第36話 穴
産まれたばかりの嬰児を高々と掲げ、血と蟲と闇にまみれた部屋で哄笑する。しんとしたなかで響き渡る笑い声が部屋の四隅にうずくまる闇を揺らし、そこに潜む者たちが蠢動しているかのようだった。光雄、と僕の名前を呼ぶ。
「いいざまだの。明石を義士とでも違えたか。呪いに生まれ、呪いに生かされている救いのない男ぞ。外法に手を出したことで、わしと同じ道に足を踏みだした。それはおまえも同じよ。自暴自棄の捨て鉢で、そこに立っておるのだろうが、この子をどうするつもりだ。殺すのかえ?」
女当主の問いかけに、ゆっくりと首を振る。思考が緩慢だ。あの赤子は誰の子だったか。ああ、そうか。女当主と火伏せりの間に産まれたのだったか。
「化け物ならば……」
「殺すのかえ?」
口をついた言葉に女当主が応じ、抗議するように赤子が泣き始めた。
「これはただの赤子よ。いまはまだ罪のない無垢な赤子には違いない。体半分、冥途とつながっており、いずれ亡者どもの器となろうが、おまえに殺すことはできまい。よしんば、殺されたところで、また産むだけだがなぁ」
と、赤子の泣き声が途切れた。女当主の目が、赤子と自分の右腕があったあたりを睨みつけ、そこに何もないことを認めて、不快げに言葉を吐き捨てた。
「蛇娘風情が!」
ぎろりと両眼の向いた先に、切り落とした腕ごと赤子を抱く小夜さんが立っていた。
「返してもらいますよ。人の世に」
「小夜、おまえか。やはり明石の子飼いだったな。親子の情をしらぬ見世物小屋の出し物が、一人前の口をきくじゃないかよ」
「しらぬからこそ憧れる。願わくば、貴女のように道を違えることのないように」
「おまえはもう違えておるさ。母と子を引き離そうなどと、鬼畜の所業でないか。どうか、どうか、かえしておくれ。母を知らぬがゆえに、愛する子を奪い取るのか。のう、蛇娘よ?」
「貴女は、もう貴女ではない。人の皮を被った化け物です」
「くくく、言うではないか。それを言うなら、おまえの隣にいる光雄はどうだ。化け物の皮を被った人か。それとも、人のふりをした化け物ではないのかえ」
「すがたかたちが全てではありません」
ふん、すがたかたちがすべてよ。と鼻で笑うと、女当主が周囲をうかがうようにする。
「ところで、明石はどうした。姿をみておらんが、ここへたどり着くまえに力尽きたか」
「まさかでしょう? 明石様に限って、そのようなことはありえません」
「どうだかな。所詮は口だけの男さ。くくく、おまえたちを焚きつけておいて、一人、逃げ出したのではないかえ」
「あの人は……!」
声をあげかけたのを手で制して、まあいい、そこで子守りでもしているがいいと笑う。
「ながいあいだ待ったのだ。おまえたちを片付けてから、ゆっくりと器に入ることとしよう。依代を産むために力は落としたが、いまだからこそできる術もある」
「それを何もせずに待つとでも?」
片手に赤子、片手に匕首を手にして、小夜さんが女当主に向かって一歩ふみだした。
しかし、ふらりと揺れて膝をつく。よく見ると、返り血だけではない、全身に無数の傷を負っているのだった。
「くくく、狗どもを制するのは骨折りであったろう。赤子を抱きながら、その傷でどうしようというのだ。おとなしく待っておれ」
床から半身を起こし、半身を月の光に浸す。さえざえとした夏の夜に赤子の泣き声が響き、壊れた障子と、上下に切り離された怜子の死体とが青く浮かびあがった。
屋敷の闇が重なり合い、つなぎあわされ、黒々とした一体のものとなって青い光を飲みこむようにする。やがて、音を飲みこみ、光を飲みこみ、深い穴が現れた。




