第六話 背信の愛 その十六
それから二日後の朝。
お忍び禁止のおかげで、自分でもびっくりするほどの規則正しい生活をするようになって……いや、ならざるをえなくなっていたレヴィン。今日も実に健康的な時間に目が覚めると、清々しい朝の光をその身に受けた。そして侍従の手を借りながら身支度を整えると、居間へと顔を出し、
「殿下! おはようございます!」
「今日もいいお天気ですね!」
「何かお言いつけはありますか?」
きゃぴきゃぴと、朝から無邪気過ぎるともいえる侍女三人組の出迎えを受ける。
「ああ、おはよう」
本当に可愛らしい三人組ではあるが、朝っぱらからこのテンションの高さにはさすがについてゆけず、レヴィンは少々顔を引きつらせながらそう答える。そして、
「朝食前に、新聞にでも目を通しておこうかな。誰か……」
持ってきてくれないか、と言う前に、既に三人はその新聞のある場所をめがけてダッシュしていた。そう、自分こそが王子に新聞を渡すのだ、という強い信念の下に。そしてほぼ同時に三人がその新聞を手に取り、「私が!」「私が持ってゆくの!」「いいえ、私よ!」と、いつもの如くの争奪戦が始まる。可哀想にあちこち引っ張られて無残に皺がよってゆく新聞。このままじゃ破れてしまうんじゃないかとレヴィンはひやひやしていると、
「はい、殿下。新聞です」
どうやらフィリスが勝ち取ったようで、どこか誇らしげな表情で、残念がる二人を背に新聞を渡す。
「はは、ありがとう……」
慣れたとはいえ、やはりつい唖然としてしまうレヴィンであった。そして、ちょっと皺になってしまったその新聞のまず一面から目を通してゆくと、そこに踊っていたものは、
呪文学者殺害
であった。つい最近、あの本を呪文学者に解読してもらうという出来事があったばかりであった。なので、その呪文学者という単語が気になって、なんとなくレヴィンは文を目で追ってゆくと、その記事には、
被害者 クリフォード=ウィンストン
レヴィンは目を見張った。呪文学者で名前がクリフォード、そして殺害場所は王都にある彼の自宅。まさか……。確かに自分の知るその呪文学者以外にも同じ符号にあたる者はいるだろう。だが、タイミングがタイミングだった。色々自分の周りに不穏な動きがあるこの時の。それにレヴィンは確信した。
彼だ、彼に違いない、あの本の解読をした……。
だが、何故……。殺される理由が分からなかった。もしかしたら、自分の事件に巻き込んでしまったのかもしれない。もしかしたら、全くの別件なのかも……。だが、一番可能性高く考えられるのは、やはりあの本に関係して、ということで……。
「はぁ……」
余りに絶望的な展開に、思わずレヴィンはため息を吐く。だが、この本のことを知っているのは、あの学者の他に、魔法使いとエミリア、そして自分とリディアしかいない筈だった。そう、誰かがあの手紙を読まないかぎり……。そこでレヴィンははっとして、慌ててその手紙が保管してある場所へと向かった。そう、書斎の机の、鍵のついている引き出しへ。すると、
「……」
やっぱり、昨日のまましっかりと鍵はかかっており、どう引っ張っても引き出しが開くことはなかった。となると……鍵自身はどうかとレヴィンは更に考えを巡らす。すると、確か鍵は昨日一日中服のポケットに入っていたことを思い出し……。まぁ、寝る時にはそこから取り出して、ベッド脇の卓の上に置いたが……。
うーん……。
確かに、眠っている間にそれを盗み出そうと思えばそうできなくもない。だが……。
色々な可能性がレヴィンの脳裏を過っていった。そして考えた末レヴィンは……。
※ ※ ※
その頃、森の中の魔法使いの屋敷でも……。
「くそっ!」
魔法使いは苛立たしげに手にする新聞を食卓の上へ投げつけた。目の前に踊るのは一面のあの記事。そして、部屋の窓際には、そっと涙を拭うエミリアの姿が。
そう、彼らも記事を見て、殺されたその人物が自分達の知人であるクリフォードだと分かったのである。
衝撃としかいいようがなかった。記事を目にしても、それがあのクリフォードだとはすぐに信じられなかった。だが、それは紛れもない現実で、それを悟ると、二人の胸には言葉では言い表せないような怒りが湧き上がってきた。そう、一体誰が、何故、と。そして心を蝕む喪失感に、悲しみすら忘れて呆然とすると、魔法使いは言葉をなくし、そしてエミリアの目からは堰を切ったよう滂沱の涙が流れていった。
そう、つい二日前のことだったのだ。はにかんだような表情をして、料理をご馳走するから、また遊びにおいでよと誘われたのは。結局、それはなされることはなく、こういう結果になってしまい……。
何故殺されたのか、エミリア達にもはっきりとは分からなかった。まだ犯人は捕まっておらず、動機らしきものも判明していないことが新聞に書かれてあったから。分かったのは、部屋が荒らされていたこと、被害者は拘束され暴行を受けた末、内臓破裂で死亡したらしいこと。物取りの犯行かとも書かれていたが、それでは拘束されているのに暴行された意味が分からない。そう、何かを探していたのか、何かを彼から引き出そうとしていたのか……。殺害されたと思しき時からそうはなれていない時間、この屋敷に賊が侵入しようとしていたという事実を重ね合わせれば、どうしてもそんなうがった考え方が浮かび上がってしまう。
「何故だ! 何故彼が殺されなければならない!」
魔法使いは怒りと共に机を拳で叩いた。
自分が巻き込んでしまったのだろうか、この本のことで。だが……
「本のことを知っている者は、ごく少数のはずだ。どうやって知りえたのか……。それともやはり別件なのか?」
「でも、結界を張ってなければ私達も同じ目に遭っていたかもしれないと考えれば、やっぱり……あの手紙を託した後、王宮で何かあったんでしょうか? もしかしたらそこから……」
それに魔法使いは苛立たしげにため息をついた。
「……残念ながら、王宮のことは王宮に任せるしかない。今我々に出来るのは、ここで地団太踏んでレヴィンからの連絡を待つしかないってことだ、くそっ。だが……こうなってみてふと思ったんだが、あの女は本当に信用できたんだろうか?」
「リディアさん、ですか?」
エミリアが小首を傾げてそう尋ねる。
「ああ、レヴィンからの手紙はしっかり封がしてあったし、筆跡も彼のものだった。だが、私が託した手紙はどうだったのか。無事彼の元に届いているのかどうか……今の時点では知る術もない」
「悪い人には見えませんでしたが……一応殿下に念……送ってみますか?」
それに魔法使いは首を横に振った。
「それを警戒して奴はあの女を送ってきたんだろう。そうしたいのは山々だが、もしまずかったらを考えると軽々しくそうもできん」
「そうですか……」
為す術ないこの状況に、エミリアは困ったように表情を曇らせる。胸を覆うのはどうにもできない歯痒い気持ち。勿論それは魔法使いも同様で、表情を厳しいものにしながら、この現実をかみ締めるよう、
「だが……この本、確かにすごいものだが、ひょっとするととてつもない禍を招く本なのかもしれんな。古代魔法使いの力を得る為に、世界を巻き込んで本の争奪戦が繰り広げられる、そんな光景が一瞬過ってしまったよ」
そう、これはほんの序章に過ぎないという、世にも恐ろしい想像が。
そしてエミリアもそれを感じ、ゾクリ背に怖気を走らせてゆくと……。
「その争いの犠牲に、彼はなったのかもしれない、と?」
「そう。一体誰が、何の目的でこの本を欲しているかは分からないが、もしあまり好ましくない相手にその存在が知られてしまったのなら、これは表に出すべきものではないのかもしれない。いや、こんな惨劇が起こってしまった今、同じ事を繰り返さない為にも、本の扱いには慎重にならなければならない。まぁ、この殺人事件が本に絡むものであれば、だが」
「でも、一体どうやって……」
それに魔法使いは少し考え込むように顔をうつむけて、
「しばらくは封印しておこうか。誰にも触れさせないよう、厳重に」
魔法使いの言葉にエミリアは頷いた。いや、こんな出来事があっては頷かざるを得ないであろう。そして早速、魔法使いは地下の倉庫へとゆくと、そこに置いてある金庫の中へその本をしまっていった。勿論ただの鍵だけでなく、魔法でも厳重に封印され……いつか目覚める時はくるのだろうか、それを知ることは今はまだできない。だが、きっとくるだろうその時を待って、本は深い、深い眠りへとついてゆくのだった。そうするのがいいことなのか悪いことなのか、その答えすら分からぬままに……。




