強ばる。


「その人が……」


そこで、

美空の喉が詰まる。


言えば、

その先まで全部言わなくちゃいけない気がした。


空が静かに続ける。


「……何言われた」


言えない。


“千代野くんのことで話したい”


そのひと言が、

また頭の中に響く。


「……美空」


空の声が近い。


逃げられない。


「……千代野くんのことが好きだって」


空が息を止めた。


「……え」


「好きだから……相談されたの」


言ってしまった。


その瞬間、胸が苦しくなる。


「好きな人いるのか知ってるかって……聞かれて」


__風が吹いた。


__沈黙が落ちる。


長い、長い沈黙だった。


美空はうつむいたまま、

空の顔を見られなかった。


「……それで」


空が口を開く。


「それで今日ずっと変だったの」


「……」


「部活でも」


返せない。


図星だった。


「……告白されたのか」


美空の声は、

自分でも驚くほど小さかった。


「……え」


「昨日、その先輩に」


顔を上げられない。


「……空、告白されたの?」


聞いてしまった。


ずっと聞けなかったこと。


ずっと胸につかえていた言葉。


やっと、

声になった。


空は答えない。


数秒、

沈黙が続く。


それが、

ひどく長く感じた。


美空の指先が震える。


怖い。


聞いたのは自分なのに、

返事を聞くのが怖かった。


やがて__


空が静かに息を吐いた。


夕暮れの風が、

二人の間をすり抜ける。


美空は息を止めたまま、

返事を待っていた。


空は少しだけ視線を逸らして、

道路の向こうを見た。


そして、

観念したみたいに口を開く。


「……された」


その一言で、

胸が大きく揺れた。


「……やっぱり」


美空の声は、

自分でも驚くほどかすれていた。


空は短くうなずく。


「少し前に」


「……」


「でも、断った」


その言葉に、

美空が顔を上げる。


夕日に照らされた空の横顔は、

いつも通りのようで、

少しだけ緊張して見えた。


「……なんで」


思わずこぼれた問いに、

空はすぐには答えなかった。


青信号が点滅して、

横断歩道の電子音だけが鳴っている。


けれど、

二人とも動けない。


空は制服のポケットに手を入れて、

小さく息を吐いた。


「……理由、聞かれたけど」


「……うん」


「その時、ちゃんと言葉にしようとしたけど……うまく言えなかった」


美空は黙って聞いていた。


空が、そんなふうに言葉を探している姿は珍しい。


「嫌いだったわけじゃない」


「……」


「その人が悪いわけでもない」


__風が吹く。


空の前髪が揺れる。


「でも、付き合うのは違うって思った」


「……違う?」


空はそこで、ゆっくり美空を見る。


まっすぐに。


逃げられないくらい、真っ直ぐ。


そして__


「……美空がいるから」


世界の音が、一瞬遠くなった気がした。


「……え」


聞き返した声は、ひどく頼りなかった。


空は少し困ったように笑う。


「俺、昔からお前が隣にいるのが普通だったから」


「……」


「朝も」


「学校も」


「帰り道も」


「誕生日も」


ひとつずつ、

確かめるように。


「嬉しいことがあった時も」


「嫌なことがあった時も」


「……気づいたら、

最初に話す相手、お前だった」


美空の胸が、

苦しいくらい鳴っている。


空は続ける。


「だから、誰かと付き合うって考えた時」


少しだけ目を伏せて、


「その人が隣にいるのを想像しても、なんか違った」


「……」


「でも、美空が隣にいないのを想像したら」


空がそこで止まる。


喉がわずかに上下した。


「……無理だった」


美空の指先が震える。


鞄の持ち手を、

ぎゅっと握りしめる。


何も言えない。


言葉が見つからない。


ただ、

胸の奥だけが熱かった。


「……変だよな」


空が小さく笑う。


「自分でもよくわかんねぇ」


「……」


「恋とか、そういうのかって聞かれても、まだわかんない」


でも、と空は言った。


「お前が誰かと一緒にいるのも、俺が他の誰かと一緒にいるのも嫌だと思った」


その言葉に、美空の心臓が止まりそうになる。


__旧校舎裏。


__先輩の言葉。


今日ずっと胸につかえていた不安。


その全部が、一気に揺れた。


「……だから断った」


空の声は静かだった。


「美空がいるから」


夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。


美空は、

もう空の顔をまともに見られなかった。


__頬が熱い。


__胸が苦しい。


でも、嫌じゃない。


むしろ、

ずっと抱えていた何かが

ほどけていくみたいだった。


「……美空」


名前を呼ばれて、

顔を上げる。


空が少しだけ眉を寄せていた。


「お前は?」


「……え」


「今日ずっと、俺のこと気にしてただろ」


息が止まる。


「先輩に相談されたことも」


「俺が告白されたかもってことも」


「……気にしてた」


図星だった。


逃げられない。


空が一歩だけ近づく。


夕日の中、影が重なる。


「……なんで?」

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