52話 4月19日 救いの手
……そりゃあ、まだ婚約者がいない上に、めったに女子と接触しない第二王子が、ダンスなんか踊ったりしたら、当然みんな見るよねっ。わたしだって、第三者の立場だったらぜったい見ちゃうしっ。
「もうひとつ付け加えれば、アルテア嬢は兄上の婚約者だから、どうしようもないけど、お相手が侯爵家…しかも、跡取りでもないクライヴ・フィクトル君なら、婚約者を挿げ替えることも可能だと思う輩もいるだろうね」
「…!」
なんてことを言うのだ、この男は…! たとえ冗談でも、言っていいことと悪いことがある。
しかも、現状のディアナは、もしかするともしかして、クライヴに婚約破棄されるかもしれない立ち位置にいるのだ。婚約者のすげかえなんて言葉、嘘でも聞きたくない。
ディアナの頭が、くつくつかっかっと、いい感じにわいてゆく。もしも今たまごなんて投入したら、さぞかしおいしいとろっと半熟卵ができることだろう。コツは、沸騰したお湯に入れ、ちょっと煮たあと火を止めて、五分ほど放置しておくことだ。……って、今はそんなことどうでもいい。
……わたしは、絶対に婚約破棄なんてしたくない。たとえ万が一することになってしまったとしても、それはあくまでもクライヴさまの幸せのため…! わたしが他の人に嫁ぐからとか、そんな理由でクライヴさまとお別れするなんて、ありえない…!!
心の中で思ったことをはっきりライルに告げようと、ディアナは顔をあげ、目にぐぐっと力を入れてライルを見据える。それから口を開こうとしたところで。
ちょうど、曲が鳴り止んだ。
「……」
大きく息を吸い込んで、今にも言葉を発しようとしていたディアナは、突然止まってしまった音に拍子抜けをして、思わずぽかんと口を開けたままの状態だ。
そんなディアナの手を握りながら、ライルはこともなげに言う。
「あ、終わったみたいだね。…どう? もう一曲踊る?」
「……!!」
驚きで思考が止まっている上に、新たな問題が降りかかってきた。
ディアナは口をはくはくさせながら、何をどこから言おうかと考える。
通常、パーティの時に、一人のパートナーと二曲以上踊るのは、マナー違反だ。
例外はあるけれども、それは、相手が自分の婚約者か配偶者、あるいはエスコートしてくれている親族くらいだ。
ようするに、今ここで、うっかりライルと二曲目に突入してしまったとしたら、それこそあらぬ噂が立ってしまうのだ。
……だ、だめだ。この人のペースに乗っちゃ…! うさんくさい笑顔の下に、どんなこわい顔があるのかは知らないけれど、二曲目は絶対に踊っちゃダメ…! ていうか、そろそろ手を放していただきたいのですが、ライルさま…!
こうなったら、きっぱりと断るしかない。そう思って口を開けたディアナの視界に、突然チャコルグレーが飛び込んで来た。
「えっ…」
何ごとかと、きょとんとしているうちに、ライルの手がはなれ、自然と距離が生まれる。けれども、その手をまたすくい上げられ、きゅっと握られた。
「えっ、え?」
驚いたディアナが視線を手の主に移すと、そこにいたのは。
つい少し前まで、悪役令嬢E、イルマ・ダントンとダンスを踊っていた、自分の婚約者だった。
「……クライヴさま」
「………」
口からぽつりと名前がこぼれる。クライヴは、そんなディアナにやさしく笑いかけると、すぐさまライルへと向き直った。
「わたしの婚約者のお相手をしていただき、ありがとうございます。ライル殿下」
「………」
クライヴの物言いに、ディアナは小さく首をかしげる。
……ん? 今、わたしの婚約者、の部分を強調していたような?
頭にはてなマークが飛び交うディアナの前で、ライルがわずかに口角を上げて答える。
「いや。彼女とのダンスはとても楽しかった。会話も弾んだし、どうやらサルーイン嬢とは気が合うようだ」
「……!!」
……合、合いません! ぜんっぜん、これっっぽっちも合ってません! あけすけに人の心を読むような人と、気が合ってたまるもんですかっ!
むきい! と顔を赤くして怒るディアナだったけれど、それを口にするほどのおばかさんではない。学園生に身分差はない、という建前は、王子さまには通用しないのだ。
「機会があれば、また話をしたいものだね。それじゃあ、わたしはこれで失礼するよ」
最後にそう言い置いて、ライルはすっと身をひるがえした。クライヴとライルの会話を聞いていた会場を、ざわりとさせて。
……き、機会なんてなーいっ! 二度とない!
ライルの背中を見つつ、心の中でぷんすこと怒るディアナ。怒ったはずみで、クライヴの手をぎゅっと握ってしまう。
「ディアナ?」
「…っ! …も、申し訳ありません…」
気づかうように声をかけられ、興奮状態の自分に気づくディアナ。
痛いだろうと離した手は、またクライヴにそっとすくい取られた。
やわらかく握りこまれた手から、クライヴの熱がほんのり伝わって来て、ディアナの胸がどきりと躍る。
「…っ」
先ほどとは違う意味で顔を赤くしたディアナ。そんな彼女の指をやさしくなでると、クライヴはディアナの耳もとでそっとささやいた。
「もう一曲、おれと踊っていただけませんか?」
「……っ! …っ」
――――断る理由などどこにもない。
首まで赤くそまったディアナは、小きざみにこくこく……と何度もうなずいて、クライヴの申し出を受けるのだった。
次回タイトルは『夜更けの交渉』
ディアナ「……意味深なタイトルだねぇ……。真夜中、スーツケースに札束をめいっぱいつめこんで、何やらあやしい取引を……」
ライル「言っとくけど、交渉ネタは君だからね?」
ディアナ「へっ!?」




