72話 4月27日 自由研究…って授業なの?
ジリリリリ、ジリリリリ。
イリュージア学園の学生寮に、朝を知らせるベルが鳴る。
ジリリリリ、ジリリリリ。
早く起きて、とベルが鳴る。
「んー………」
部屋の主である、ディアナ・サルーインは、何とか半分だけ目を開けて、お目当てのものを探す。
まぶたが閉じかけていて、視界が不自由な分は、によによと伸ばした手で、ぽふぽふと布団をたたくことで補う。
「うーん………」
ジリリリリ、ジリリリリ。
ディアナの安らかな眠りを邪魔するモノを排除するべく、もそもそ動く。
「………あっ…たぁ…」
ディアナの小さな手が、ようやくお目当てのものを探り当てる。長く伸びた細い糸。青い色をしたそれをきゅっと握り込むと、寝起きで力が入らない事を考慮して、力いっぱい引っ張った。すると。
ジリリリリ、ジ。
ディアナを悩ませていたベルの音がぴたりと鳴り止み、朝日の差し込む室内に、再び静寂が訪れる。
「へへー……」
ディアナは、ころんと半回転し、体を仰向けの状態にすると、天井に向かってにへらと笑った。
「……おやすみ…なさー………」
かくして、ディアナの『紐を伸ばして、ベッドの上で目覚ましを止めてみよう作戦』は無事成功し、満足気に再び眠りにつくディアナなのだった。
――――そして、次にディアナが目を覚ましたのは、『ベッドの上で目覚ましを止めよう作戦』が成功してからおそよ三時間後のことだった。
「よくねたぁ~」
今度は、ぱっちり目を開けて、ひょいとベッドから抜け出し、制服を着て簡単に身なりを整える。
時刻は九時。いつもならとっくに授業が始まっている時間だ。
けれども大丈夫。なぜなら今日は、月に数回ある自由研究の日だからだ。
自由研究。とはまさしくその名の通り。授業に当てる時間をフルに活用して、自分の好きなことをやっていい日なのだ。
たとえば、一日中剣や魔法などの鍛錬をしてもいいし、馬術同好会や音楽同好会に所属しているものはその活動をしてもいい。
気が乗らないならば、一日中寝ていてもおとがめなしなのだ。
休日と違うのは、この日は教員がきちんと出勤していて、生徒の手助けをしてくれる部分。
たとえば、森で最強の魔物を狩りに行きたければ、前日までにアレク先生を確保しておいて、当日同行してもらえばいいし、質のいい音楽が聴きたければ、ピアノが得意なクレディリック先生にお願いして、リサイタルを開いてもらえばいい。
学園の決めた枠にとらわれず、生徒がのびのびと活動できる。
こう言えば聞こえはいいしけれども、前世の記憶があるディアナには、すこし…どころかだいぶ引っかかる点がある。
……自由研究の日って…、結局、ヒロインが攻略対象者との親密度を、それこそ自由にあげるための日だよねー………。
ゲームで逆ハーレムルートを狙っているものの、親密度が足りない攻略対象者がいる時、お目当ての対象者がいる場所に顔を出せばいいのだ。
ただ、親密度が上がる数値がそれぞれ違っているので、その日のイベントをこなすと一番数値が上昇するキャラクターのところに行く、という手もある。
……今日は、ライルさまだったはず………。
自由研究初日のイベントなので、ディアナもさすがに思い出した。たしか、学園から出て丘を降りたところにある魔動具屋に行けば、ライルと遭遇するはず。時間は午後だった気が。
……うーん…。行くべきか、行かざるべきか、それが問題だ……。
前世でちらりと読んだ本の中にあった、名台詞をもじるという、人によっては「無礼者!」とも言い出しかねないことをしながら、ディアナは食堂へと行き、焼き立ての塩パンとコーンスープ、そして小皿に盛られたサラダを受け取り、窓際を選んで座る。
いつもの朝食の時間とずれているので、席も選び放題だ。
まあ普段なら、この時間、食堂は開いていない。けれども、自由研究の日だけは、学生たちに自由に学んで欲しいということから、一日中解放されているのだと聞いていた。
……おねぼうさんには、ありがたい決まりだね。
レースのカーテン越しに見えるのは、石で作られた学園の校舎。重量感のある柱で建物を支え、柱の間につけられた窓は等間隔に並んでいる。規則正しいその並びは、まるで、学生たちに節度と規律を無言で促しているかのようにも思える。
一方で、女子寮の談話室や食堂など、人が集まる場所は、壁紙が可愛らしい花柄だったり、木の窓枠に小さな小鳥の彫刻がほどこしてあって、遠くから見るとまるで本当に小鳥がそこにとまっているように見えるなど、女の子が好きそうな装飾がほどこしてある。
男子寮には入ったことがないのでわからないけれど、同じようなしかけがあるのではないだろうか。
ディアナは、窓のすみに置いてある黄色い小鳥の彫刻を、つん、とつつく。
そして、いただきます、と小さな声で言い、ほわほわと新鮮なバターのにおいをただよわせる塩パンに手を伸ばした時、すっとテーブルの上に影がかかった。
……ん?
ディアナが手を止めて顔を上げると、目の前には、イリュージア学園でぴかいちのクールビューティが立っていた。
「あ…、おはようございます。アルテアさま」
「おはようございます、ディアナ様。朝食、ご一緒してもよろしいですか?」
「もちろんです」
おとといの魔物討伐イベント以来、なぜか名前で呼び合う仲になってしまったアルテアを、どうぞとうながす。
アルテアがディアナのとなりの席に座ると、アルテアの後ろに控えていた女性が、手に持っていたトレイをそっと置いた。
「わあ……ヘルシーですねえ」
率直な感想を述べると、アルテアは苦笑で答えた。
「ヘルシーと言うと聞こえはいいのですけれど……実は、朝は弱くて、あまり食べられないんです」
そう言うアルテアの前に並べられた朝食は、バナナやぶどうやリンゴや桃などの、フルーツの盛り合わせに紅茶のみ。
「まあ…、そうだったんですね」
あいづちを打ちながら、ディアナは今度こそ塩パンに手を伸ばす。
食べやすいようにあらかじめ八等分されたうちの真ん中をつまみ、口に入れる。
……おいし~。
パンを包む薄皮はぱりっとしていて、けれども中の白い部分はしっとりやわらかい。
黄金色の薄皮に振りかけられているほのかな塩と、ふかふかした中の部分の小麦特有の甘さ、そして、生地にしっかりと練り込まれた軽いバターの風味が、口の中で混ざり合う。
……今日も幸せだ~。
ディアナがほくほく顔で今日のパンを堪能していると、アルテアが訊ねてくる。
「そんなにおいしいんですか? そのパン」
その問いに、ディアナは即答した。
「はいとっても! アルテアさまも一切れいかがですか? おすすめはこの部分です」
以前食べた経験で、特にバターの深い風味が楽しめる部位をセールスする。すると、アルテアもうれしそうに手を伸ばしかけた。しかし。
「お嬢さま。パンをお召し上がりになるのであれば、新しいものを取って参ります」
アルテアの後ろに控えていた女性が、たしなめるように言う。
恐らく、ディアナたちの倍以上は生きているだろうその女性は、将来一国の王妃になる御方が、人の残りものを食すなどあってはなりません。とでも言いたそうだ。
「あっ…、申し訳ありません…」
とっさにあやまり、身を縮こませるディアナ。けれどもアルテアは首を振った。
「いえ、こちらこそありがとうございます。ディアナ様。ガーナ先生、わたしの分のパンは、必要ありませんわ」
……そっか、この人、アルテアさまの教育係だ。
アルテアが、彼女を先生と呼んだことで、ディアナも状況がわかった。
つまりディアナの倍以上は生きているだろうこの人は、アルテアのお妃教育のために雇われた人なのだろう。
けれども、ここ、イリュージア学園内に連れて来ていいのは、学生ひとりにつき使用人ひとりだけ。
だから恐らくこのガーナという女性は、寮内でのアルテアの教育係を担うと同時に、侍女の役割も果たしているのだろう。
……アルテアさまの教育係をされるくらいなんだから、身分は低くても伯爵…。それなのに、侍女の仕事もするなんて…、それだけ、アルテアさまの教育係という役割に、誇りを持っていらっしゃるんだろうな…。
そんなことを思いながら、さきほどアルテアにおすすめした、バターたっぷりのパンを口に入れる。
……んま~いっ。
噛みしめるたびに、絶妙な間隔でおとずれる塩味と甘味を味わいながら、ディアナが咀嚼をしていると、ぶどうをひとつぶ食べ終えたアルテアに問いかけられる。
「そういえばディアナ様、今日は一日どのようにお過ごしになる予定ですか?」
「今日は、魔動具屋に行こうかと思っています」
行先をかくす必要はないだろうと思い、ディアナは正直に答えた。ただ、まさか、ライルとヒロインのイベントが起こるか確かめたい、という、目的の方はとても言えないので、だまっておく。
「魔動具屋、ですか……面白そうですね。ご一緒してもいいかしら?」
「え…」
アルテアからの、思いもよらないお誘いに、コーンスープを飲もうと伸ばした手が一瞬止まる。
……えっ、ちょっと待って。えっと、今日は、魔動具屋でライル殿下とファルシナさまのイベントがあるかもしれなくて、そこにアルテアさまが鉢合わせとなると? ……………え、どうなるの?
ぎこちない手つきで取っ手をつかみ、まったり濃厚な味のコーンスープを飲みながら、ディアナは必死に考えた。
……いやいや。きっと大丈夫。だって、ファルシナさまとアルテアさまも、おとといから名前で呼び合ってるし、魔物討伐の時なんか、魔物が二体現れたら、ファルシナさまが右、アルテアさまが左とか、嬉々として作戦立てていたし、授業のあとなんか、「また一緒に戦いましょう!」と熱い握手を交わしていた。そのあと、なぜか「ディアナ様もご一緒に!」とか言われて、わたしも混ざったけれども。
そう。ゲームの内容はさておき、実際のヒロインと悪役令嬢Aは、とても気が合うようなのだ。つい数週間前に会ったばかりで、しかもディアナが知るかぎりは、おとといまでそんなに接点はなかったはずなのに。
一緒に戦ったことで、ディアナの目には、二人の間に、十年来の友人同士のような気安さや信頼感が芽生えたように思えた。
ディアナが、すこし仲良くなれたと思ったパメラにつんけんされ続けていることを思うと、かなりうらやましい状況だ。
けれども二人が仲良くしてくれるなら、ディアナにとってもそれは朗報。
お互いを大切に思っていれば、きっと、ゲームのシナリオみたいに、命にかかわるほどの険悪な関係にはならない………よね? きっと。うん。
まあそれに、もしヒロインとライルが魔動具屋に行ったとしても、イベントの参加者でないアルテアとディアナが出会う可能性は少ないのではないだろうか。
そんな予測を経て、ディアナは、口を小さく開けて、上品にリンゴを食べながらディアナの返答を待つアルテアに、笑顔で答えた。
「ええ、ぜひ。一緒に参りましょう」
次回のタイトルは『馬車内deトーク。』で~す。
ディアナ「もふもふもふ~ぅ……ふふふ」
アルテア「あの…、ディアナ様?」




