第102話 いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい
ツェデクスの生き残りは即刻アカデミー地下の牢獄に収容され、発生したスライムはユーリ達炎の魔法使いによって処理された。俺とメーティスは回復魔法の処置を受けてアカデミーへの帰投を命じられた。此処で教員達の手伝いをしていられる心境に無いことを気遣ってもらえたのも確かだが、教員のほぼ全員が動員されていて校舎の方が手薄になってしまっているため誰かが戻らなければならなかったのだ。
ミファの遺体は民兵に処理を要請して片付けるようだ。目前で死を見届けた今ですら彼女の死を認められず、素直に悲しんでいられない。頭の中がぼんやりとして、何の感情も湧き上がらない。…アカデミーへの帰路の途中、自嘲して口を切った俺をメーティスが痛ましく見つめた。
「…いつまで経っても、知人が死ぬのは慣れないな…」
「……そうだね…」
彼女は自ら何かを語ろうという気力は無いようだった。…当然だ。俺だってそうだ。しかし、それでも論じなければ済まないことがある。…あの不可解な死に様について、どう受け取るべきかを俺は測りかねていた。
「…ミファを包んだ、あの風は何だったんだ…?……俺には、ミファが自ら死を望んであれに臨んだように思えたんだが…」
「あれは、……自殺だと、思う。…神様に訴えて、召喚獣と同じような力で殺してもらったんだと思うよ」
…おおよそ検討付けていたことなだけに驚きは無かった。召喚師である彼女の口でそれを語ってもらうことで、漸く自分の妄想ではなく実際にその解釈が正しかったと実感出来ることが大事なのだ。…しかし、彼女の発言はどうにも歯切れが悪く映った。
「そういう能力があるのか?どの召喚師でも」
「…多分、あるよ。私も同じ事が出来ると思う。能力っていうより、普通に神様に頼めば叶えてくれるよ。今私がレムに殺してって頼むのと何も変わらない。……でも、ミファは…」
「……何か、気になるのか?」
メーティスは自分でも確証が得られていないためか口に出すまで時間を要した。暫し無言で道を進み、その通りの角を曲がる頃に漸く重い口を開いた。
「…直感だけど、あの子…もう神様に見放されてた。…オーラ…って言えばいいのかな?何だか心の奥まで黒ずんでて全部に絶望してるみたいな感じ…。…あれじゃあもう契約が切れて召喚も何も出来ないはず。それまでの加護で培ってきた身体機能やHPとかの概念はそのままで、寿命で死ぬことも出来ずに絶望し続ける…そんな状態。……だから、本当なら神様に死なせてもらうように掛け合うことすら出来ないはずなの」
「…それが、ミファの場合は何故か出来てた…。……それは、何でなんだ?」
「…多分ね、普通の召喚師が召喚時や魔石との接触時にしか神様に接してもらえないのとは違って、ミファはいつでも神様に見守ってもらえてるんだよ。…光の神の実息である勇者リアスがソプラを見つけたように、クリスもミファを見つけて、惹かれ合った。それはきっと、ミファの魂が誰よりも神々に愛されているから。神としての力が弱いクリスがそうなんだから、他の神様はそれ以上にミファに惹かれてた。…だから特例として、契約が解けても神様に声が届くんだと思う。ソプラの頃からそうだったかは、分からないけどね」
メーティスは苦々しく笑ってそう終えると、力無く俯いて深く息をついた。俺から手を繋いで揺すってやると、彼女はそれをキツく握り返す。そして、ふと思い付いたように目を見開いてポツリと呟く。それは彼女の中でだけ完結し、俺に宛てられたものではない。
「…光の神が振り撒いた力をより濃く受け取った人間が召喚師になり易いのなら、魔石で契約する神々は光の神に味方する存在ってこと……。…じゃあ、光の神の血を継いだ勇者達も同じように…」
彼女は顔を上げて俺と眼を合わせた。自らの発見に驚愕する彼女に対し、俺は何も思わなかった。
「…クリスも、ミファみたいに自殺出来るの……?」
…例え拘束された身でも自殺が叶うとして、クリスはきっとそれを望まないだろう。だから俺は、…その発見に何も思わなかった。
チャームソードはロベリアに返した。俺が受け取った所で他の装備と同様に取り上げられてしまうのがオチだ。ならば来るべき日まで彼女が持つべきだろう。彼女は無事に帰った俺にホッと胸を撫で下ろしたが、剣を返すと悲しそうに笑った。人目がある中では例の作戦に触れられず、真意はユーリを通じて何処かの機会に伝えることにした。…そして、その来るべき日は、俺が期待した以上に早く訪れることが決まる。
22日の夕方、エラルドに持ち掛けられてホテルへと向かい、そこでマイクから言付かったという連絡を受けた。メーティスは作戦関連の連絡をするカモフラージュと分かっていても不満なことには変わり無いらしく、不機嫌な様子で武器工房へとユーリに引っ張られていった。俺も幾らカモフラージュとは言え不要な噂が立っては困ると考えていたが、その内容を知って不満は拭われた。
「まずは例の、研究所の兵士達が自殺を頻発している件についての連絡です。この自殺の原因となっているクリスティーネさんとお相手との記憶の共鳴ですが、これはクリスティーネさんが相手を認識して起こしている事象なので、クリスティーネさんが周囲を一切認識出来ない状態を作り出すことで回避できるという判断になったようです。そのため研究所は感覚器官を機能不全にするマスクを急遽製造してクリスティーネさんに着用を強制しています。それまでも人道に悖る研究ではありましたが、これはより一層内部の不満を煽ったようで、ボイコットによる組織体系の崩壊が起きています。警備も手薄になりました。これは我々にとって見逃せないチャンスです」
ベッドに俺、ソファーにエラルドが腰掛け、甘美な部屋の内装にそぐわない会話が展開され始める。彼女の言葉と、真剣ながら希望を孕んだ眼差しに強い期待を抱き、「じゃあ…!」とその先を急かした。ここで『しかし』と来るだろうかと警戒もあったが、彼女はすぐに頷いて微笑み期待通りの言葉を述べた。
「近日にも作戦を決行します」
夢に見た活路が遂に目の前に切り開かれた。俺は右腕でガッツポーズを取って立ち上がり、素直にその喜びを噛み締める。しかし、問題は作戦そのものの難度だ。下手をすれば死ぬかもしれない。何事も無くともその後一生を反逆者として過ごすこととなる。気の抜けない状況であることは何があろうと変わらないのだった。
「作戦は以前の話にあった通りです。6月25日、私達教員は9時に所内へと侵入しますから、レムリアドくん達はそれより前に発電所の屋上に待機しておいて、9時20分に行動を開始してください。各所の見取り図、懐中時計、通信機は前日にマイク先生からお渡しします。当日は必ず私達の入所を確認できる場所に待機するよう努々気を付けてください」
「はい、了解です。…ロベリアとの合流も当日ですか?」
「そうですね、…前日でお願いします。どのみちロベリアさんの装備は防衛部への目眩ましとして置いたまま街を脱出して頂きたいので、そうなると作戦日は初めから行動を共にして頂いた方が都合が良さそうです。ユーリ先生にも話は通しているので、向こうでも同じように伝えてもらっています」
彼女の指示に思わず腕を下ろし、その言い訳のようにゆったりとベッドに腰を落とした。…言い分は理解できたものの、ただでさえ不確実で厳しい作戦だったものに余計な暗雲が立ち込めた気がした。不安と口にしては先行きを見るに忍びなく、遠回りに換言した。
「…装備も無く進むんですか?」
「…少なくとも、ハールポプラに到着するまではそれでお願いします。到着後はそこに待機しておられる協力者の皆様に諸々提供してもらってください。道中で戦闘が起こらぬよう私達も最善を尽くしますので…。…レムリアドくんの装備はアカデミーが管理していて、持ち出した時点で記録に残ってしまうので、作戦中の障害にならないようにこれも置いたままにしてください。…ただ、メーティスさんの装備は持っていってもらって構わないと思います。それと、武器工房の方で製作したというメイスワンドとチャームソード…此方はユーリ先生の部屋に確保しておくので、それも持っていってください。……ついでに他の荷物について話しますが、まず、皆さんが船で出発する数分前にデコイの馬車を予約してあります。そちらの馬車に説得力を持たせて追手を予防したいので、皆さんの私物を幾らか積んでもらいます。船にはクリスティーネさんの救出後に直行してもらうことになりますので、その際の荷物は極力少なく…出来れば、路銀程度に抑えてもらえると助かります。デコイも荷物が多ければ多い程説得力が増すので、私としては部屋の荷物を全て馬車に積むようにして頂きたいです」
…他にもやりようはあるだろうと考えたが、手持ちの金で先に装備を買っておくなりしたところで無駄に金を懸けるだけだし、協力してくれる方々を疑っているようにも見えてしまう。それに手筈通りに行けば俺達だけで戦闘を行うことはあり得ない。仮に手筈通りにいかなかった場合、装備が整っていようとなかろうと関係無く失敗する可能性が高い。…ならば、ここはエラルドが言うように防具類は諦めた方がいい。
「…分かりました。じゃあ、そのようにします。…逸そロベリアの荷物はメーティスの方で購入して用意させておきましょう。ただのお泊まりで宿舎から着替えを全部持ち出させては怪し過ぎますからね。前日はロベリアには普通に一泊分の荷物だけを持ってこさせて、購入した服を鞄に詰めるように言っておきます」
「ですね、それがいいです。…では、その連絡も私達でやっておきますね。レムリアドくんは当日まで動かない方がいいです」
「あ、はい。…じゃ、お願いします」
深々とお辞儀した俺にエラルドはフフッと楽しそうに笑う。…しかし、その微笑は不意に寂しそうに移ろう。視線を膝に下ろした彼女は泣いているようにすら思われた。
「…結局、ゾルグは仲間になりませんでしたね」
「…ゾルガーロ先生、ですか。お友達なんでしたよね。…敵対するのは心苦しいですよね」
「仕方ありません。彼には彼なりの正義感がありますし、道連れにするだけと分かっていて強要も出来ません」
「道連れだなんて……今更こう言うのは無責任かもしれませんけど、…何とかして先生方には生きていて欲しいです。…生きて作戦を完遂したら、走ってでも何でも何処かに逃げ込んでください。……無茶は承知です、すいません」
「…ありがとうございます」
エラルドは何処か懐かしそうにフッ…と切ない笑い声を上げた。…ゾルグが掲げる正義とは何だろう。それは俺が過去に悪と断じた思想だろうか?…正義がぶつかることこそ戦争の源泉だ。人間は誰でも、他者の正義を上手く往なす術を学ぶべきだろう。
日曜日はメーティスの部屋で甘く温かい1日を過ごした。作戦やクリスのことには少しも触れず、2人だけの空間だった。ベッドの上で一度、彼女は俺の腿の付け根にまで手を伸ばし、思わず俺も彼女の腰に手を回して引き寄せたが、それより先へは進まなかった。…過去に誓った通り、それはクリスを救った後でなければ没頭出来ない領域だ。万事を果たし、幸せに引け目を感じなくなって初めて辿り着きたい関係だ。だから今は堪えることにした。
月曜日、作戦を翌日に控えながらも普段の仕事を普段通りにこなした1日だった。メーティスとの会話も殆ど無く、最後の仕事として放課後の校舎を廻っていた。…今日1日の、そして教員としても最後のその仕事は、平々凡々な教室の点検。窓が締まり、カーテンが纏まり、生徒が居残っていなければ次の点検へ移る。そんな呆気ない仕事だった。アカデミーに残っているのも俺だけで、何処までも閑散としているこの校舎がまるで俺の最後の作業を見届けてくれているような不思議な感覚に包まれていた。
ふとその内の一室で足が止まる。2年Bクラスの教室に、何だか頼りない小さな人影があった。誰だろうかと覗いてみると、待ち人来たらずという風に教卓に腕枕を作って突っ伏して、絶えず揺らした脚の先をカツンカツンと床に叩く、如何にも退屈げなイノギアがいた。彼女は俺が室内に踏み入るとすぐに立ち上がり、真っ直ぐ俺の前まで歩いてきた。その表情は妙に真剣で、夕暮れの斜陽に照らされて瞳は微かに潤んで煌めく。
「…よ、どうした?こんな時間まで教室に残って。…もしかして、部屋であいつらがイチャこいてるから気を遣って出てきたのか?何もこんな退屈な場所にいなくても街に出て遊べばいいだろうに」
「違うよ。…ここにいたら先生に会えるかなって。週に何回か見回りしてるみたいだから、今日会えるかは賭けだったけど」
彼女が浮かべた微笑は楽しそうでもあったが、それよりも切なく憂いを帯びた印象だった。彼女は俺の前に立ち止まる。残り3歩で胸が触れる所まで近づいて、1歩進むか躊躇ったように右足の踵が床から着いたり離れたりを繰り返す。それが落ち着くまでの空白を作り笑顔で繋いだ彼女は、結局1歩後退って腰の後ろで指を組んだ。
「今日もずーっと難しい顔だったね」
「今日?……今日は会った覚えが無いんだが…」
「…ごめんなさい、ちょっと話し掛けられなくて……。…気付いてくれないかなって、ちょこちょこ周りを彷徨いてたんだ。本当に分からなかった?」
「いや、すまん。全然知らなかった。ごめんな、ホント」
「ううん、いいよ。先生って変な所で鈍いから。私も用事って訳じゃなかったし」
頭を掻く俺に笑う彼女。そして再び重い沈黙。陽が燃えるように朱くなり、彼女の半面に掛かる影は益々黒々と深くなる。俺は彼女に笑い掛け、足を入口に向け指先で彼女を手招いた。
「もう締めるぞ。何か用事なら後で付き合ってやるから待っててくれ。時間は取らせないようにするから」
そうして背を向けた拍子に彼女は俺の制服の袖を摘まみ、俺の足が止まるとスッと指を離した。俺は半身を翻して彼女を向き、「…どうしたんだ?」と笑みを含んで訊ねる。彼女は泣き出しそうなのを必死で堪え、視線を脇の床に逸らしてぼそりと呟いた。
「…先生、どっか行きそうな顔してる」
「……すっぽかさないでちゃんと付き合うから、心配しないで昇降口で待ってろ。大丈夫だから」
「違う。…明日とか明後日とか、すぐ先の未来での話。…先生、離婚前のお母さんと同じ笑い方してる。…残していく人に向けるみたいな、優しくて…怖い顔…」
イノギアの声は心細く震えていた。俺は身体を彼女に向け直し、抱擁して落ち着かせようとその両腕を伸ばした。しかし、賢い彼女にはそれすらも暴力と変わらない苦痛を与えてしまうだろうと省みて腕を降ろした。
「…今日付けで別の仕事に移るんだよ。他の奴にはまだ内緒な。…まぁ、最後にお前に会えて嬉しかったよ」
彼女はその嘘を信じはしないだろう。しかし今の俺にはこうでも言うしかない。彼女は俯いて返事もしなかった。そして、今の話など無かったように、彼女は顔を上げて詰め寄ると自身の感情を真っ直ぐに伝えてきた。
「私、先生と話せて、先生のことを知れて良かった。周りの人は先生のこと色々言ってたけど、そんなの全部外から見た人達の出任せ…。ちゃんと顔を見て話をして、理解しようとしてなかったら、私も皆みたいに先生を話の種にしかしてなかったと思う…。…先生って、いい人だよ…。優しい人、強い人、真面目な人、お節介な人……でも、ちょっとバカな人…。…きっと本当は上手にやっていけるのに、自分のことだけやってたら何も苦しまなくて済むような人なのに、いつも誰かと一緒になって何かに心を痛めてる…呆れるくらい、バカな人…」
彼女は泣かない。ただ瞳一杯に煌めきを漂わせて震える唇を無理に笑わせている。…俺は彼女の目に向かい合っていられず、その眼を彼女の肩の辺りまで逸らせて言い返した。
「…お前が思う程、俺は善良じゃない。俺はお前には殆ど何も見せてない。…だから、そんなに慕ってもらえる謂れは無いはずだ」
「確かに、私はちょっとしか先生と過ごしてない。本当は先生のこと、よく分からないことの方が多いの。…だから、もっと傍で見ていたい。先生のことが知りたい。分かりたいって、そう思う。…そう思えるって、それだけ先生が素敵な人だってことだよ」
「…俺には分からないよ」
彼女の優しい言葉が、慰めるように甘く胸に染み込む。振り払うように首を振っていると、彼女はそれを両手で頬に触れて止めた。真っ直ぐに眼を合わせた彼女は、やはり泣いていない。泣かないように気を張っているのだ。俺の涙を優しく拭える、強い女性であろうとするように…。
「私を連れていって。…仕事なんかじゃないんでしょ?…きっと、クリスティーネさんを助けに行くんでしょ…?……先生、図星を突かれたら瞳孔が少し縮むから分かるよ。…お願い、連れていって」
「…駄目だ」
「どうして…?…私が子供だから?そうなの?」
彼女の眼は責めるように変わった。それでも俺は譲れなかった。今更彼女を作戦に加える訳にはいかなかったのは勿論だが、彼女の人生を俺達の都合でねじ曲げてはいけなかった。
「大人も子供も変わらないさ。俺はただ、君には普通の幸せを掴んで欲しいだけだ」
「…先生って、意地悪だよ。足手纏いだって言ってくれれば、私はそれで納得するのに…」
イノギアは小さく笑った。そして俺の頬に触れる手からは力が抜ける。俺は彼女の両手を掴んで降ろさせ、向けられ続ける純朴な眼をしっかりと受け止めた。胸が痛もうとも、俺は彼女の想いを断ち切らなければならない。俺は二度とこの場所には戻って来ないのだから…。
「…先に、残りの教室の点検を済ませてくる。終わる頃には寮に帰っていてくれ。…此処でお別れだ」
彼女の手がなかなか俺を放さない。彼女はその手を、しがみつくように握っては意を決して手前に滑らせ、やはり諦めきれずに握り直すようなことを繰り返していた。それを眺めて待っているのも俺には苦痛で、振り払おうとすればまた彼女は俺の手を強く握る。やはり彼女は大人にはなりきれず、泣かないでいるので精一杯だった。
しかし区切りの付け方を見つけたのだろう。彼女は一際強く手を握って俺の顔を真っ直ぐに見た。悲痛な程正直に訴える彼女の眼に、心臓を潰されたような苦しさを覚えた。
「…私、破瓜だけど処女だよ。…先生、…貰っていって…くれない…?」
「……時間が無いんだ。…ごめん」
彼女の手がスルリと解けて落ちる。俺はそれを見下ろしてもう一度、噛み締めるように謝罪を口にして教室を出ていった。廊下を歩んで遠ざかっていくと膝を突いた音の後に弱い嗚咽が響いて聞こえる。
「…やっぱり…バカだよ……」
吐き捨てるような呟きに続き、彼女の泣き声が背中に刺さる。しかし戻ることも、振り返ることも俺には出来ない。馴染み始めていた平穏と、その間に繋いだ絆とをその嘆きに引き連れた彼女は、沈みかけた夕暮れの校舎をとぼとぼと遠退いていく。その姿を窓から見届ける内に、彼女と同じ涙が俺の頬を伝って落ちた。
…せめて彼女が明日からもこの平穏の中で変わらずに過ごせるようにと祈りながら、Bクラスの鍵を締めてひっそりと校舎から立ち退いた。




