混乱を鎮めし一声
「た、助かったのか......?」
背後には青白い木刀で構成された格子が出現し、無秩序に進軍していた悪魔達も波が引く様に伊勢神宮へと消えていった。運良く擬井制圧 曼殊沙華の外に逃れられた魔法使い達は、結界内部を茫然と眺める。
結界の外と異なり、内部はまさに地獄そのものだった。取り残された同胞が、悪魔達の矛先が向かぬ様に必死な祈りを捧げている。統制を取り戻した悪魔達が、壁を作り出した張本人を咎めようと動いている。
たった一人に向けられた苛烈な攻撃は、先ほどまでの無秩序な進軍とは天と地ほども違った。どんな悪魔達も、真剣に確実にたった一人に引導を渡そうと動いていた。
そんな地獄から、分かりやすく逃げ延びられたという安堵。そして、絶望からの揺り戻しによって、多くの魔法使い達は戦いを茫然と眺めるしかなかったのだ。
「魔法使いの皆様。申し訳ありませんが、まだ安心は禁物です」
だが、小粒とはいえ彼らも貴重な戦力だ。みすみす遊ばせておく理由はなく、結界一つきりの防御では余裕なんてものもない。ゆえに結界の外へ残った姫野は、心を鬼にして魔法使い達へ再び危機感を持たせようと声を張り上げる。
「私と、そして中で戦いを続ける彼は悪魔殺し。彼の発動した結界によって、内部では放出系の魔法が禁じられている状態です」
姫野の落ち着いた声が響き渡り、傷付いた魔法使い達の目を集めていく。大きな衝撃で目的を見失っていた彼らに、ハッキリとした旗頭が出現する。
「ですが、あの結界は実体を有している。つまりは物理的に壊れる可能性がある。そして、それを最も得意とする悪魔は、結界内でも万全の動きが許されています」
「このまま悪魔の好き放題を許せば、あの無秩序な進軍が再開されると?」
「可能性は高いかと」
姫野の言いたい事に、魔法使い達も気が付いたのだろう。
結界の外へ逃げ出せた魔法使い達には、僅かな時間だが平穏がもたらされた。しかし、いくら人類の希望たる悪魔殺しでも、相手取る悪魔は無数。どれだけ上手く立ち回った所で、結界に辿り着く悪魔はいくらでも現れる。
そして、魔法使い達を内と外に分断している通り、あの結界には実体がある。実体があるという事は、衝撃の連続によって崩壊する可能性がある。
もしも、悪魔達が外へと解き放たれてしまえば、彼らは再び進軍を再開するだろう。さらに、悪魔達が占拠したのは伊勢神宮。いくら簡易的な人払いをした所で、目と鼻の先には一般人達の営みがある。
そこまで辿り着かれてしまえば、被害は加速度的に上昇する。
「俺達に出来る事は?」
元より危険な伊勢神宮へ、戦力として配置された魔法使い達だ。一度は圧倒的な力に屈する事となったが、護国の心と魔法の腕は人類の中でも上位に数えられる。
彼らは自主的に姫野の下へと集まると、すぐさま役割を求めてきた。姫野はコクリと小さく頷くと、外から出来る戦いの説明を始める。
「先ほども言った通り、展開されている結界は特殊です。体外に放出されたあらゆる魔力を霧散させ、肉体の内で完結する内向きの変化魔法くらいしかまともに発動が出来ません」
「つまり、始祖魔法や契約魔法による援護は、全くの無駄足になるという事だな? 魔道具や神具は?」
「製作時に完全な密閉が施された物。いわば魔力補充が出来ない、使い捨ての魔道具なら機能します」
「元から質より量で、魔道具はかき集めていたんだ。そっちについては、それなりの数が揃えられると思う」
「ありがとうございます。まずは内に残っている方々へと、有効な武器の供給をお願いします」
「ついでに俺達の方で、彼らの援護もだな?」
「はい。悪魔殺しの彼に関しては、ある程度は自力でなんとか出来ます。むしろ、下手に悪魔を刺激して、結界へと目を向けさせる方が危険です」
出来る事なら姫野も、孤軍奮闘を続ける翔を援護したかった。
だが、現在の悪魔達は翔の排除を最優先で動いている。どれほど強靭か分からない結界には手を伸ばさず、分かりやすいウィークポイントである彼のみに戦力をぶつけている。
これで下手に外部からの援護が悪魔達の目障りになれば、矛先がこちらへ向く可能性があった。そして、それは内部に取り残された魔法使い達が、根こそぎ殲滅されるのと同義である。
だから姫野も、まずは体勢を立て直す事を優先した。どれだけ微力であるとも、魔法使い達だって立派な戦力。適切な運用さえ施せば、巻き返しの一助になると考えたのだ。
(本当なら、ラッツォーニさんの指示が欲しいのだけど)
姫野も立場上、人の前に立って仕事をこなす事はある。だが、彼女の場合は儀式や祭事の主役がほとんど。決して進行役そのものではないし、人を動かす時もあらかじめ段取りが決まっている場合ばかりだ。
その点で言えば、こういった集団戦はマルティナが輝く時である。
悪魔祓いとして数多くの仕事をこなしてきたマルティナは、人の動かし方も集団戦の立ち回りも心得ている。もしも彼女が到着していれば、反撃の準備だけでなく、反撃そのものへと打って出ていたかもしれない。
けれど、だからこそ姫野は準備だけに留めた。マルティナという模範解答が存在するからこそ、自身の判断で残った戦力すら消し飛ばしてしまわぬ様に配慮したのだ。
(天原君が、どれだけ耐えられるか分からない。悪魔の目的が、いつ切り替わるか分からない。せめて結界が壊される前に、方針を決めておかないといけない)
外部へ逃れた魔法使い達は、すでに先ほどの指示に従って動き出している。悪魔殺しという特記戦力が登場したおかげか、彼らの士気は敗戦直後に拘らず高い水準に見えた。
けれど、姫野が出した指示は準備だけ。ここで結界の崩壊や悪魔の行動変化といったイレギュラーが発生すれば、指針を示されていない彼らはパニックを起こしかねない。そして、再び地に落ちた士気を取り戻すための材料が、人類側には残されていない。
(無理を言っているのは分かっている。けど、ラッツォーニさん、デュモンさん。出来るだけ早く辿り着いて、天原君の力になってあげて)
翔の擬翼とマルティナの翼やニナの使い魔では、スピードに大きな差があるのは分かっている。ましてや、使い魔の方はどうしても人目に付く。いくら人払いを全力で施したとしても、下手なルート取りは余計なパニックを生み出しかねない悪手と言えた。
けれど、この瞬間こそ無理が必要な場面だった。全力の魔力消費を行ってでも、盤面を整えなければいけないタイミングだった。後々の不利益に繋がろうと、戦場にすら辿り着けないのは論外。故に姫野は無理を承知で、心の中で二人の到着を急かした。
地上での戦いに限界が訪れたのか、遠目で見える翔が空中へと飛び上がる。
だが、翔が相手取っているのは国家。空中戦力が存在しない訳も無く、加えて地上からも大木や大岩による対空攻撃が始まった。
(頑張って......天原君)
共に結界の内へと残らなかった自分を、姫野は少しだけ呪いたくなった。けれど、そんな自罰的な思考はさっさと見切りを付け、翔のために祈りを捧げるのだった。
次回更新は11/7の予定です。




