エピローグ
ジェラルド・カルセドニを、意識し始めたのはいつからだろう。
最初こそ、兄を死に追いやった原因そのものなのだと思っていた。だけれど、そのわりには部下からの信頼も厚く、見習い騎士にすぎないルビにも親切だった(機嫌が悪いときに近づきさえしなければ)。
『な、何をなさっているんですか?』
ジェラルドは、「お慕いしています」と言われた女性から受け取ったばかりの手紙と贈り物を、ゴミ箱に捨てようとしていた。慌ててそれをルビが奪い取る。
『ふん。俺のことを知りもしないくせに気色の悪いことを言うからだ』
『でも、せっかくいただいたものを捨てるなんて……』
『女は所詮、外見しか見ていないのだろう? 俺に近づいてくる連中は皆同じだ』
冷水を浴びせられたような心地がした。ルビも性別を偽っているが「女」だ。それを彼が知ったらきっと、いままでのように接してはくれないのだろう。
そう思っていた、はずなのに——。
ジェラルドの態度は変わらなかった。変わらずルビを気にかけてくれたし、兄探しまで手伝ってくれると言い出した。
尊敬する上司だ、とそう思っていた。でもどこかでそれだけじゃない気持ちが芽生え始めていたことに、ルビは気づかないふりをしていた。
だって、本来ジェラルドにふさわしいのはリリアーヌのような女性なのだ(性格は徹底的に合わなそうだけれど)。しとやかで、身体に傷などないひと。ジェラルドの実家を訪ねたとき、リリアーヌをまじまじと見つめてしまったほどだ。
男装までして騎士団に在籍している自分とはかけ離れすぎている。それでも、
『お前を愛している』
そう言われたとき、胸が高鳴ってしまった。
うっかり、私も同じ気持ちです、と口が滑って言ってしまいそうになった。ジェラルドは酔っているだけで、本気じゃない、何度も自分に言い聞かせた。人恋しくなっているだけで、うっかり手近にいたルビなんかに声をかけてしまっただけだと。
ルビは所詮、田舎の騎士の家の娘だ。貴族出身のジェラルドとは家格も釣り合わない。
結婚なんて考えたこともなかった。
実家で、近所の子供達に剣術を教えながらのんびり暮らすのが性に合っている。
「おはようございます、ジェラルドさま」
右腕に嵌めた腕輪にそっと口付けを落とすと、ルビは朝の鍛錬に出かけた。
夜が明けたばかりのまだ暗い時間である。
乗馬服にも似た鍛錬用の服は男もので、相変わらず少年に間違われることもしばしばだ。父はどこかから婿を取ろうと躍起になっているらしいが、そんな物好きはこの国のどこを探してもいないだろう。
屋敷の外周を走ってから、素振りを……そう考えて外に出たところで時が止まった。
ような、気がした。
「どう、して」
目の前に立っている人物を見て、持っていた木剣を取り落とした。
「元気にしていたか」
すらりとした細身の体格は騎士には不向きの優男、と思いきや、様々な鍛錬も軽くこなしてしまう強靭な肉体の持ち主で——王都の女性たちから絶大な人気を誇る王立騎士団部隊長。
ジェラルド・カルセドニ。
まさにそのひとが、皮肉びた笑みを浮かべ、目の前に立っていた。頬をつねれば、ぴりりとした痛みが走った。どうやら夢ではなさそうだ。
片田舎の朝の光景には不釣り合いな紫紺のマントをひらめかせ、ルビに声をかけている。
いや、やっぱりまだ夢の中にいるのだろうか。会いたいと思っていたひとがすぐそこに立っている。手を伸ばせば触れられる距離に。
「ルビ」
「は、はい……?」
す、とジェラルドがルビの前で跪いた。
その姿はまるで騎士の誓いを口にするときのようで……いまからすることが、神聖なもののように思われた。
「シルビア・ブラックフィール嬢。貴女を愛している——心の底から」
ジェラルドは真剣だと眸を見ればわかった。心臓が爆ぜたかのように胸が苦しい。呼吸をするのもままならないほどに、喉が溢れ出ようとする言葉で詰まっていた。
目覚めたときが辛いのだから、夢ならはやく覚めてしまえばいいのに。
しかし現実は、まだ終わらない。
「私と、結婚していただけないだろうか」
「ジェラルドさま、それは……」
むりです、と反射的に口にしようとしていた。
ジェラルドの嫌いな言葉——自分でもなんとなく言わないようにしてきたせいで言いかけてやめてしまった。でも理由はそれだけじゃない。
頭をよぎって、しまったのだ。
ジェラルドの隣にいる未来が。
「どうか、この私の願いを聞き届けてはいただけないでしょうか」
恭しくルビの豆だらけの右手を取ると、優しく甲に唇を落とした。
そのとき何かに気づいたようにジェラルドの青い瞳が見開かれ、そして勝ち誇ったように笑った。
「もう逃しはしない……どこにも行かせない。俺の隣がお前の居場所だ」
「えっ、あ……」
次の瞬間に、抱きしめられていた。
ふわりと清涼感のある香りが鼻腔をくすぐる。
ジェラルドのにおいだ。そう思うといっぱいになった胸から、感情が溢れた。
「すきです」
「……もういちど」
「ジェラルドさま、あなたが好きです、でも……」
涙で滲んでしまったルビの言葉の続きを、ジェラルドが奪った。重ねられた唇から彼の体温が伝わってくる。
「返事はいらない、と言っただろう? ——俺はもう、お前のために生きると決めた。勝手にそうさせてもらおう」
おずおずと、ジェラルドの背に手を回す。想像していたよりも広い背中に無性にどきどきしてしまった。
会えなかった時間を埋めるように、初々しい恋人たちが抱擁を続けるあいだ、朝日だけがふたりを祝福するようにきらきら輝いていた。




