第六話 背信の愛 その十五
それからリディアは小道の入り口まで戻ってくると、そこに止めていた自分の馬に乗り、鞭で叩いて猛スピードでそれを走らせた。そして、急ぐ気持ちに休むことなく馬を走らせると、王宮についたのはもう日が暮れて辺りは暗くなっている頃だった。
ひたすらはやるリディア、その手紙を手に、足早にレヴィンの部屋へと向かってゆく。すると、その部屋の前には護衛の者が二人、近づくものに目を光らせて立っていた。そして、すぐにリディアの姿に目をとめると、
「何か用事か?」
厳しい面でそう問うてきた。
「はい、殿下にお目通りを願いたい」
リディアが負うのは、誰にも侵すことのできない主人からの命。それを察してか護衛の者達は躊躇いなく頷くと、恐らくレヴィンに伝えにいったのだろう、リディアを待たせて部屋の中へと入っていった。
※ ※ ※
そしてそのすぐ後、リディアは護衛に合図され、部屋の中へと通された。すると、そこには予想通り待ちかねた表情をしたレヴィンがおり、その前にリディアは跪くと、早速魔法使いからの手紙を彼に渡した。それにレヴィンは頷いて受け取り、すぐに封を開け熱心に手紙を読み始める。そして、やがて……、
「やっぱり……そうだったのか。だが……」
納得したようにうなずきながらも、「厄介だな……」と呟いて、レヴィンは困惑した表情を浮かべる。
「失礼ですが、一体何なのでしょうか、その手紙は」
お使いを頼まれていてもその内容までは知らされていなかったリディア、魔法使いにしてもレヴィンにしても、それを前にした時のあまりの熱心さに、つい疑問に思ってしまいそう問う。
するとそれにレヴィンは、困ったような表情をしており……。そう、言っていいものかどうか、悩むような。
だが、躊躇うようなら無理に聞くつもりは無いのだ、躊躇うようなら。そして、目の前の主人は明らかなる躊躇いを見せており……なので、リディアはその気持ちを伝えるべく、口を開こうとすると……それよりも前、レヴィンは目の前にいる護衛係達に視線を送ると、この場から下がるよう命令した。そう、いつもなら戸惑うであろう内容の命令を。だが、リディアが王子から何かの命を負っていることは皆察しているようで、意外にも素直に護衛係達はそこから下がっていった。まぁ、その中にはフレイザーの姿もあり、この退出の意味をどう受け取ったのか、どこかいたたまれないような表情をしていたのが、リディアの胸には痛かったが。
そしてレヴィンとリディアは二人だけになると、
「この手紙はね、バートラム三世の指輪に隠されていた、とある書物の解読結果が書かれてあるんだよ」
それが秘密の話である事を示すよう、レヴィンは声をひそめてそう言った。
「バートラム三世の指輪とは、あの呪いの指輪のことですか?」
「そう」
「中に書物が、隠されていたと?」
「古代魔法に関して記された書物がね。ジャメヲ語の古語で書かれていたので、彼の友人のクリフォードという呪文学者に解読を頼んだらしいが……結果、その書物はやはり古代魔法についての本だったと判明したんだ」
レヴィンの言葉に、リディアも他の者と同じく驚きの表情をみせる。
「それは……」
「そう、この世に一つしかないかもしれないものだ、すごいだろ。でも、このことは内緒だよ。まだ謎の部分があってね、全てが明らかになるまでは、彼の手に預けておきたいと思っているから。もし知れたらえらい騒ぎになると思うし」
細かく話す必要は無いだろうと、重要な点だけを簡単にまとめてレヴィンはリディアに言う。そして、指を口元に持っていって、「だから……」と他にもらさぬことを念を押してゆくと……。
「かしこまりました」
それに、リディアは確かに約束したことを示して頷いてゆく。すると、
「色々仕事を頼んですまなかったね。またお使いを頼むことがあるかもしれないけど、その時はよろしく。今日はもう帰って休むといい」
その言葉に、リディアは深々と頭をたれ、その場から退出していった。そう、今日の仕事を振り返り、本当に色々あって忙しかったなと思いながら……。
※ ※ ※
そしてその日の真夜中。
森の中にある魔法使いの屋敷では……もう大分夜も更けたというのに、まだ灯りが点っていた。それは勿論、あの本に関して、色々考えることが多すぎたからで……。取り敢えず、まだ仕事の残っていエミリアは、その仕事、台所での食器の後片付けに精を出していた。だが魔法使いは、その後ろの居間で、食卓の椅子に座って、クリフォードの訳したノートと首っ引きになっており……。
そう、あれからざっとではあるが、ノートに目を通してみたのであった。だが、確かに興味深い内容ではあるものの、やはり現在予想されていることの枠から出ることはなく、真新しいようなことはそのノートには書かれていなかったのだ。
やはり、注目すべきは魔法の制御部分か……。
だが、一体何故文を隠すなどということをしたのだろうか、それも一番重要な部分を。その、余りに腑に落ちない行為に、ひたすら頭を悩ませるばかりの魔法使いであって……。大体、後世に託す為これが残されたのだとしたら、読めなければ意味が無いではないか。確かに、力の制御が出来る古代魔法使いが存在すれば、その者を巡って壮絶なる争奪戦が繰り広げられるか、その力を恐れて抹殺しようとするかどちらかの行動に出ることは想像に難くない。実際、それを恐れたバートラム三世により、古代魔法使いは全滅させられているのだから。ならば、その悲劇を繰り返さぬ為に封印されたのだろうか? それとも、やはり何かの方法を使えば読めるようになっているのだろうか?
例えば……。
するとその時、屋敷を覆うよう張り巡らせた結界が、大きく震えるような感覚が魔法使いに伝わってきた。そう、何者かの手によって、無理やりそれをぶち壊そうとしているかのような。それは、もしかしたら当人はひっそりやっているつもりなのかもしれなかったが、こちら側の人間にとっては実に荒っぽく感じられ、この場にいても手に取るように分かる程のものであった。この開け方は明らかにレヴィンではない、となると……あからさまな侵入者に腹立たしさを感じながら、魔法使いは表情を険しいものにし、おもむろに椅子から立ち上がった。すると、
「お師匠様、どうしたんですか?」
椅子の引かれる音、その突然の音に魔法使いが立ち上がったことに気がついて、エミリアは振り返って怪訝な表情をする。
「結界を破って侵入しようとしている者がいる」
「え!」
魔法使いの口からこぼれたのはただ事ではない現実。それで思い出されるのは、自分がルシェフへ拉致される前に起こったあの侵入事件だった。また同じようなことが起こっているのだろうかと、エミリアは不安になって表情を歪める。
「それにしても腹立たしい開け方だ、隠れようという気がさらさら無いらしい。ならば……」
魔法使いは手のひらを天へと向けると、呪文を唱え始めた。そしてしばしの後、その手から大きな火花が散ってゆき、天井の向こう側へと吸い込まれるようそれは消えていった。
「死なない程度の電流を結界に流した。脅しだ。これでどう出るか」
そうして魔法使いは待ちの態勢を取り、その後の動向を窺った。まぁ、とりあえず、電流攻撃のせいでか、結界を破ろうという行為は流石に収まったようだが……その他にはと、感覚を研ぎ澄まさせ、魔法使いは辺りを窺う。すると、しばしの時を待っても、何かが起こるという気配は無く……。
「ちょっと様子を見てくる」
そう言って魔法使いはその、結界を破ろうとしていたところまで様子を見に行った。
そう、賊がいるかもしれない、暴挙がなされたその場所へ。
だが、そこには……。
誰もいない……。
そう、もうその場には誰もいなかったのだ。魔法で作り出した炎で辺りを照らしてみても、ただ草木の生い茂る森がそこに広がるばかりで、何かを見つけるということはできなかった。電流で気絶させ、あわよくばとっつかまえようと思っていた魔法使いだったが、その目論見は見事外れてしまったらしい。
「……」
魔法使いの胸に、何か嫌な予感が過ってゆく。そう、どこか得体の知れない、何かが。大体、こんな森の中に泥棒に入ろうという者もいないだろう。というより、単なる物取りならばこんな屋敷に入ろうとも思わないだろうし、第一屋敷を見つけることができないに違いない。となると思い出されるのは、やはりルシェフの者の侵入事件だった。今は本の件も抱えている、また何かが迫っているのではという予感に、拭い去れない気がかりが湧き上がり、魔法使いの胸をすっぽり覆ってゆくのであって……。