第六話 背信の愛 その二
その頃レヴィンは……居並ぶ護衛達の鋭い眼差しと、襲いくる退屈に音を上げて、自室から逃げ出すようとある場所へとやってきていた。その場所とは、
「アルヴァ……聞いてくれよ、全く……」
疲れ果てた表情で明るい色調のカウンターにぐてっと身を投げ、レヴィンはそうぼやく。とにかく話を聞いて欲しい気持ちでいっぱいで、ため息と共にそんな言葉がもれてしまったのだが、言いたいことが多すぎて悲しいかな中々その後が続かない。仕方がないので、何となく目に入ってきた卓上の貸し出しという札を手で握ると、苛立ちを紛らわすようそれでレヴィンはコンコンコンと盤面を叩き、
「もう、息が詰まって窒息しそうだ……」
そう、レヴィンのいるここは本の貸し出しカウンター、つまり王宮内にある図書室であった。
そんな彼の傍らには、どこへでもついてくる護衛係、そして目の前にはこの図書室の司書らしき、四十代前半くらいのどこかくたびれた感のある痩せぎすの男性が……。
「なんだか、大分辛い思いをしているようですね」
すると、アルヴァと呼ばれたその男性、レヴィンの様子から察してか、面立ちどおりの穏やかな口調でそう気遣いの言葉をかけてくる。そう、本当に心から心配した表情で。だがそれに、相変わらずぐったりとしているレヴィン。やがて、ゆるゆると顔を上げると、コクリコクリ頷き、もう我慢の限界とでもいうよう、
「そう、一日中監視され、時間だけは有り余っているのにやることが何もないんだ。息が詰まるのも当然だと思わないか?」
ここぞとばかりに愚痴を零してくる。そう、どうやら自分でも気づかない内ストレスがたまっていたらしい、思わず必死が滲み出してしまう悲しきレヴィンであって……。だがそれに気圧されることなくアルヴァはフフフと笑うと、
「でもまあ、どれもこれも殿下の為を思ってのことですから」
誰もがそう答えるだろう、明らかにそれは正論といえる言葉。だが、それではレヴィンの心は癒されないのだ。なので、少しむくれたような表情をすると、
「僕の為を思うなら、なおさら籠の中に閉じ込めないでおくれって感じだよ」
つくづくそう思うレヴィンであった。勿論勝手な言い分であることはレヴィンも重々承知してはいたが、現実の苦しみはその身にひしひしと堪えるのだ。身の上にふりかかる災い、ただ嘆くことしか出来ない歯痒さ。そんなレヴィンを前にアルヴァは、
「まぁ確かに、殿下を王宮に閉じ込めるということは、鳥に飛ぶなと言ってるようなものですものね」
それはちょっと言いすぎなような気もするが、確かに分かってくれている自分の気持ちに、レヴィンは「だろ」と言って再びため息をつく。
「ああ、何か一つでもいいんだ、気を紛らわせられることがあったらなぁ」
するとそのレヴィンの嘆きに、アルヴァはしばし「うーん」と考え込むと、やがてにっこり微笑み、
「例えば……本を読むとか」
それは司書らしいアルヴァの言葉、それに思わずレヴィンは苦笑いを浮かべると、
「さすが司書、そうやって利用者を増やしてゆくんだね。確かに……」
「確かに?」
「僕もそう思って、ここにきた訳なんだけど……」
ポツリとそこまで言って、レヴィンはどこか遠い眼差しをする。そして、
「考えてみたら……あの視線の中で集中することができるかどうか。本だって読めるか怪しいもんだよ」
ここしばらくしかめっ面ばかり見ていたレヴィン、アルヴァの顔を見てホッと一息ついたような気持ちを味わっていたが、こぼした言葉にふと現実を思い出し、つい肩を落としてしまう。
すると、それにアルヴァはどこか同情するような眼差しを浮かべながら、
「確かに……見つめられたままの読書は辛いものがあるかもしれませんね。ならば……何か軽いものでも読んでみますか?」
レヴィンに適当な本を紹介しようとしたのだろう、そう言って席を立とうとする。
だがレヴィンはその言葉に悩むよう、「うーん」とうなると、
「それより魔法書かな。そう……結界解除魔法についての本がいいな。オージアスの奴、今回の件でまた結界の強化を行ったみたいでね。絶対解除していつかお忍びしてやるんだ」
何となく、傍らに居並ぶ面々から厳しい視線が飛んできているような気もしながら、レヴィンは憎々しげに宮廷魔法使いの長である、オージアスについて苦言を漏らす。
するとそれにアルヴァは頷きながら、
「なるほど……殿下お得意の結界解除魔法ですね。お忍びについては、コメントを控えさせていただきますが……」
この状態で余計な口出しはあまりよろしくないだろうことを判断して、そう言って静かに席を立つ。そう、恐らく、カウンター前に置かれている目録を見ようとして。そしてその通り、アルヴァはその場へと向かって歩いてゆくと……どうやら読みやすさより何より、自分の興味に従ったらしいレヴィンの選択。だが司書はその辺りも心得ているようで、分類順になっている目録の中から目的の種類の本が入っている一群を探し当てると、一枚一枚確認するようカードをめくっていった。そう、ここは魔法書についてはかなりの蔵書を誇る図書室であるのに、迷いもせず。
「そうですね……ですが殿下はもう大体読まれているのでは? 今の所、特に新しい本は入ってきてないようですね」
「そうか……十五年以上も魔法書をあさっていると、流石にそうなってくるか……ああ、こういうときに限って読みたいものはなし。でもまあ、本を読まなくっても解除する自信はあるんだけどね」
傍らの視線が更に厳しくなるのを感じながら、レヴィンは自信満々にそう言う。
それはまるで護衛係たちへの宣戦布告とでもいうような態度で、それにアルヴァは困った表情をしながらも憎めない眼差しでレヴィンを見つめると、
「フフフ、私が妖精の幻影を見せて以来ですか? 早いものですね、まさかこんなに上達するとは思ってもいませんでしたよ、結界解除魔法については、ですが」
「そう、魔法にはまったきっかけはアルヴァがあまりにも可愛い妖精を僕に見せたから。どうしても自分でも出してみたくなったのさ。まさかその興味が、結界解除魔法に向くとはその時思ってなかったけどね」
これは誰にも内緒だよ、まるでそう言いたげな様子でレヴィンは声をひそめてアルヴァに言う。そして、共有する秘密に、思わずといったようお互い含み笑いをしてゆくと、
そこに流れるは穏やかな時。心和む、つかの間のひと時。
そしてそのひと時に、レヴィンはようやくの癒しを感じ取ると、ああ、きてよかったとつくづく心から思ってゆき……。
ああ、和み……。
だが……この司書、一体何者なのだろうか。会話を交わす姿から見て、ただレヴィンと面識があるというだけではない者のように感じられたが……。
まぁ、見た目で変わった所といえば、司書でありながら魔法協会のエンブレムが胸にあるローブを羽織っているといった所であろうか。そう、彼は司書でありながら魔法使いでもあったのだ。だが、同じ魔法使い同士という気安さだけの二人ではない。更にこの人物は、レヴィンが魔法の道へと進むきっかけとなった、幻想世界の生き物を見せてくれた幼い時の家庭教師でもあったのだ。それゆえのこの親しげな態度。魔法使いでありながら、魔法を使うことは無い司書という仕事についていることから、それほど魔法の技術については高くないのではと、レヴィンは思っていたが、魔法についての知識は深く、幼い頃の思い出もあいまって、彼が今まで出会ってきた指導者の中で一番慕っていた人物であった。それは、魔法大学にいた時の恩師以上に。
「そっか、結界解除魔法の本は新しいのはなし、か。なら他に……」
「転移魔法の本なら、新しいのが入ってますよ。一応、殿下の専門の」
「あはは、一応……ね、一応」
「でなければ、新境地を開拓してみるとか。例えば……『ジャックとローズの素敵な冒険』現在のベストセラーです。二人のロマンスに胸がキュンと、世の中の女性に大人気。これを読んで会話のネタになどいかがです? 先程、丁度一冊返ってきたところなのですよ」
「うーん、ロマンス小説か……」
いまいち食指が動かず、だがもし嵌ってしまった自分がいたら怖いなと思いながら、レヴィンは悩んでいると、
「殿下!」
ふいに厳しい声が背後から飛んでくる。なんだとレヴィンはそちらの方を見てみると、そこにはロマンスとは程遠いリディアの姿があった。できればしばらく拝みたくなかったリディアの登場に、レヴィンは現実を思い出し表情を苦々しいものに変えると、
「何、リディア」
憩いのひと時が邪魔されたのを憂うように、椅子の背もたれに身をもたれかけ、不機嫌も露な表情でそう言う。するとそれにリディアは、レヴィンの不機嫌などまるで気にも留めないかの如く、さっと跪いて頭を垂れると、
「ルシェフのあの女性の件で、尋問官の方から報告がありました」
冷静に用件を述べる。
定例報告はついこの間行ったばかり。ならば、新しい何かが起こったのかと、レヴィンは不機嫌な顔をもしやの期待に一変させ、ぱっと身を起こした。そして、
「何か、進展があったの?」
その先を待ち望むよう、期待をありありと覗かせてリディアに問う。だが、
「それが……」
リディアは表情を曇らせる。そして、
「女性は相変わらず容疑を否認しています。それどころか、自分ははめられたと言っており……。殿下に引き渡してきた人物に襲われ、拉致されこういった状況になったのだと。殿下もその人物にはめられているに違いないと、そんなことを言っているようなのです……」
それにレヴィンは難しい顔をした。全てを知っている彼にとって、それは白々しいばかりの嘘にしか聞こえなかったから。だが、事情を知らない者にとって、それは判断を惑わせる一つの材料となってしまうのだろう。
「そうか……」
レヴィンはため息と共に考え込むようにして顔をうつむける。
「尋問はまだ続いてるの?」
「はい、状況は相変わらず進展せず。そこに女性があのようなこと言って騒ぎ出したので、どうしたらいいものかと尋問官は悩んでいるようです。それで、殿下に報告をと」
それに、「なるほどね……」と呟くレヴィン。そしてやがて、不意に顔を上げると、
「……僕が行ってどう変わるってもんじゃないと思うけど、これは様子を見に行ってみるべきかな」
その言葉に、リディアが驚いたような表情をする。
「殿下自らが?」
「ああ、その人がそう騒いでいるのなら、僕が出てった方が話は早いだろう」
そう言って、勢いよく椅子から立ち上がるレヴィン。そして、カウンターの中のアルヴァを見遣ると、
「アルヴァ、という訳で、今回は見送りだ。またくるから、その時はよろしく頼むよ」
それにアルヴァは穏やかな笑みを浮かべながら、ハイハイとここまでを示して両手を挙げる。そしてレヴィンはその見送りを背にリディアに目を向けると、
「じゃあ、リディアも一緒に来て、尋問室へ行くから」
「はい、かしこまりました」
再び頭をたれ、レヴィンに付き添うべく立ち上がるリディア。そうしてレヴィンはリディアを傍らに、護衛の近衛兵達を後ろに引き連れると、早速尋問室へと向かって歩いてゆくのであった。