表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/116

第103話 …ねぇファウド、あのお花はなぁに?

 明朝、俺達は早くから発電所の屋上へ登り、視察と銘打って教員達の入所を確認して懐中時計を睨んでいた。俺は例のチャームソードを、メーティスは以前通りの装備を、そしてロベリアは柄の部分に青紫の魔石を埋め込み全体を分厚く作られたメイス――『メイスワンド』の完成品を用意してこの場に臨んだ。

 …いよいよだ。この作戦を乗り越えた先に俺達の望んだ未来が待っている。もう二度と誰にも傷つけられること無く、クリスもメーティスも俺も、ずっと一緒に過ごしていける未来だ。…チェルスを置いたままクリスを連れて行ってしまうことに申し訳無さと不満を覚えるが、現在の所在も分からない彼女にまで手を回していられない。クリスさえ救われたなら彼女も納得してくれるだろうと諦める他無かった。

 通信機にマリックから『とつげき』と一報、これが俺達の潜入の合図だった。メーティスと、ロベリアと、共に頷き合って俺が先頭に立ち、研究所の見取り図で改めてクリスが監禁される部屋の場所を確認する。そして諸々の小物をポケットにしまうと、一斉に屋上から跳び立ち、その一跳びの勢いで窓ガラスをぶち破って部屋に押し入る。ガラスの破片は俺達の肌に弾かれて散乱し、カーテンは俺達の身体を巻き込んだのも束の間にそれぞれの得物に斬り裂かれる。勢いが自然に消えるまで横向きに転がって進み、身体を起こすとその広い一室の中心にいた。警報器から響き渡る騒々しいサイレンと光源を回転する赤いランプに注意を引かれて辺りを見回すと、その部屋には彼女の自室から持ち寄られたであろうタンスやカーテン、小物などが敢えて無惨に破壊された状態で無造作に散らばっていた。それらは適当に投げられたようであるが、不思議と俺のいる場所から一望出来るよう一方向に纏まっている。そして、背後を向いた先に変わり果てた姿の彼女が待っていた。

 写真で見たのと同様に大きなベッドの上に裸にされた彼女は、ベッド下の滑車と天井との交互に赤い鎖を伸ばして四肢を拘束されて上半身を宙吊りにされていた。ベッドのすぐ横には大きなゴミ箱が置かれ、中には閉じた大人用のおむつと塵紙が詰め込まれている。彼女の首は魔法を封じるための魔力拡散錠、そして顔は鋼鉄の仮面が覆っている。その仮面は几帳面に彼女の肌を覆うようにして、くっきりと彼女の鼻や顔の形を浮き彫りにしていた。その仮面の両目、両耳、鼻のそれぞれに、六角ボルトのネジ頭のような物が付いていた。更には口から5cm程蛇腹のチューブが伸び、その先が金具で固く閉められている。

 …仮面のせいで顔を確認出来ないが、その仮面の異様さと待遇から間違い無く彼女だと言い切れた。ロベリアが彼女を見て頷いたきり直ぐ様周囲への警戒を強めたのに対して、メーティスは息を呑んで立ち上がり、俺もただもう一度彼女に会えた喜びに打ち震えて立っていた。誰かが攻め込んで来るかもしれないなどの不安を忘れる程の感激だったのだ。

「…クリス…」

 思わず声を掛けた。眠る相手に呼び掛けるような優しい声だったが、それで彼女が反応を示すことはない。その仮面は彼女から外界の一切の刺激を奪い取るために着けられた物だ。俺の声も今は彼女に届かないだろう。自ずと勝手に進んだ足に身を任せて彼女に歩み寄り、両手は彼女を求めて大きく前に突き出された。…クリス、会えて嬉しいよ。待ってろよ、今その鎖から逃がしてやるからな…。

「…っ!レムくん、右!」

 その時、ロベリアの絶叫と共に刃が迫る。咄嗟に正気に戻って剣を振りその太刀筋を防ぐと、相手は即座に跳び退いて知らぬ間に開いたドアの前に立ち、赤いメイスを正段に構え直す。そこにいたのは防具の用意も無く紫檀色のロングスカートの右端を脚の稼働に合わせて裂いた、光の守護者の1人…ゼラン・ユームだった。

「ヨヒラの読みは外れたね。…あなた達の好きにはさせない」

 抑揚も無く呟いた彼女が再び此方に迫り、俺はクリスを気にしつつ左手を突き出して『フリーズ』を放つ。彼女は寸前に察して跳び上がって避け、また天井を蹴って迫る。彼女が繰り出した素早い突きを真横に避けて、着地の瞬間を狙って斬り掛かると、彼女はそれを飛び退いて避けつつ首を狙って右薙ぎを仕掛けた。しかし無理のある体勢での攻撃だったためかその動きはそれまでの俊敏さと比べてまだ対処が出来るレベルのもので、俺は何とか姿勢を屈めて避けるに至る。太刀風が頭に触れて肝を冷やしつつ、ゼランと反対に転げて距離を取り、その隙をカバーするようにロベリアが追撃を仕掛けに向かう。ロベリアの愚直な正面の袈裟斬りを難なく避けたゼランは後退しつつ左薙ぎを掛け、ロベリアは咄嗟の斬り上げで防ぐと弾かれて床に倒れる。後方へと大きく跳んだゼランに対し、メーティスの召喚で現れたペリュトンの『ブレイド』が襲う。突風と空気圧の斬擊が降り注ぎ、歯を食い縛って両腕で顔を覆ったゼランは身体中に切り傷を作ってドアの方へと飛ばされる。そこへ来て、彼女はドアを振り向きつつ「しまった…!」と慌てた。

 ゼランは廊下から飛び出した影に蹴られて部屋の反対側までとてつもない速さで転がっていく。現れた影が一瞬立ち止まると、それが全身を黒く染めたマイクだと言うのが分かる。彼はまた捉えられない速度で駆け出してゼランの上に伸し掛かり、激しく何度も彼女を斬りつけた。その様はまるで鬼人のようだった。

 …そしてゼランは灰色に染まり、最後の一撃を受けて黒く染まっていく。マイクは通常の肌の色に戻ると全身から夥しい量の汗を噴出して、回復薬と強化回復薬の両方を一気に呷っていた。ゼランはそんなマイクを見て、達観した笑みを浮かべる。

「…無茶な戦い方…。…そう、似てるんだね。ヨヒラが騙されたのは、そのせいかな…」

 マイクは小瓶2本を投げ捨てて口元を袖で拭い、ゼランに左手を向ける。その表情は緊張と、自戒のような苦痛を帯びている。

「あの人を騙したのは俺じゃありませんよ、彼です。…だから似てるというなら、彼の方でしょう」

 ゼランの顔がキリキリと此方を向き、その眼が俺を見つめる。彼女はゆっくりと溶けながら灰のようにパラパラと肌の破片を巻き上げて、「…へぇ……」と面白そうに笑ったまま息絶えていった。そこに残ったスライムを『ミファイア』で吹き飛ばしたマイクは駆け足で俺の傍に寄ってくると、すぐにクリスを見上げて鎖の1本を掴んだ。

「時間が無い。…この鎖はセネメイト製で簡単には切れない代物だ。少し手荒くなるが、クリスティーネの両手足を斬っていこう。一番力の弱い者は誰だ?掛かる負担を可能なだけ減らせるよう、弱い力で斬った方がいい」

「――…あ、は、はい…!……えぇと、…」

 先程までの光景に思考が持っていかれていて少し反応が遅れながら返事を返し、俺は立ち上がって後の2人に眼をやる。2人とも傍に駆け寄って俺を見つめ、名乗り出るかのように武器を胸の前まで持ち上げていた。

「…メーティスとロベリアです。武器も攻撃力は殆ど同じなので、どちらが行ってもいいと思います」

 俺がマイクにそう答えると、今度はどちらがそれを引き受けるかという話になる。当然メーティスも率先してその責任を負おうとしたが、その口が開くと同時にロベリアが「私で」と簡潔に申し出たので彼女の発言は閉ざされてしまう。ロベリアはメーティスに向き直って微笑み、メーティスを引き下がらせるため更に続けた。

「レムくんと同じで、メーティスにとってもクリスティーネ様は大切な人なんでしょ?…だったら私がやるよ。私ならそんなに躊躇しないし、時間も取らないよ。回復もすぐだし」

 時間が無いと明言されている今、片方がはっきりと立候補した時点でもう片方は譲るしかない。誰も異論を唱えることなく、ロベリアがクリスの前まで進み『ヒール』を挟みながら素早く足首、手首を刎ねる。支えを失って前へと倒れたクリスを抱き止めたロベリアは、すぐに彼女を俺に預けた。触れた肌は奇妙にベタつき、恐ろしく冷たい。仮面には見たところ隙間が無く呼吸が許されないようで、身体の動きどころか胸の浮き沈みすらない。…しかし、心臓の鼓動は確かにある。その一点だけが彼女の生存を明らかにしてくれた。手足もゆっくりと再生していった。

「…服、何か着れないか探すね」

 速やかにメーティスがそう告げて動き出し、ロベリアもそれに加わって部屋を歩き回る。しかし悠長にしてはいられない。既にゼランの介入で時間を取られていた。これ以上此処に留まっていては他の光の守護者が現れる可能性がある。

「…気の毒だが、時間が無い。クリスティーネにはこのまま外に出てもらおう。屋根を伝っていけば人に見られる心配も…」

 マイクは焦りで廊下の方に気をやりながら急かしたが、そこへ丁度メーティスがシャツを引っ張ってきて「すぐ済ませるので!」と着替えを強行した。流されるままクリスの身体を支えて着替えを手伝う俺に、待ち時間を紛らわせるためかマイクが現状の報告を始めた。ロベリアも戻ってきて、俺達の分も廊下を警戒してくれている。

「…ユニフェスを始め研究の重要人物は大半始末した。研究所自体もこれで機能が停止したはずだ。今は先生方が残りの守護者達3人の足止めを行っている。ゼラン様は万が一のためにここに残されていたのだろうから、ゼラン様を信用して残りの守護者達はもう暫く向こうでの戦闘に掛かりきりになるだろう。このまま順調に行けば追っ手も無く作戦は成功だ。気を付けていくぞ」

「着替え、終わりました!」

 マイクの報告を切る勢いでメーティスが告げ、マイクはそれに「よし!」と頷くと無言のまま窓から外に駆け出していった。俺達もそれに続き、俺は自らの武器をメーティスに預けて男物のぶかぶかなTシャツで身体を隠したクリスを横抱きにした。研究所のサイレンが遠退いていくに連れ、安心感に心が満たされていく。しかしそれと同時にクリスに与えられた待遇を直視する余裕が生まれてしまい、安堵は悲しみに塗り替えられていく。

 …今彼女が着ている服は、かつて彼女が俺に渡せずにいて、ずっと邸宅の戸棚にしまい込まれていた誕生日プレゼントだった。たった1着で首から膝の上までを隠せているのはそのお蔭だが、そもそもあの場所にそれがあること自体喜ばしいことではない。その他にも様々に彼女の物が研究所に持ち込まれ、その多くが破壊されていたのだ。そのことからして、おそらく研究所で彼女が反抗と思われる行動を取った端から見せしめのように私物を破壊されていたのだろうと推察出来た。…いや、彼女の反抗など無くとも、不貞腐れた種蓄達はその憂さ晴らしに彼女を利用していたのだから、きっと理由も無く目の前でくまの縫いぐるみや洋服なんかを八つ裂きにして反応を見て笑っていたのだろう。考えただけでも腹が立つ。…今はそんなことを考えている場合ではないと分かっているが、今抱いている彼女がこんなにも弱々しいのを見るとどうしても許せなかった。

 俺が思い耽っている間にも事は進む。以前リードが誘拐時に使ったとされる、住宅外れの林の中にポツンとある地下トンネル式の脱出口へと一行は向かった。トンネルの入口は当然アカデミーにより埋め立てて隠されていたが、そんなことは現場に関わったマイクには関係が無い。入口諸とも剣で打ち付け、あっさりとトンネルが顔を出した。躊躇い無く一斉にその奥へ進み、そのままアムラハンを脱出してのける。追っ手は一向に現れない。デコイとして予約した馬車に気を取られているのか、そもそもまだ研究所で足止めを食らっているのか、このトンネルを利用することを察知出来ないでいるのか…。

 ともかく一行はアムラハンの港を目指す。魔人の足で走って向かえば数十分で辿り着く場所だ。道中は順調そのもので、そのまま何事も無く済むような気がしていたが、やはりそうはいかなかった。目と鼻の先に港が見えてくる頃になって後方から追い掛ける足音が聞こえ始める。ロベリアやマイクの足に合わせている以上、このままでは追い付かれる。どうするかとなった時、やはり声を上げて立ち止まったのはマイクだった。

「メーティスはロベリアを背負え!ここは俺が食い止めておくから船に乗って早く逃げろ!」

 マイクは来た道を向いて剣を構え、俺達は少し先で止まって振り返る。追っ手はすぐ近くまで来ていたが、見るに相手は1人のようだった。俺はクリスを片腕に抱き直し、剣を持つメーティスへと手を伸ばして、

「俺達も戦う!1人くらいならすぐ…」

「駄目だ!あいつは複数で戦っても連携の隙に付け込まれる!俺1人が適任だ!」

 マイクは返事と共に飛び出し、追っ手と正面から斬り合いになった。…相手は俺達も見知った人物だ。普段掛けている銀縁眼鏡をズボンのポケットに引っ掛けて、冷静を極めた不変の表情を保ちながらに容赦の無い太刀筋を見舞うゾルガーロがそこにいた。

 ゾルガーロは薙ぎに屈んだマイクを透かさず前蹴りして走り出し、飛ばされたマイクが俺達の前で着地するのに合わせて追撃を掛ける。マイクは不安定な姿勢でそれを受け止めると、肌の色を僅かに黒く変化させ、見違える程の高速で強烈な蹴りを返す。ゾルガーロは10m以上は飛ばされた先で着地し、ゆらゆらと立ち上がってまた走り出した。

「…レムリアド、これを預かっていけ。後で追い付くにしろ、そうでないにしろ、こいつは今お前が持つべきだ」

 マイクは背を向けたままポケットから何やら取り出して俺に差し出した。ゾルガーロはそれを見て目を見開き、思わずという風に立ち止まる。マイクの手にはネックレスの細いチェーンが纏まっていて、そこから銀の十字架が繋がっていた。俺はそのネックレスとマイクの顔とを見比べて戸惑った。…それは彼にとって大切な物だろうと、彼が僅かに振り向いて見せた口元の優しい笑みを見て悟ったのだ。

「ティファレットの形見だ。失くさずに持っていろよ。天国の彼女もお前達を助けてくれるはずだ」

「…どういうつもりだ、マイク!」

 ゾルガーロは怒りの滲んだ眼で睨みマイクへと立ち向かってきた。マイクは彼と向かい合い、「行け、レムリアド!」とネックレスを突き付ける。

「行こうレムくん!ここは先生に任せて、早く!」

 逸早くロベリアが駆け出し、メーティスも「レム!」と駆け出し気味に呼び掛ける。俺は誰へともなく頷いてネックレスを受け取り、走り出しつつ一言残した。

「あんたの分まで俺達も成し遂げてみせる!あんたもそこそこにやりきったらちゃんと逃げてくれよ!頼んだぞ!」

 俺達がその場を離れた後に、彼らは刃を合わせて口論を始めた。その声が遠くなっていき、俺達は港へと向かう。口論は互いの立場への責めに始まり、耳に届かなくなる直前には共通の想い人への懺悔に変わっていた。愛した人と同じ選択の下世界を敵に回したマイク、愛した人が繋いだ世界を守るために心を殺したゾルガーロ…両者は自らの選んだ信念のために刃を向け合う。過去のため、未来のため、相容れぬ感情をぶつけ合う彼らの行く末を、とうとう俺は自分の目で見届けることは出来なかった。


「おお、来ましたか!ユーリさんから話は聞いてます!さぁさ、急いでください!すぐに出港しますよ!」

 ユーリと昔馴染みという船長が俺達を見つけるなりそうして手招きした。客船より一回り小さい船へと駆け込み、遂に俺達はアムルシアを脱してアカデミーの手を逃れた。一先ずの安堵にロベリアは入口の傍にへたりと膝を折り、メーティスは離れゆく港を見つめた。俺は物言わぬクリスを床に降ろし、横の壁に凭れさせた。

 メーティスと並んで港を眺める。船長は既に奥へと進み、そこには何の会話も無かった。脱出を遂げた達成感などよりもこのために尽くしてくれた教員達への感謝が大きく、敬礼の作法も碌に知らない俺達には、見えなくなるまでそうして見つめていることが何よりの礼儀であるように思われていた。俺は遠くなっていく彼ら彼女らとの思い出や、その犠牲を噛み締めて、いつまでもそこに立ち尽くしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ