第六話 背信の愛 その五
背筋を凍らすこの出来事は、当然のことながら王宮に大きな衝撃を与えた。そしてルシェフ工作員殺害事件として、王宮内で密かに調査が行われることになった。もしかしたら先のレヴィン王子暗殺事件とも関連があるかと見て、同時進行で。女性の死因は脳挫傷。だが、頭蓋骨は陥没しているのにどこにもぶつけた形跡がないことから、魔法封じを破って、何者かが魔法で脳を無理やり破壊したとも考えられ、その者……つまり王室内に潜んでいると考えられるねずみ探しに躍起になることになった。
唯一の目撃者であるレヴィンも、当然のことながら参考人としてさんざん取調べを受けることになった。この国の王子であったから、流石に皆はっきりとは言わないが、一番殺害するに適した位置にいたのがレヴィン、疑いを含んだような言葉にもさんざん遭い、全く、先の暗殺事件から続いて踏んだり蹴ったりといった感じの彼であった。
ぐったりするばかりの日々に、心の中で嘆くレヴィン。だがその思い届かず、時は毎日同じように刻々と進んでゆき……そしてとうとう我慢の限界と、この状態に嫌気がさしたレヴィンは、
「ああ……ここは落ち着くね。エミリアの顔を見ているだけで心が和むよ」
そう、ここは王都の北にある森の中の屋敷、魔法使いの家であった。お忍び禁止令が出ていたにもかかわらず、もうたまらないと護衛を振り切って、心を休めるべくエミリアの、決して魔法使いではない、エミリアの元へとやってきたのであった。案の定結界は強化されていたが、切羽詰ればなんとでもなるというか、作った者が聞いたらさぞ嘆くだろうと思う程、いとも簡単にそれを破って。
そして、ようやく安らぎを得たとでもいうように、魔法使いの家でくつろぎまくるレヴィン。だが、こうも不意に訪れられた者としては……、
「ったく、こっちはいい迷惑だ」
当然の如く、面白くないとでもいうような眼差しで魔法使いはそう言う。だがそれにエミリアは困ったような表情で、「まあまあ」と魔法使いをなだめると、
「まあ、いいじゃないですか。なんだか殿下疲れています。何かあったんじゃないですか?」
「ねぇ」と言ってレヴィンを見る。それにレヴィンは感激しきりの表情で、
「ありがとう、エミリア。その通りだよ。やっぱり君はやさしいね」
今のこの時の心にしみる気遣い、まるで天から女神でも降臨してきたかのよう、レヴィンはしみじみエミリアに向かってそう言う。
だが……。
「で、何の用事だ。くだらない内容だったら、ここから追い出すからな」
相変わらず、魔法使いの態度はつれないものだった。なので、それにレヴィンは心を傷つけられたとでもいうように切ない顔をすると、
「用事って用事は無いんだけど……なんか、暗殺者に狙われたり、殺人の現場に居合わせちゃったり、更に参考人として取り調べうけちゃったりで、もう踏んだり蹴ったりなんだよ」
すると、その言葉に魔法使いは眉をひそめ、
「暗殺に殺人事件? 確かにそれは聞き捨てならないが……そんな事件我々は全然知らないぞ。大体これ程の大事件が、我々の耳に全く入ってこないとは一体どういうことだ?」
「ああ、これは王宮内で極秘に捜査されていることだから、国民は知らないんだよ。だから君達も内緒にしていてくれよ。でも……ほんと、息が詰まって毎日が地獄のようだよ。護衛はぴったりくっついてくるし、王宮の外へは中々出られないし、尋問攻めには遭うし……久々の外の空気って感じなんだよ、ここは」
そんな大変な時に、こんな所に来ていていいのか……魔法使いとエミリアは心の中でそう思うが、今更それを言ったところで素直に帰る彼でもないだろうと、取りあえずその気持ちは胸に封じる。そして二人はその踏んだり蹴ったりという話とやらを聞くべく、レヴィンに促してゆくと……
「うん、それなんだけどね……」と、最初に起こった暗殺のこと、その次に起こった殺人事件のことなど、事の顛末をレヴィンは細かく話していったのだった。それは二人にとって驚くべきもので、レヴィンの暗殺は勿論のこと、その後起こった殺人事件のこと、更には殺された人物があのルシェフの工作員だったということにも、大きな衝撃を受けていった。それも、レヴィンと差しで尋問している時の出来事であったというのだから。
「事実を否定し、執拗にルシェフの一般市民と言い張るものだから、全部自分は知っていると、思わず強く問い詰めてしまったんだ。もしかしたら、その問い詰め方がいけなかったのかもしれない……」
自分の行いを悔い、責めてみたりもするレヴィンだった。その姿にエミリアはいたたまれない気持ちになるが、一方で気になるのはその時女性が放った言葉だった。ルシェフ国王の元に、皆一致団結してよき国を作る、愛国民は自分だけでない、ノーランドにいたるところにいる、と……。そんなことを口走った直後に起こった殺戮劇であったから、その言葉を封じようとして行われた出来事なのではないかと、うがった見方をしてしまう。となると、
「王宮に入り込んだねずみ、か。これはやっかいだな。自分の身内同士を疑うことになる訳だから」
「だろ、あの場から逃げ出したくなる気持ちも分かるだろ」
「だが、何の為に? ルシェフの女性の暗殺は、口封じと考えても良さそうだが、おまえの暗殺は?」
「それも推測するしかないけど、僕の暗殺未遂現場にルシェフ原産の花が落ちていてね。花言葉は触れないで、だった。深読みになるかもしれないんだけど、ルシェフの女性の正体を知っているとおぼしき僕が、これ以上彼女と関わり合いになるのを避けるべくその者は手を打ってきたのかと……そう考えると、この二つの事件は関連性ありと、みられるんだよね」
「その二つの事件に関わっている、ねずみが王宮内にいる、と」
「そういう訳だよ」
いやだいやだとでもいうよう、レヴィンは深いため息をつく。だが考えてみれば、いや深く考えなくとも、そんな経験は誰にでも辛いこと。なので、落ち込むレヴィンを気遣うかのよう、エミリアは淡い微笑みと共にその顔を覗き込む。そして、
「こういう時には、甘いものがいいですよ。昨日レモンパイを作ったんです。紅茶と一緒にいかがです?」
それにレヴィンは癒しを感じてエミリアに微笑を返すと、
「ありがとう、エミリア。喜んでいただくよ」
するとその言葉に、エミリアはにっこり笑って頷くと、台所へと向かってゆき……。
そんな居間には残された男が二人。少し重い空気の中で、魔法使いはレヴィンの話に考え込むよう顎に手を当てる。そしてゆっくり口を開き、
「実は……こっちも色々あったんだ。王家にも関係があることだから、出来ればこの機会に頼みたいんだが……」
さも深刻そうに切り出してきた魔法使いに、レヴィンは首を傾げる。
「何? 一体何があったの?」
「ああ、実は仕事で、リーヴィス男爵の屋敷に行っていたんだが……」
そこでレヴィンは「え?!」と目を丸くする。
「リーヴィス男爵って、あのリーヴィス男爵?」
この国の王子であるレヴィンであったから、貴族であるリーヴィス男爵を知っていてもおかしくはない。だがあれからあの事件は表ざたになり、新聞の一面を飾るかなりの騒ぎとなっていたのだ。誰もが知るところとなったこの出来事。どうやらレヴィンのこの驚きは、ただの知り合いというだけではない、新聞を見て、あの事件を知ってのものであるようだった。
「そう、こっちも事情聴取やら何やらで、踏んだり蹴ったりだった訳だ」
それにレヴィンは興味深げに頷きながら、
「へぇ……確か指輪に封じられている宝を取り出す為、魔法使いに仕事を依頼し、それを断ってきたり失敗したりすると、男爵が殺していたとか。もしかして、君もその魔法使いの一人? だとしたら驚きだけど」
「ああ、最後の一人だ。何とか殺されることは免れたがな。それで、その指輪なんだが……」
新聞を読んでいれば当然知っている事柄。なので、レヴィンは魔法使いの言葉を先取りするよう身を乗り出すと、
「盗品だったんだろ。それで男爵家の家名に傷がつくことを恐れた、と」
その言葉に、魔法使いは「ああ」と言って頷く。
「だがそれは単なる盗品じゃない。王家の墓から盗掘した指輪だったんだ。どうやらそこは屋敷の者達は口をつぐんでいるらしいが」
「王家の墓……」
「そう、バートラム三世の墓だ」
魔法使いの言葉に含むものを察してか、再びレヴィンの目が丸くなる。
「え、え、も、もしかして……バートラム三世の指輪っていったら、有名な話があるけど……」
「そう、その話だ。あの呪いの指輪だ」
「本当に? 伝説じゃなく?」
それに魔法使いは無言で頷く。そうそれは、世間の知らぬところで隠された真実、更にまた、全くもって重大な内容で……なのでレヴィンは、「まいったな……」と呟いて思わず椅子の背にもたれかけると、
「……でも、結局魔法は解けたけど、指輪は砂になって消えてしまったと、そしてその中からは何も出てこなかったと、新聞には書いてあったけど」
「それも口裏あわせだ。中には一匹の竜と、これは屋敷の者も知らないんだが、一冊の本が出てきた」
「本?」
「ああ、ジャメヲ語の古語で書かれた本だ。今、それを専門にしている知り合いに解読してもらっていて、手元にはないんだが……」
それにレヴィンは呆れたような表情をする。
「屋敷の者も知らないって……もしかして、勝手に持ってきちゃったの、その本」
「ふん、あんな目に遭って報酬ももらえないんじゃ割に合わん」
やっぱりあれから報酬は出なかったようで、納得いかない気持ちに整理をつけるよう、そんな言葉が魔法使いの口からこぼれる。そして、その納得のいかない表情のまま、
「私はざっとだけその本に目を通したんだが……」
「通したけど?」
「あの指輪が古代魔法使いから押収したものって事は知っているだろ」
「ああ」
「その古代魔法使いが隠した一冊の本、まだ確信は持てないんだが、もしかすると……」
その言葉でレヴィンはピンときた。
「まさか……」
「そのまさかだ」
「だとしたらこれは……」
「ああ、そうだ。それで、もう少しバートラム三世のことについて調べて貰えないかと思って。伝説以外に本のこととか指輪のこととか何か分かればと……ああ、フォラーニの年代記に記してあるものはリーヴィス男爵から既に見せてもらっているが」
「フォラーニの年代記?」
「指輪に宝が眠るうんぬん書かれている書物だ」
レヴィンはうーんとうなりながら腕組みをし、このことについて考え込んでいる。確かに事が事、そして状況が状況であり……だが、もしかしたらこれはいい暇つぶしになるかもしれない、なので、了解を示して一つ頷くと、
「なるほど……分かった、調べてみよう」
するとその時、ふわりと甘い香りがレヴィンの鼻孔をくすぐってきて……。
「お話は終わりましたか? ひと段落ついたようでしたら、休憩がてらにおやつをどうぞ」
話が終わった頃を見計らうかのよう、エミリアが紅茶とレモンパイの乗ったお盆を手に、再びレヴィンの元へと戻ってきたのであった。明るい彼女の笑顔。それに心が癒されるのを感じながら、差し出されたそのパイをありがたくいただいてゆくレヴィンで……。だが、この後王宮に戻って待つのは、恐らくお説教。またリディアだろうかと憂鬱に思いながら、いずれは終わってしまうこの時にちょっと寂しさを感じ、せめて今だけはと心休めるレヴィンだった。