第32話 虚構の人格者
5月14日金曜日に抜擢試験の出願応募は締め切られた。翌週の月曜日にはトーナメントは組み終わり、志願者に通達されるらしい。
また同時にミファ達の放課後の戦闘訓練も翌週から始まる。彼女らに起こる環境の変化が俺達にとって無関係のものとなることが、これ程の恐怖であるとは、同じ部屋で生活していた頃には知り得なかった。
…ただ、彼女らとの接点がまるっきり無くなった訳でもなく、あれ以来毎日のように彼女達は俺とメーティスの部屋を訪れた。クリスは俺達を気遣わせないようにか微笑みを絶やさないでいるが、ミファの方は暫く浮かない顔のまま俺達とはあまり眼を合わさないようにしていた。…責任を感じてしまっているのはよく分かった。
そんなミファだったが、この日はクリスも連れず1人で現れた。何よりも意外なことには、彼女は2人分の珈琲をトレイに乗せて訪れていた。
「あの、どうぞ」
恐る恐るという様子で部屋に入ったミファは、ポカンと呆けている俺達を他所にカップを渡してきた。そして渡す毎に「ありがとう」と言われると、ミファは肩の力を少しずつ抜いていったようだった。
「…じゃ、いただきます」
「あ、はい。…どうぞ」
そうやって一言断ってから1口煽ると、その深い味わいに、ミファはどうやらこのために練習してきたらしいと理解した。メーティスもそれに気づいたらしく、「ミファ、淹れるの上手だね!おいしいよ!」と笑い掛けた。
「そうですか…!…よかった」
若干緊張が抜けきらないながらも、ミファはメーティスとそうして笑い合い、また奇妙な沈黙が部屋を満たした。ゆっくりと味を楽しめる空気では無かったため、ミファには悪いがさっさと全部飲みきってトレイにカップを戻した。メーティスはそれを見て急いで飲み干し、同じようにトレイに戻した。
ミファはトレイを持ったまま立ち尽くし、何か踏ん切りがつかぬ様子で密かな深呼吸を繰り返した。埒が明かないと思い「洗ってくるよ」とそのトレイを受け取ると、ミファは少し悩んだ後、「すいません、お願いします」と頭を下げた。
給湯室にて、洗ったカップを布巾で拭いていると、後からミファが追い付いた。カップもトレイも拭き終わっていたが、ミファが珈琲を淹れるときに使ってそのままにしていたのであろう器具が残っていたので、ミファが洗い、俺が拭くと分担して臨んだ。
本当にすいません、とミファがまた申し訳なさそうに頭を下げたので、俺は首を振って笑い掛けた。
「いいさ、これくらい。美味い珈琲飲ませてくれたからな。このくらいの手伝いはするさ」
「いえ、…それもだけど、そうじゃなくて…」
ミファは俯いたまま手を止めて首を振り、室内には蛇口を落ちる水の音が響く。顔を上げ、しっかりと眼を合わせたミファに、俺は真剣に見つめ返した。
「私のせいでクリス先輩とバラバラになっちゃって…、本当にごめんなさい。…すいませんでした」
また頭を下げたミファの小さな身体を見下ろし、俺は左手をハンカチで拭い直してからその頭を撫でた。少しだけ顔を上げて上目に見るミファに、俺は膝を曲げて笑ってやった。
「お前のせいじゃねぇしな。それにまだこれで終わりかなんて決まってない。多分、ミファがソプラの生まれ変わりって判明しなかったとしても、こんな風に2年生から選び出そうって話になってたはずだ。今回のこれは、その問題がはっきりと表立っただけのことだ。お前が気にすることは無いよ」
ミファは次第に瞳を潤ませ、ぎゅっと結んだ唇を震わせながら顔を赤くした。そして俯くと、涙が重力に負けてポタポタと落ちていった。
「…でも、メーティス先輩の方は…絶対私のせいですし……レム先輩と違って、もうチャンスも来ないから…」
「…大丈夫だ!ちゃんと俺がメーティスを連れてそっちに戻っていくから。心配すんなって」
ミファは鼻を啜りながら袖で目元を拭い、充血した目で見上げた。その幼くも、責任に対し強く在ろうとする視線に全てを許す気になった。
「明日、メーティス先輩を誘って街に出て、ちゃんと謝って色々話そうと思ってます。…クリス先輩が暇になっちゃうので、レム先輩、すいませんけどクリス先輩をどこか遊びに連れてってあげてくれませんか?…最近、クリス先輩も毎日辛そうなんです」
「分かった。じゃあ、明日はクリスを誘ってみるよ」
「…お願いします」
ミファはまた大きく頭を下げ、洗い物を再開した。…引き受けてから今更に、少し気まずいかもしれないなと頭を掻いた。
「それにしても、初めてじゃない?レムと私だけで出掛けるのなんて」
翌日の昼過ぎ、服屋へ訪れた俺とクリスは並べられた洋服の前に立ち並び、商品のハンガーを押し傾けていた。俺の服はこの前ミファに選んでもらっていて足りているので、今日はクリスの服を俺が選んでやることにしたのだ。
ミファに頼まれてすぐ部屋に出向いて誘ったのだが、クリスはミファがメーティスと出掛けるという話は聞いていなかったらしく不思議そうにしていた。しかし渋られることもなく、「いいわよ」と快く笑って頷いてもらえた。クリスは俺からの提案に対して、奇妙な程に抵抗を見せなかった。
「…ジョギングした時、一応2人きりだったりした時もあったが、あれは雰囲気違うもんな。確かに俺達だけでちゃんと出掛けるのは初めてかもしれん」
「……じゃあ、今のこれは、どういう雰囲気なのかしら」
「…さぁな。友達同士で仲良くお買い物って雰囲気じゃないかね」
クリスは首を傾げたまま微笑んだ。それは何処か寂しそうな表情で、俺の返答は彼女の期待からは外れたものだったらしい。
「…1年期の最初なら、レム、『恋人とかじゃね』って冗談も言ってたでしょうにね」
「かもな。…まぁ、俺も色々あったし、軽弾みにそういうことは言えなくなったよ」
「そうなんでしょうね。…でも、どうして今日は私を誘ってくれたの?」
「お前と遊びに出たかっただけだよ」
クリスは「そう」と笑うとハンガーから手を離し、俺の手元を眺め始めた。俺はそれまで適当に物色していただけだったのを、きちんとクリスの服を選ぶように気持ちを切り替えた。
「…クリスって好きな服とかあるのか?俺、あんま服のことは分かんねぇから、教えてもらわないと選べねぇぞ?」
「あら、レムの方から選んでくれるって言っていたのに?…でも、私も自分の服を選んで買ったことも無いし、よくは分からないわよ」
「あー…元カレとも服は見なかったって言ってたもんな。…じゃあ頑張ってはみるけど、変なの選び始めたらすぐ言ってくれよな」
「ええ、お願いね」
クリスはにっこり笑うと1歩後退って俺の背を眺めた。クリスは仮におかしな服を差し出しても怒ったりはしないと思うが、こうも見つめられているとプレッシャーを感じる。普段クリスが着ている服を思い出してみたり、振り返って今着ている物を確認してみたりした。
ノースリーブ、革ベルトのロングスカート、ヒールサンダルと白に統一され、両手に下げた小さな革バッグとつば広の麦わら帽子の素朴な奔放さが白の清純に大人びた印象を付与していた。クリスは自分の服を見られていると気づくと、少し身動ぎして佇まいを正した。
「大人の女って感じだな、その服」
「…そうかしら?」
「おう。いつにも増して綺麗だと思うぜ」
クリスは頬を染めた顔を背け、頬に掛かる髪を耳の後ろに掻き上げて「軽弾みではないの?」と笑った。
「冗談じゃないからいいのさ」
そう答えて商品の一群に顔を向け直すと、クリスは嬉しそうにクスクスと笑っていた。クリスに何が似合うだろうかと唸りながら目を皿にしていると、クリスは少し傍に寄って優しく覗き込んだ。…何か距離が近いな。
「そんなに考え込まなくてもいいのよ。私は大して服に拘りなんて持っていないから」
「そうは言ってもな…。…じゃあ、これなんかどうだ?」
パッと手に取った上着を宛ててみると、「そういうのも好きよ」と頷き返される。…及第点ではあるが、もっと合う物も探せばありそうだと思い、そのハンガーは元の位置に戻した。場所を変えて探せば見つかるかな、と歩き出すと、クリスはその後ろをぴったりくっついて歩いた。
…服単体で探した所で俺には良し悪しなど分からなかった。どうしようかと考えた末、クリスが今着ているコーデを際立たせる何かを与えてやるのが両者にとってのベストだろうかと思い至る。飽くまでも『引き立て役』を選ぶため、奇抜なものは避けて、白い服装が持つ清純・誠実のイメージに沿ったものを探していく。色々な物を宛ててみる内に、クリスは変に赤くなってニマニマと頬を弛めていた。
最終的に俺の中でしっくり来たのは、ベージュのカーディガンだった。クリスも笑ってくれていたので、試しに鏡の前に立たせて肩に羽織らせてみると、ぴったりと印象に合うようだった。
「クリス、どうだ?俺は結構合うと思ってんだけどさ」
「…ええ、いいと思うわ。…凄く…」
クリスは鏡に映る自分を食い入るように見つめ、鏡越しに俺と眼が合うとはにかんで顔を伏せた。俺はそれに満足するとカーディガンをハンガーに掛けて腕に提げ、
「折角だし髪も弄ろうぜ!お前、滅多に髪型変えないしさ。髪長いのに勿体ねぇよ」
もっと喜ぶクリスの顔が見たくなって、俺は半ば強引に手を引いてアクセサリー売り場へと連れていった。ポニーテールやツインテールにしてみたり、店員を呼んでお団子ヘアーに纏めてみたりと、いろんな髪型を試してみた。クリスは困惑して喋らなくなったが、赤くなった顔で絶えず笑っていた。俺は柄にも無くはしゃいでしまい、思い返すと軽々しく髪に触り過ぎていたような気がする。しかしクリスはそれを不快に思うどころか、寧ろ楽しんでくれていたように見えた。
これを着けさせてほしい、と銀の細いヘアピンを指差された時には、向かい合って前髪の片側を整えながら着けてやり、何の恥ずかしげも無く「可愛いじゃん」と笑って言った。
結局ヘアピンも一緒に買い与え、喫茶店へ休憩しに行く前に寄ったトイレで独り汗顔し叫び出しそうに蹲っていた。
「今日はありがとう。…誘ってくれて」
店の一角で紅茶を嗜み、一息ついているとクリスが真っ直ぐ見つめて呟いた。俺は笑って頷き返し、また1口飲んだ。
「…私、男の人に服を選んでもらったのは初めてよ。…ヘアピンも。…私、絶対に大切にするから」
「ん、喜んでもらえたなら何よりだ」
笑い合い、また沈黙が訪れるが、その静けさはちっとも気まずくなどなく、寧ろ温かくて優しくて、身体の奥底まで安らぎに溢れていくような穏やかな空気だった。
ふと、クリスがまた話し始めた。それは突然の話題だった。
「…レムは、どうして私にこんなにしてくれるの?」
「どうしてって、…友達だろ?」
「友達だから尽くしてくれるのね」
クリスは妙に引っ掛かる言い方をして頷くと、俺の方に身を乗り出して顔を寄せてきた。その潤んだ瞳と唇に、俺は堪らず唾を飲んで身構えた。
「…私からしてほしいことは無いの?」
…誘われているのだろうか、と脳裏を過った。まさかとは思うが、しかし、…仮にそうだったとしても、今の俺にはその資格など無いように思う。もし本当にクリスがそれを望んでいたとしても、今の俺にはクリスと寄り添う資格はまだ無いはずである。…彼女と対等になろうと、俺は今そのために努力しようとしている途中なのだから。
「…なら、笑っててほしい。…俺は笑った顔が好きだからな」
今はそう言って誤魔化すしかなかった。…クリスだってそういったつもりでこんなことを問い掛けているとは限らないのだから。今の俺に言えるのはそれくらいしか無いのだから。
「…そうなのね。…じゃあ、レム、」
「…あぁ、何だ?」
「無理はしないでね」
俺にはとうとうクリスの想いは分からなかった。ただ、彼女が向けていた微笑みには確かに失望が読み取れて、俺は彼女の言わんとしていることが分からないのを酷く情けなく思った。
また、その後も何度か訪れた沈黙の中で、「私達、似てるのよ」とクリスがポツリと自嘲した。俺はその真意を訊こうとしたが、クリスが紅茶を呷って眼を伏せるのを見て口を閉じてしまった。
翌週の月曜日、発表された最終出願数は32名であった。先週の26名集まった段階でトーナメントの都合で再度教員が呼び掛け、更に8名が出願し、余った2名分は座学の成績を考慮して振るい落とされたのだ。志願者は多目的室に召集され、早くもトーナメント表が配られた。俺に与えられたマッチナンバーはD6。1回戦目の相手はC1。名前を見ても誰だか分からなかったが、どうやら女子生徒らしい。
また、見るとCクラスからは知人が多く出願していた。リードが参加するのは予想できた事であったが、ジャックとルイが彼女を連れて出願してきたのは意外だった。話を聞くと、2人の彼女であるキィマとレシナが出願したがったため、自分達が出願しないのは男として立つ瀬が無いとのことだった。…2人には悪いが、俺は誰が相手でも全力で潰しに掛かるつもりだ。手加減はしない。
「やぁ、君も受けるんだね。予想はしていたけど」
多目的室を出ると、リードはそう声を掛けて笑いながら俺と隣り合って歩き、俺は深く頷いて笑い返した。
「あぁ、お前もな。…俺は俺で誰にも譲る気は無いけど、お前はお前で頑張れよ」
「あぁ、勿論」
会話はそう長くはならず、昇降口まで進むとそれで別れた。リードは何処かへ出掛け、俺は真っ直ぐ帰宅という具合だ。…リードもクリスに好意を寄せているため今回は本気なのだろうが、俺も負ける訳にはいかない。
…と、それはさておき、今週から授業に新たな動きがあるらしい。まず、戦闘訓練の時間を利用して『防御』の取り方を学ぶことになった。2週間程はレベル上げをやめて此方に専念しなくてはならないらしいが、俺としては少しでも戦闘を行って戦術を磨いて抜擢試験に備えたい所だった。…まぁ、防御だって戦術なんだし、今後のためと思えば必要なのは理解できるけどな。
そしてもう一つが、探査旅行学Ⅱで『性格診断式属性推測』というものが行われたことだ。この授業を担当するのはゾルガーロというスカした眼鏡男(入学試験の時に試験官をしていた奴だ)なのだが、1人ずつこの男と面談しなければならなかった。俺の番が回ってくるまでに3回分の授業が必要だったのだが、それは今日の1~3限で納まった。
話によると、深層心理と属性とには密接な繋がりがあるらしく、それは魔人化の際に作用して白と黒のどちらの魔法を扱えるようになるかにもある程度影響してくるらしい(魔法の習得順序などへの関係は未だ不明のようだが)。また魔人化のタイミングで大きな怪我を負っていて魔因子と細胞の結合に余計な負荷を掛けていたり、または自身の力に満足していたりすると魔法の習得が大きく変則化したりもするらしいが、そう言った例は稀であろう。HPなども深層心理によって影響を受けるそうだ。どうも生きる意思の弱い者ほどHPの増加量は少ないらしい(MPの方は謎)。
脱線したが、とにかくその診断によると俺は氷属性らしい。…俺ってそんなに根暗だろうかと不思議に思ったが、氷属性になる奴は大体内向的らしい。メーティスは炎(純粋、自己愛的)、ロベリアは風(善良、執着心)と言った所だが、性格としては『言われてみれば』と思う程度でそんなにがっつり当て嵌まっているとは思わなかった。血液型占いと同レベルなんじゃないだろうか。
今の段階でこうして属性を診断するのは、後期の魔法演習の際にすんなり自分が使える魔法を理解出来るように今から気持ち作りやイメージを固めるためらしい。今の俺達のレベルが4なので、ひょっとするともう魔法を使えるのかもしれないが(実際、常に霧か何かのイメージが脳裏を曖昧に過っていて落ち着かない感覚がある)、変な癖がつかないように演習があるまでは禁止と言われている。
こうして戦闘に必要な情報が少しずつ開示されてくると、今後へのやる気が湧くと共に他に遅れを取ってはならないという焦りも感じてくる。指南書を借りて読むのも日課になりつつあった。
…事件が起きたのは、その矢先だった。
各属性にありがちな性格
炎性…純粋、自己愛的、破壊的…
風性…善良、マイペース、執着心が強い…
氷性…内向的、女性的、慎重…
黒魔法系…炎性&氷性、氷性のみ、炎性のみ
白魔法系…炎性&風性、風性のみ、氷性&風性、全性(無属性)
(黒白問わず)魔法の習得が変則化する条件↓
自尊心の欠如
or過剰に自信がある
or魔人化時に魔人化のプロセスに影響を与える程の重症を負っていた
or etc




