サトられ婚約破棄(後)
(……ああ、楽しみだなぁ……。花束は……ちゃん……と……。)
高揚の余り眠れないのではないかと心配していたリリィだったが、早めに寝台に入ったおかげか、やがてうとうとと睡魔に身を浸し始める。
――――しかし。ちょうどその頃。リリィの予定とは全く関係なく、王子が超能力に目覚めていた。
(…………ィ……)
(……リ……リ……ィ)
(……ぃ……こえますか……)
………………あ?
心地よい眠りを邪魔する声の闖入者に、リリィは脳内で猛獣の唸り声めいた恫喝を零した。
(……きこえますか……きこえますか……リリィ……あなたの……王子です……)
知らん。
リリィはぶった斬った。
友人の一人は王子だが、“あなたの王子”なる不審者には全く心当たりがなかった。
(今……あなたの……心に……直接……呼びかけています……)
やはり不審者だった。
リリィは唸った。
声は友人の第二王子に似ているが、彼はこんなびっくりオモシロ珍能力など持ちあわせていないし、よしんば、これは完全に例え話だが、空飛ぶ不思議な円盤に攫われて頭の中にチップか何かを埋め込まれこのような能力を植え付けられた挙句つい先ほどそれが開花したのだとしても、彼女の友人は、不躾にもこんな真夜中にいきなりテレパシーを飛ばしてくるような、そんな無神経な無作法者ではない。
――と、リリィは思っている。
だからこいつは声だけ似ているそっくりさんだ、どうせ悪霊かなんかだろ、と少女は無視を決め込んだ。
魔導に通じるリリィは、“不思議”にかなりの耐性があった。
(……明日は……昼頃に……学園の……中庭に……来るのです……)
うるせぇなぁ……。
少女の機嫌は加速度的に急降下していった。目を閉じたまま眉根を寄せる様子は、虎が牙を剥き出しにする光景を幻視させる。
絶対いかねー。と、鼻を鳴らしたのが聞こえたわけではないだろうが、声は、どうにも看過できない爆弾を落とした。
(…………婚約破棄を……します……)
…………はあ?
(婚約破棄を……するから……来るのです……必ず来るのです……)
いよいよもって、これは相当に性質の悪い悪霊だ、とリリィは仕方なく半身を起こした。
「ふぅーーーっ……」
少女の長いため息が暗闇に落ちる。
この悪霊は、王子の“声真似”でベラドンナとの婚約を破棄するような妄言をのたまっているが、まるで分かっていない。
リリィは彼の少年に思いを馳せる。
王子は確かに一つのことに夢中になると周りが見えなくなるきらいがあるが、ベラドンナのような素晴らしい人間との婚約を一方的に破棄するほどの愚物ではない。
彼は気の良い少年なのだ。
先日も、茶会の手土産にと郊外の花畑へ花を摘みに行こうとしたリリィに同行を申し出てくれた。
リリィが探していたのは製菓材料にもなる珍しい花で、花束にできるほどの量がなかなか集まらず、結局夕方頃までかかってしまった。王子は、膝をつき懸命に花を探すリリィをただぼーっと眺めていただけだったが、それでも文句一つ零さず付き合ってくれたことに少女は感謝していた。
リリィは寝台横にある机に目を遣った。暗闇の中薄っすらとだが、そこには、リリィ自ら魔力を通して、今も摘みたてのような瑞々しさを保つ花束が置かれているのが分かる。
(……そう言えば結局何のためについてきたんだろう、王子……。)
少年の身に付随するそれは余りに長すぎるため、リリィは端から彼の名を覚える気がない。
何度も時間と場所と来るのです来るのですと念押ししてくる鬱陶しい声を大変な自然体で無視し、少女は寝台を出て立ち上がった。
(……やっぱりあれかな、果たし合い、したかったのかな……。)
ゆぅらり、と。カイザーナックルが嵌った右手を持ち上げる。
(なんか「卒業するまで、待っていてくれるか?」とか言ってたしな……。)
花が集まり、さあ帰ろうと振り返ったリリィに、王子はそう告げた。落日に照らされたその顔が異常に赤かったのは少し気になったものの、問いの意味に全く見当が付かなかったリリィは一瞬考えこんだ。
そして少女の鋭敏な頭脳は、あやまたず解答を弾き出す。なるほど、王子はここで決闘をしたかったのだと。恐らく教師の目の届かない場所で白黒つけてみたかったのだろう。
見れば確かにここはいかにも思い切り力を振るのに相応しい場所に思える。
周囲に民家はなく、開けたこの場所ならば、リリィも周りを気にせず力を解放することができるだろう。
しかし気の良い少年のことだ、きっとリリィが花を摘むのを邪魔すまいと言い出せなかったのではないか。そう言えば、どこか落ち着きなく口を閉じたり開いたり……今思えば「言いたいことがあるのに言い出せない」、そんな様子があったかもしれない。
――なれば、王子の言葉は即ち果たし合いの申し込みだ。期日はそう、卒業後か、もしくは卒業式の直後かもしれない。
彼も紛うことなき貴人だ、そうそう自由な時間はとれないのだろう。尊き身が僅かとは言え損なわれるかもしれない可能性に周囲が黙っているとは思えない。
――この好敵手はそれまで自分を待っていてくれるだろうか――
王子の問い掛けから、そんな不安に揺れる心を感じ取ったリリィは、友人を安心させるべく、しっかりと目をあわせて頷いた。
少女の瞳には、青く猛る闘志の炎が燃えていたが――……人によっては、その“熱”を違う意味に捉えたかもしれない。
自分もいっそうの修練に励まなければ、と語る少女に、「それ……プロポーズなんじゃ……」などと、女友達の一人などは愕然と呟いていたが、当然リリィは歯牙にもかけなかった。友人が少々夢見がちなのを知っていたし、もし彼女の言う通りなのだとしたら、王子は婚約者がいるにも関わらず、他の女に求婚したということになる。
まさかあの気の良い自分の友人が、この国の王子が、そんな不誠実な最低の糞野郎であるわけがない。
――以上が、リリィの考えだった。
ゆっくりと開いた瞼の奥に灯る、透徹した青い光。
「――――――ハァッ!!」
裂帛一喝。
虚空を斬り裂いて突き出された拳から迸る螺旋が、彼我の距離を超えた。
(げぶらばぁっ!?!?)
何やら体中の骨が粉々になって吹き飛んだような汚い悲鳴が上がったのを最後に、ふつりと“声”は絶えた。
再び訪れた喜ばしい静寂に、リリィは満足気な微笑を浮かべいそいそと寝台に身を沈める。
やはり悪霊には「破ぁ!!」が効く――……幼少より、気合一つで様々な霊異をぶちのめしてきた少女は、今度こそ本当に健やかな眠りへと落ちていった。
* * *
ぽかぽかと麗らかな日差しの降り注ぐ午後。
美しい花々が咲き誇る庭園で、二人の少女が向かい合いお茶を飲んでいた。
ふと、黄金色の髪を豪奢に飾る少女が顔を上げた。
「そういえば、殿下が体調を崩されているらしいのだけど……リリィ、貴女何か知っていて?」
見た目だけは楚々としたもう一人の少女が、不思議そうな表情を浮かべ栗色の頭を傾ける。
「いいえ、何も」
――――きっぱりと告げた少女に、昨夜の記憶はない。実はあの時、彼女は半分寝ていた。
「王子どうかしたんですか?」
言いつつ、指を伸ばしかけたケーキスタンドから食物の姿が消えているのに気づき、リリィは悲しげに眉尻を下げた。
「卑しいこと」
それを目に留め、ベラドンナはツンと傲岸に顎を逸らした。
すると、どこからともなく使用人が湧いて出て、白いレースカバーが敷かれたティテーブルの上に、次々と菓子や軽食を配置してゆく。
見る間に整えられた山盛りの夢の再来に、リリィのまろい青瞳がきらきらと輝く。
早速手を伸ばし、ベラドンナ謹製の菓子を頬張る様はまるで栗鼠のようだった。
それを横目に見ながらあれこれとやかましくリリィの振る舞いについて口にしていたベラドンナは、余りに幸せそうな少女の様子に、思わず問いを零していた。
「……貴女、そんなにお腹を空かせていらしたの?」
「ベラドンナ様のお菓子、美味しくて大好きです!」
答えになっているようななっていないような、しかしそれは紛れも無い本音だった。
特に今日は、リリィが好きだと感想を述べた菓子ばかりが供されて、少女は幸福感でいっぱいだった。初めてベラドンナに作って貰った、あの木の実のクッキーももちろん目の前に並んでいる。
薔薇色に頬を色付かせ輝くばかりの笑顔で放ったリリィの言葉。
ベラドンナの首から鎖骨にぱっと朱の花が散った。
「――――べ、別に、貴女のために用意したんじゃないんだからねっ!」
――と、このように。
意地っ張りな令嬢が思わず素を覗かせて、使用人たちから生暖かい視線を注がれるというハプニングもありつつ。
二人の“秘密のお茶会”は、終始穏やかさと幸福に満ちたまま幕を下ろした。
一方その頃、話題の王子と言えば。
――――学園の中庭は、学生たちが思い思いの時間をすごす憩いの場所である。
併設されたカフェのテラスで友人と談笑を交わす者、点々と置かれたベンチに寄り添って座る恋人たち、木陰に居場所を見つけ読書に没頭する者もあれば、見事に整えられた芝生の上に敷物を敷いて昼寝を決め込む者もいる。
常ならばそんな光景が当たり前に見られる憩いの空間は、――しかし今、異様な雰囲気に包まれていた。
良く陽の当たる広場の中心に、何かが横たわっている。
担架に乗せられたそれは、包帯でぐるぐる巻きにされた人型の何かである。
それはくぐもった声で「こんやくはき……こんやくはき……」と繰り返している。
見ただけでSAN値が削れそうな何かだった。
学生たちは恐ろしさの余り、「それ」に近寄ることはできず、さりとて離れることもできない。何せ「それ」は、この国の第二王子であったのだ。王子の様子は一見して尋常ではなく、何やら異常事態の発生を窺わせた。国勢を揺るがす事態が起こったのなら故郷元に急ぎ伝える責務が、彼ら封地貴族の子息にはあった。
「それ」に近付こうとしては諦め、諦めては勇気を奮い立たせ、うろうろと「それ」の周囲を彷徨い、結局手前で引き返してくる。
生徒らの――魔術の素養に溢れた学徒たちの懊悩の軌跡は、外から内へと向かう渦巻き型の魔方陣を芝生の上に作り出していた。
それは完全に奇跡的に――――ミステリーサークル、と呼ばれるものに酷似していた。
ところで皆さんは、『ミステリーサークルはベントラの痕跡である』とする説をご存知であろうか?
「それ」の間近までは迫ったものの、ぶつぶつと呟き続けるそれに正気度を減少させられ目玉をぐるぐるさせる者。
危険を感じ、頭を抱えてゆらゆらと覚束ない足取りで戻ってくる者。
まさにお手上げだと実際に腕を掲げて見せた者。
一つ一つは何の意図も問題もないその動作は、併せれば――奇しくも、どこかの世界線で誰かさんが行ったベントラ(腕を上げゆらゆら揺れ目をぐるんぐるんさせながらぐるぐる歩き回る)の再現となった。
明るく暖かい陽光に反して、ぞっとするような空気の満ちた中庭。
今はもう、生徒たちは冷気の発生源たる「それ」を遠巻きに注視するばかりである。緊迫し膨らみきった空気がとうとう破裂してしまうかと思われたその時。
「それ」の体にふっと影がかかった。
こんなに良い天気なのに――自然、人々は空を見上げ、そこにある存在を発見する。
――――銀色の空飛ぶ円盤が、ちょうど「それ」の真上、空中に浮かんでいた。
ざわり。空気が揺れる。
ざわめきに応えるかのように、円盤に備え付けられた窓らしきものがぱかりと開いた。
そこから顔を覗かせたのは、なんと我が学園の数学教師である。
生徒らのざわめき、動揺はいっそう激しさを増すが、彼は我関せずとばかりに笑顔で手を振った。
円盤から光が照射される。
……そうして、王子は衆人環視の中、未確認飛行物体にキャトられていった。
こことは違うどこかの世界線で存在する、中の人入りの悪役令嬢がこの場にいれば、きっとこのような言葉で事態を詳らかにしてくれただろう。
「やつらは“実験”の結果を確認しにきたのだ。きっと記憶も消去されているに違いない」
と。
「それ」を収容した未確認飛行物体が、直線的かつ摩訶不思議な軌跡を描き空の向こうへ消え去ってからも、その、青く澄み、晴れ渡った大空へ、学生たちは呆けた視線を送り続けていた。
ぽかぽかと降り注ぐお日様で艶めくミステリーサークルの芝生と、気だるい午後の陽気だけが、いつもと変わらない昼下がりの中庭であった――――。
~fin~