第37話 目覚め
ごうごうと風が吹き込んでいき、その穴の先はみえない。
「さて、光雄にはわかるまいが、小夜、おまえならわかるか。これこそは吉原のお穴様よ。彼岸と此岸をつなぐ黄泉穴ともいう。今宵、月が沈むまで、消えることはない」
「これでどうしようというのです。貴女自身の墓穴にでもするのですか」
「それもよいな」
女当主が首を回し、がばりと起き上がった。それをみた小夜さんが姿勢を正す。
「光雄くん、気をつけなさい。なにか仕掛けてきます」
「兄さんはどうしたんでしょう。火伏せりを倒せたのでしょうか」
「わかりません。ただ、まだこちらに火伏せりが来ていない以上、足止めしてくれているのではありませんか」
「逃げるなんてことは……」
「ありません。馬鹿なことを言わずに、自身が化け物とならぬよう気を強く持つのです」
隙なく構える小夜さんの視線が黄泉穴から伸びる影を追った。反応できるような速さではなく、瞬時に僕らの足もとを抜けて、その先から狗どもと怜子の死体を引きずりこんでいった。暗い穴の上に、しっとりと濡れたような青い月光が落ちる。
青々と光に満たされた穴の縁は、静謐な湖面のようだ。
ぴちょんぴちょんと水を踏んで何者かが湖面に立つ。目を凝らすと、首のない怜子の死体が影絵のように浮かびあがり、水底から自分の頭を拾いあげるところだった。さらに、その周囲で水面を破るようにして、死んで引きずりこまれた者たちが身をもたげる。
「おぞましいことを」
小夜さんのつぶやきには怒りが込められていた。
ふらりふらり、よみがえった者たちが月光の底から這いあがってくる。怜子だけでなく、狗どももそうだ。青い月に縁どられて、いくつもの影が立ちあがってくる。水の音が聞こえでもするようだ。青い月の海から、不吉な死者たちが目覚めてくる。眠ることも許されずに。
「さあ、もう一度、死者たちと踊るがいい」
女当主が楽しげにつぶやき、じゃらりと鉄の音を響かせた。切り落とされた右腕はそのままに、左腕にいくつもの鎖を巻き付けている。その先は黄泉穴に、そこから立ちあがる死者たちの足首に枷となってつながっていた。
僕はと言えば、耳の奥から聞こえてくる蟲たちのささやきに揺さぶられながら、自分の意識を保つのに精いっぱいだった。
怜子と三度対峙し、三度倒した。
狗どももまた、何度でもよみがえってくる。小夜さんが、赤子をそっと床に置く。その息は荒く、限界が近い。
じゃらり、女当主が鎖をひく。
「どうした、おまえたち。そろそろ踊り疲れてきたか。相手が火伏せりでなくてよかったのう。あれが相手であれば、もう黒焦げにされておるだろう。みきのように、明石のように」
じゃらり、女当主が鎖をひく。
が、その鎖は、ぱきんと音を立てて弾けると、逆に女当主の腕を縛りつけた。さらに、屋敷を水底へ沈めていたような静謐さが崩れ落ちていく。
「やれやれ、待たせてしまったな」
やる気のなさそうな声がして、何度も手を汚させてしまったな、と明石が僕の頭をなでる。かすかに焼け焦げたような匂いがして、実際、あちこち火傷したり、服も焦げているようだった。懐から小さな鐘を取りだし、ごろんと床に転がしてみせる。
「火伏せりは手強かった。半ば浄化されていたとはいえ、なかなかに厄介だったね」
「うぬ、火伏せりを祓いよったか」
余計なことをしよって、と歯軋りする女当主の腕に巻きついた鎖が、ぎしぎしと音を立てる。
じゃらり、じゃらり、女当主を黄泉穴へと引きずりこんでいくのだった。
それに必死の形相で抵抗する女当主の姿は、すでに地獄の亡者の様相を呈していた。おぞましい呪いの言葉をまき散らしながら、じりじりと穴の縁へ引っぱられていく。




