第六話 背信の愛 その九
そしてしばしの時間の後、アルヴァは鍵を手に戻ってくると、「では行きましょう」と言って、レヴィンとその後ろにつく近衛兵一行を特別保管庫へと案内していった。
その特別保管庫、それは高いところに小さな明り取りの窓がつくだけの薄暗い部屋であった。それほど広さのない部屋にいくつか棚が並び、それが影を作って更に暗さを増している。それは、流石に本を読むのは辛かろう程の暗さで、アルヴァは燭台に灯りをともして中に入ると、早速その書物『回想録』を探し始めた。そう、埃一つない管理の行き届いた棚にて、アルヴァの移動音だけが響く静まり返ったその空間にて。そして、やがてアルヴァは目的の本を見つけると、それを手に棚の脇に待たせていたレヴィンの所まで戻ってきた。
「ありました、この本です」
アルヴァの前には、まだかまだかと待ちかねるレヴィンの姿があった。だがアルヴァのその言葉にレヴィンは表情を緩めると、まるで大事な宝物でも扱うかのようその本を受け取り、勢いづきながらも慎重にその古びた本のページをめくっていった。
するとどうやら内容は、マレット氏が肖像画として描いてきた人との交流を回想として書いたものであるようだった。目次には彼が描いてきたのだろう貴族や王族の名が連なり、その中にはやはりバートラム三世の名もあった。そう、マレット氏が描いたのはバートラム三世晩年の絵、もしかしたら何かヒントが隠されているかもしれないと、早速レヴィンはそのページを開いてゆく。まずは大雑把に中身をつかむべく、ざっと本に目を通し。そうして分かったのは、どうやらそれは、それほど読むのに困難な本ではないらしいこと。ならばとレヴィンは章の最初に戻り、今度はゆっくり時間をかけて本の文字をなぞり始めた。すぐに引き込まれるよう文章へと集中してゆくレヴィン。そして、一、二ページほど進んだところで、何かの視線のようなものを体に感じた。そう、護衛の者の鋭いものではなく、もっと別種の何かを。何だと思ってレヴィンは本から顔を上げてみると、そこにはどうしたらいいのか困ったような表情でこちらを見ているアルヴァの顔があった。
それにレヴィンは周りを置いて一人別世界へ行こうとしていたことに気づき、
「あ、ごめん。もしかしたら時間がかかるかもしれないから、アルヴァは仕事に戻っていていいよ。終わったらまた呼ぶから」
そう言って仕事の邪魔をしてしまったことを申し訳なく思うように、アルヴァに気遣いをみせる。だがアルヴァの方は、手続きなしで自分の権限でここに立ち入らせてしまった以上、最後まで付き合わねばいけないかと、悩んでいる様子であった。そう、なにせ、ここは希少価値のある本ばかりがある部屋、レヴィンが扱う本もその価値の高い本の一つなのであったから。それもあってか、アルヴァは少し困ったような表情をすると、考え込むように小首をかしげる。だがそれもしばしのこと、やがて気持ちに結論づけたのか、アルヴァはその顔に淡い微笑みを浮かべると、
「かしこまりました。では、終わりましたら声をかけてください」
納得したように頷き、そう言ってこの場から去っていった。
※ ※ ※
そうして保管庫には、レヴィンと護衛係達だけが残された。正直、どれだけ時間がかかるか見当もつかないレヴィンだったが、幸運なことに、バートラム三世のページはそれ程分量は多く無かった。なので、ここで一気に読んでしまおうと、レヴィンは意識を集中させ文字に目を走らせる。
するとそこには、マレット氏が肖像画を描いている時にバートラム三世と交した会話について、彼の思想も交えて書かれていた。それは予感どおりともいえる内容で、レヴィンは心の中で拳を握ると、嬉しさで思わず顔を綻ばせる。そして読んでゆくうち、どうやらあの肖像画に描かれていた指輪はやはり呪いの指輪だったらしいことが分かった。そう、指輪をはめてから悪夢に悩まされ眠れないことを、王はマレットに漏らしていたのである。そしてバートラム三世はマレットに言う。
「私は不安なのだよ、これが世に残ることが。それ故、私はこれを誰の手にも渡さぬ為にこの指にはめたのだ。そう、本来あるべき場所から持ち出してまで。それは死の床まで待ってゆく覚悟でおるほどであった。なのに、このような思いをするとは……」
その言葉の意味を、どうやらマレット氏はよく理解できなかったようだった。だが、その中に入っていたものを知るレヴィンはピンときた。その巨大な力を恐れるあまり、魔法使い狩りを推し進め、古代魔法に関する書物を一切破棄しようとしたバートラム三世。その者がこの世に残ると不安という、古代魔法使いから押収したという書物、だとしたらやはりそれは……。
これは早速アシュリーに伝えねばと、レヴィンは書物から顔を上げた。だが、そこで目に入ってきたのは……しかめっ面で居並ぶ近衛兵達。それに、自分は今お忍び禁止であったことを思い出し、レヴィンはガックリとうなだれた。ならば、念を送ってこのことを知らせようかとも思うが、ねずみがうろつくこの王宮内、それも宮廷魔法使いの魔法封じまでをも破る者が潜む……。もしかしたら探知されることもありえるかもしれないと、そうなったらエミリア達に迷惑がかかる恐れがあると、万が一を考えそれを断念した。ならばレヴィンはリディアに連絡役を頼もうと再び顔を上げるが、そういえば彼女には他に頼みごとをしているのを思い出し、こういう時に限ってと額に手を当てる。取り敢えず、並ぶ面づらに目をやってみるが、やはりそこにリディアの顔は無い。
「えーっと、リディアは今どうしてるか分かるかな」
一応、試しに尋ねてみると、
「殿下に頼まれた用事があると言って、今日は任務から外れていますが?」
「ああ、やっぱり。そうだよね、そうそう」
思った通りの答えが返ってきて、レヴィンは落胆に肩を落とす。思うのは、
嗚呼、そうなると、やはり彼女が帰ってくるのを待つしかないか……。
歯痒くもあったが、事情が事情なだけに仕方がないとレヴィンは渋々諦める。そして、いつもならもっと事は簡単なのにと、思うままにならない身を嘆き、一つしかない選択肢にレヴィンはため息をつくのだった。