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第105話 何だかね、変な夢を見たのよ

「…これから、…どうするのか…訊いてもいいかな…?」

 その晩、メーティスがクリスをシャワーに連れ出したところでロベリアから問い掛けられた。それが何を意図してか分からない俺ではなかったが、彼女の悲観的ながら真剣な眼差しに真っ向から立ち向かって敢えて無粋な質問を投げ返す。それには彼女の考えを聞く前に発言を潰す意図があった。

「…何のことだ。お前、メーティスと一緒にユーリ先生から聞かされただろ。それに昼間にも発言したはずだ。モルスムネに行くんだよ」

「そんなことは知ってるよ。作戦では確かにそうなってるよね。だけど、それをそのまま実行するかどうかは今レムくんの手に掛かってる」

 やはり彼女の眼には強い否定が込められていた。…この期に及んでそれだ。気疲れしていた俺には彼女の想いを汲む気概が無かった。寧ろ彼女が反発してくるのをただ鬱陶しく思った。

「今更何だ。まさか今からでもクリスを研究所に返して謝りに行こうなんて言わねぇだろうな?…そんな薄情な奴だとは思わなかったがな」

「馬鹿言わないで、真面目に聞いて。…クリスティーネ様を連れ出してこの船に乗せるためだけで、一体幾つ死体が出たの…?光の守護者の…あのゼランとかって人も、研究所の人達もきっと大勢亡くなって…。先生達だって、何だかんだ言って危なくなれば撤退するだろうと思ってたのに、本当に命を捨てて協力してくれて……」

 ロベリアは噛み締めるようにそう告げた。俺はその先を遮るべく叫ぶようにして、

「教員達が死んだとは限らねぇだろ!俺は逃げるように言ったんだ!マイクにも別れ際にそう言った!そもそもマイクの状況報告にだって誰か1人でも亡くなったなんて情報無かっただろうが!憶測で物言ってんじゃねぇ!てめぇ1人逃げたいならそう言えよ!別に俺は止めたりなんかしねぇからなぁ!どっか行って1人で好きに生きて人並みに幸せ掴んでろよ構わねぇから!」

「怒鳴らないで!そっちだって勝手に私を悪者にしないで!…うん、でもそうだよ…、逃げたいよ!ずっと私は逃げ出したかったのよ!けどそんなことはもうどうでもいいの、ここまで付いてきちゃったんだから!私が言いたいのはそんなことじゃない!モルスムネに行くのにまた人がたくさん死ぬってことよ!!」

 彼女は屈すること無くそれを指摘した。この状況の中で唯一俺達が甘えていたこと…それがこれだ。この作戦はクリス1人のために大多数の人間が死ぬことで成り立つ。教員達がどうなったにしても、既に今日1日で十を超える人々の死を通り過ぎている。そして不可侵領域のモルスムネへの道中には強力な魔物が蔓延り、その移動の間も協力者達が大勢犠牲になることは想定されていたことだった。

「命懸けてんのは俺達だって同じだ!モルスムネまでの道で俺達が死ぬ可能性だって十分にあるんだ!…だから、俺は何も責めるつもりでお前に逃げろなんて言ってないんだよ…!協力出来ないってんなら逃げ出してくれて構わない!生きててくれれば何よりだ!俺だってお前を不幸に道連れにする気なんか無い!」

「少しは話を聞いてよ!逃げたりなんかしないから!…クリスティーネ様は、確かに救われるべきだと私も思うよ。今まで人間達のエゴで振り回されて酷い目に遭ってきたのは見てきたし、今日もそれをありありと見せられた。…でも、その報いを受けるのが只でさえ無関係で善良な人達なのは、やっぱりどう考えても間違ってるもの!それってあの国王や研究の関係者達と全く同じことをしてるとしか言えない!あの人達が世界を救うためにクリスティーネ様の心を殺したのと、今私達がクリスティーネ様を救うために大勢死なせてるの、一体何が違うって言うの!?」

 …今更…今更それを言うのか…。ここで終わらせれば全てが無駄になる。マイク達の行動も意味が無くなる。俺達に残されている選択肢はクリスを守り抜くこと以外に無いはずだ。どうして今になってこんなことを…!

「…なら、…ならどうすりゃいいんだ。ハールポプラに籠城か?そりゃ無理がある。戦艦でも引っ張ってこられちゃ一溜まりも無い。それこそ港の住民が…もっと無関係な人々が犠牲になって終わる。更に言えばアムラシア大陸にはもう二度と戻れない。もう逃げ込める場所なんかモルスムネ以外何処にも無いんだ。船で逃げ回るのはもっと途方も無さ過ぎる。一応この船の乗組員は皆作戦のために協力してくれた人達だ、多分頼んで了承さえしてもらえれば好きに使えるだろう。魔物も不思議と海やその上空には現れない。だがな、それでも結局航海も命懸けの行為だ。アムルシアから新しく航路を築くのにどれだけ慎重な過程があったと思ってる。最悪作戦上死ななくて済んだはずの彼らが代わりに死んで、俺達もその巻き添えに遭うかもしれない。…あぁ、逸そ上手く名も無い孤島でも見つけてそこに隠れ住んでみるか?案外持つかもしれないな、数年程度は。その内見つかってしまうし、見つかった場合は対抗策も無くあっさり連れ戻されてしまう。見つからないにしても乗組員の人達には孤島での一生を強制してしまうか、もう戻っても確実に捕まるしか道が残っていない何処ぞの港に追い返すしか無いじゃないか。お前が言ってる『誰も死なせないやり方』なんてのは実現させるだけ誰かが地獄を見るだけなんだ。もう全員死を覚悟して付いてきてくれる手筈だ。皆揃ってモルスムネに進むしか確かな道は残ってないんだよ」

 早口に捲し立てるとロベリアは返す言葉を失いキッと睨んだまま口を結ぶ。…『ハールポプラに待機してる人々も連れて孤島を目指せば』とか、『それで小さな街でも作って惨めにならない生活を築けば』とか、そんな小さな抵抗では俺が首を縦には振らないと重々承知していて、ロベリアは悔しそうに拳を震わせている。そしてポツリと、掠れた小声でロベリアは反抗する。もうロジックなどかなぐり捨てていた、どうしようも無い感情の吐露だった。

「…ダメなことなの…?少しでも人が死なないようにって、今からでも何かを変えなくちゃって、そう思って何が悪いの!?そんなに頭が回るなら、何か考えて!教えてよ!?こんなの間違ってるでしょ!?正しく生きてる人達が犠牲になっていくなんて許して良いはずない!だからこうしてクリスティーネ様を助けたんでしょ!?だったら残りの人達も出来るだけ…出来るだけで良いから、救ってよ!何かあるんじゃないの!?何か、これ以上人が死に過ぎない方法が!!」

 彼女は一心に俺の目を見る。怒りではない、嘆願だ。どうにか正しい方へと進みたい彼女は、しかしどうしてもそこへ辿り着けず俺に泣きついていた。…だが、俺にはやはりモルスムネに行く以外に手段は無いように思われた。そして少なくとも、そこに掛ける人員は変更出来ず、その旅を格別安全にする方法など何も思い当たらない。強力な魔物による天然の布陣…モルスムネが持つその魅力に敵う別の逃げ場なども、他にはまるで思い付かない。

「…お前が言うのも、まぁ分かる。きっとその思いは正しいんだろうさ。けど、俺は正しい選択がしたいんじゃない。…クリスを救いたい。メーティスと幸せになりたい。そこにお前も居てくれれば嬉しい。…それだけだ。他の人達が協力してくれるならそれに甘んじてでも、最悪死なせてでも突き進む。それが駄目なら協力も要らない。俺達だけでも、…俺だけでも、クリスと共に突き進んでやる。それで死ぬんなら仕方無い。クリスと一緒に世界を滅ぼす大戦犯として死んでやる。それが俺が取るべき責任で、俺の望みだ。…あぁ認めるさ、確かに俺がやろうとしていることは完全な間違いだ。道徳も常識も無視した所業だ。悪党のそれだ。だが、それでもやるんだよ俺は。お前もメーティスも反対したって、俺は絶対にこのレールから降りたりしねぇ死んでも駆け抜けてやる」

「…どうしてそんな…。…レムくん、これまで色々あったじゃない。たくさん失敗して、たくさん悲しんで、それでも小さな成功を積み重ねていろんな発見をして…そこにはたくさんの人が関わって、たくさんの想いがあった。それを繰り返して成長してきたはずじゃないの…?…レムくん、その決断は今までの全てを裏切るよ。君に関わってきた人達も、その人達との思い出も、その時の君自身の気持ちも…全部それ一つで裏切るんだよ!…私、メーティスから聞いたよ。レムくんはメーティスのためにリードを殺さない決断をしたんでしょ?いろんな人に憎しみを募らせた君が、悩んで悩んで、悩み続けて、それでやっと選んだ答えがそれだったんでしょ?…それすら無かったことにするの…?クリスティーネさんのためだけに…?」

「…たかが1人の人間の成長なんかで変えられる程、世の中は甘く無い。俺を生け贄にして悪魔でも呼び寄せた方がずっと有意義だったかもしれないな。…成長とか、正しくとか…糞食らえだ。一体それで何を救えた?何が出来た?行き着いたのはこんな現実だった。…リードを殺さなかったのは確かにメーティスのためだ。私怨なんかで手を血に染めるのは、彼女を悲しませるだけだからな。…だがこっちは避けられない犠牲だ。クリスを救うのと百人前後の命とを天秤に懸けた時、俺はクリスを救わないなんて微塵も考えなかった。だから俺は百人を殺すことにした。場合に依れば世界中の命を奪うことも辞さない。…成長の貢献と言えば、一生を費やしてその責任を取る覚悟があることくらいだ。好きに否定しろ、その言葉はちゃんと受け入れる」

 ロベリアは俺と真っ直ぐ眼を合わせていた。そして、それ以上反対を口にすることはやめた。しかし、彼女だって諦めきれない。最後にもう1度だけ縋りつこうと、俯いたまま細々と呟く。

「……本当に、…何の手も無いの…?…無理なのかな…」

「……1つだけ、無謀ではあるが逃げ込める場所がある。…ツェデクスのアジトだ。リードは俺を迎え入れる気だったようだし、アジト内でもその旨を部下達に伝えていたかもしれない。もしそうなら俺の言い包め方次第で味方に出来る可能性が少しはある。奴らが救世を目的としていたなら、協力のスタンスを崩さない限り交渉くらい出来る。海を渡って各地に移動を繰り返していたところからして臨海に位置するアジトなのも窺えるし、この船で探せば見つかるかもしれない。もし迎え入れてもらえないなら俺が実力行使でツェデクスを従えるでもいい。ともかくこれなら出向くのは此処にいるメンバーだけで済むし、乗組員達にもおそらく安定した生活を保証できる。…どう思う?」

「……それは……無理…だよね…普通に…」

「だな。…だから、俺はもう何も思い付かん。何かあるならお前からも教えてくれ。…俺も、進んで間違いを犯したい訳じゃないからな…」

 流石にもうロベリアは何も言わなかった。その後間も無くメーティスがおまるに乗ったクリスを連れて戻り、話も流れていった。それから数日、船が港に着くまでを俺達は歯痒い沈黙の中で過ごした。


 パンジャでは着港後1日の休息が与えられた。船に食料を積んだりゴミを捨てたりするのもそうだが、乗組員達にも休息が必要だ。彼らは一々眠らなくてはならない不自由な身体で代わる代わるこの船を操縦してくれた。その分休みは取らせてやりたかったので、追っ手が迫る可能性があるにしても此処は堪えるべきだと考えた。と言ってもそれは別に危険な判断という訳でもなく、マイクの話では数日追跡を引き伸ばす程度の準備はしているとのことだった。出発時アムラハンの港に船が並んでいなかったので、大方出港不能の状態にしたのだろう。そこに関しては彼らを信じる他にやりようがない。

 ここまで連れ添った乗組員達は事務所の宿直室に泊まり、明日以降もまた航海に付き合ってくれる。実際彼らも俺達に協力した時点で犯罪者扱いなのだから、このままモルスムネまで同行してくれることになるだろう。ハールポプラからの馬車も合わせて人間の協力者がそれなりにいるのは、何だか心が救われる思いだ。人間も捨てたものではないと思えてくる。如何にマイノリティと言っても、そこにいるのであれば確かに存在する善性なのだ。クリスのために人が動いてくれることが、何よりも俺達には救いだった。…ロベリアにはああ言ったが、彼らを死なせないよう全力を尽くすつもりはある。

 そして俺達は、まず先に人気の無い公園のトイレを探した。荷物を宿に預けたり受付を済ませたりなどは後に回して、排泄などに融通の利かないクリスをトイレに収容して時間を稼ぐことにしたのだ。そしてその時間の間、メーティスは面倒を見るためにクリスの個室に同伴し、俺は全員分の荷物を手に公衆トイレの前に突っ立っている。

 ロベリアは俺達がこうして待つ間におむつや衣服を買いに出てくれている。今は貸し出された患者衣をクリスに着せてやったままでいるが、いつまでもそれでは悪目立ちして利点が無い。街の中を歩くに当たってこの仕事は必須条件だった。俺はロベリアが戻ってくる際の目印としてや、メーティス達が良くない輩に絡まれでもしないようにこんな所に立っているが、あまり気持ちのいいものではない。

 先程から通り掛かる住民の眼が不快だった。こんなところで俺が何をしているのか、怪訝や不審の感情を無遠慮にぶつけてくる彼ら彼女らが鬱陶しくて仕方無い。何食わぬ顔で通り過ぎていく者も気に入らない。普通に暮らす付近の人々の環境音ですら、その幸福を恨めしく思う。此処にいる人々も、クリスの献身があってこの生活を送っているのだ。その事実すら知らず謝罪も謙遜も無く暮らしている者達全員を呪いたくなる。

 …分かってはいる。この憎しみは正当ではない。別に誰も悪いことはしていないし、ただ生きているということを申し訳無く思えなどと俺の方が狂った思考を持っているのは理解している。だから、これはただの八つ当たりに過ぎない。思い通りにならないことにブツブツと文句を垂れているに過ぎない。ある意味、メーティスが横にいないでくれるのが幸いとも言えた。

 …受け止める物がなければ、クリスはずっと垂れ流しの状態だ。こうしてトイレに閉じ込めておくしかない。そんな惨めな姿を晒し続けるクリスも、それをほぼ密室の空間で見守るしかないメーティスも苦痛だろう。それに比べて俺は随分と甘やかされているものだ。…尤もクリスはもう苦痛などという感情も持たないかもしれないが…。

 …延々と虚無感に苛まれる。しかし、ここを離れることも出来ない。いつしか無感情になって傍の木の幹を眺めている。そこにある模様を人の顔とでも思い描いて特に面白くも無く眼を合わせたりしていた。

 ふと、非常に小さく弱い響きの足音が近付いてくる。それは人間ではなく、魔人の足音だ。しかし急いだ様子ではないのが、どうやらロベリアのものではないと予想させた。そうすると雲行きは途端に怪しくなる。討伐軍は大半がアカデミーからの依頼を受け、この折に合わせてポーランシャの調査のためアムルシアに集まっている。そんな今、俺達の行く先に魔人が現れるのは警戒するべき状況だった。そうした魔人は元々アカデミーの依頼を無下にするような荒くれ者か、俺達の反乱を予期しての回し者かのどちらかだ。どのみちいい方に話が転ぶ予感がしなかった。

 足音は林の向こうの路地を真っ直ぐ歩き、着実に此方に近づいてきていた。そして無警戒にその姿を現す。…しかしそれは、俺が危惧したような危険人物でも、刺客でも無い。偶然通り掛かっただけの、…俺達のよく知る男だった。

「…レム…?」

 彼は目を見開いて直ぐ様駆け寄ってきた。無駄に伸びている黒髪を揺らし、長身に似つかわしくない大人しい顔付きの彼は、再会の喜びというには剰りにも困惑に満ちた表情のまま俺の前に辿り着く。そして此方が安堵の笑みを浮かべるのも気にせず、両肩を掴んで脅すような勢いで顔を寄せてきた。

「…何でこんなとこにいるんだよレム!あれからどうしたんだ!?もしかして、アムラハンから逃げてきたのか!?何か酷いことされたりしたのか!?なぁ、おい!大丈夫なのかよ!?」

「…ルイ、痛ぇよ。手、力抜いてくれ…」

 俺の言葉に彼もハッと我に返って、少し下がって手を放した。しかしその眼は変わらず俺の目を射抜いてくる。…彼の反応にはただならぬものがあった。『酷い目』に遭って逃げてきた人々を散々見たような、俺達にもそれが降り掛かったのではと心配したような切迫した空気を感じた。…しかし、彼を気遣って嘘をつくつもりは無い。

「…酷い目には、遭ったよ。俺達っていうよりクリスがな…。だから、連れ出してきたんだ」

 ルイはその返答に、一瞬は安堵し、それから何とも言えない物悲しい表情を浮かべた。…その顔を見た瞬間、俺は彼ともう1人にも悪意の魔の手が掛かったのだと悟った。

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