伯爵の復讐は……
本日二度目の投稿です。
思いもよらぬ提案にセルジュは瞠目した。
「復讐? どうやって。ブロー伯爵はもう……」
「ええ、お父様には。ですけれど、お父様が生きていたら嫌がることならできると思いますの」
リュシーはいたずらっぽく笑う。
セルジュから身を離し、素早く上掛けを脱いで再びセルジュに抱きつく。
薄衣越しに感じるリュシーの柔らかい肌と華奢な骨格、それに匂い立つような甘い香りにセルジュは逆上せ上がりそうになった。
「リュシー!?」
「嫌ですか?」
「う……いや、嬉しい、とても」
セルジュはしどろもどろだったが、体は正直にもリュシーを強く抱きしめた。
「セルジュ様。お父様はわたくしをあなた様に取られるのではないかと心配していたみたいですわね」
「ああ。よほど嫌だったようだな」
「そして、わたくしたちは未だに白い結婚の域を抜けていません」
「そうだな」
セルジュはリュシーの言わんとすることを理解した。それはこれまでとは違って嫌な予感を導くものではなかった。
セルジュはリュシーの髪を撫でた。
「いいのか、俺で。今ならまだ引き返せるぞ。俺は執着心の塊だ、あなたにとっては不幸な結婚になるかもしれない」
「いいえ、不幸になりうるのはあなた様の方ですわ。わたくしは悪魔のブロー伯爵の娘ですもの」
「まだ父親の所業のつけを背負い込む気か?」
「いいえ。でもわたくしはお父様のように悪魔になることもあろうと思いますの……たとえばセルジュ様が愛人にうつつをぬかしたとき、とか」
拗ねたように口をとがらせるリュシーにセルジュは吹き出した。
腕の中の小さな存在が愛おしくてたまらない。
リュシーと結婚したとき、セルジュは確かに幸福だった。歓喜に身を震わせ神に感謝を捧げた。
けれども今のセルジュに満ちる思いはそれを遙かに凌駕する。
(あれは確かに幸運の始まりだった。それがいったいどういうことなのか、一番わかっていなかったのは俺だったんだな)
セルジュがリュシーの髪に顔を埋めると、リュシーはくすぐったそうに身じろぎした。
「愛人なんていらない。俺が固執したのはお前だけだ。知ってるだろう?」
「う……だって、セルジュ様、本当に悔しいくらい人気あるんですもの。求婚されていたときは嫉妬の視線で死んでしまうのではないかと思いましたわ」
「そんなもの俺には関係ない。ずっとリュシーだけを探していたんだから」
結婚したあの日、セルジュはすべてを理解し支配していたはずだった。そう思っていた。
だが現実ではブロー伯爵が真実なにをしようとしたのかさえ未だにわからぬままだし、リュシーには翻弄されるばかりで支配など欠片もできはしない。
けれども、セルジュが今ひどく穏やかで幸福な気持ちであることは確かなのだ。
リュシーの身内や使用人からどれだけ反対されようとも、あるいはセルジュの良心がどれだけ自分を責めようとも、もうリュシーを手放すことはできないだろう。
「リュシー、愛している。俺と本当の夫婦になってくれないか」
「ええ、喜んで。わたくしもお慕いしております」
リュシーの細い腕がセルジュの首に絡みつく。
セルジュはそっとリュシーに口づけた。
触れ合った柔らかな唇から互いの呼吸や体温が伝わって、思慕も嫌悪も、過去も未来も積み重なった思いも、あらゆるものを一つに溶かしだしていく。
愛し合える時間が愛おしくて、体の境界を超えられないことが切なくて、貪るように口づけをする。
しばらくののち体を離し、乱れた呼吸で見つめ合う。二人はどちらからともなくクスクスと笑い出した。
「お父上は地団駄踏んで悔しがるだろうな」
「生きていたらセルジュ様は決闘を挑まれたかもしれませんわ」
「はは、ざまあ見ろ」
「本当ですわ、まったく! ……なんにも言わないで、勝手に死んで」
リュシーは目を伏せた。
セルジュはリュシーを優しく抱きしめてブロー伯爵に思いをはせた。
――あの娘はお前程度には似つかわしくない。
――お前にはその憎しみを恨みを晴らす権力も能力も無い。
(俺は未熟だったということか)
確かに、文官になりたての平民でしかなかったセルジュではリュシーを守ることはできなかっただろう。
だが今は違う。
「今度はブロー伯爵に代わって俺があなたを守ってみせる」
「ええ……もうわたくし、一人ではないんですね。ああ、もう! いけませんわね、しんみりしては。そうだセルジュ様、ちょっとわたくしを罵ってみてくださいません? いつぞやみたいに」
「……ん?」
リュシーの言葉に妙な文言が混ざった。
「ええと、そうですわね、例えば……『このメス猫が!』とか『この淫売め!』とかがいいかしら。こういうときですし」
「えっ」
「ああダメですそんな戸惑った目ではなくて初夜の日のような冷たい目でお願いいたしますわ」
「えっ待っ」
「今の優しいセルジュ様が一番好きですけれど、セルジュ様の蔑むような目も素敵だったと思いますの! いいえ、わたくしだけじゃありませんの、ご令嬢方の間でも人気でしたのよ? 一度あの凍り付くような視線を――」
「あなたはそういうのが好きだったのか!?」
セルジュが愕然としているかたわらでリュシーはにこにこと笑う。
「違うと思っていたのですけれど、そっちも好きなようですわ。あら、でも可能性は広い方がいいですわね、積極的に広げるのもよいかもしれません。セルジュ様、今度ちょっと縛ってみても――?」
「俺にそんな趣味はない!」
「ですから挑戦してみるのです、人は変わるものですから!」
「そんな変わり方はしないでいい!」
「でも……ん」
セルジュはリュシーの唇を奪って、ゆっくりと寝台に押し倒した。
リュシーは話すのをやめて真っ赤になった。
セルジュはそんなリュシーを声を出さずに笑うと、夜着の紐に手をかけた。
混ざり合う二人の体温は夜のしじまに溶けていく。
伯爵の復讐は、ひどく幸福なものだった。
fin
これにてようやく完結となります。
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