第五話 この上なき秘宝 その十八
「ん?」
不意に目を落としたとある場所に、とあるものを発見したのである。その場所とは指輪が崩れて落ちた砂の中であり、そこに一冊の本が落ちていたのだ。竜が現れた時には、砂以外そこには何も無かった筈の場所だった。もしかして、その後指輪の中から表れたのだろうか、それとも元々あった本をそこに誰かが置いていったのだろうか? だが、本を置くなど、そんな意味のない行動をする人間がいるとは、少し考え難かった。ならばやはり指輪の中に入っていたものだろうかと、とりあえず魔法使いはその本を取り上げると、中をぺらぺらめくってみた。
「これは……呪文に使われるジャメヲ語だな。それも古語で書かれている」
しばし魔法使いはその本に目を走らせるが、次第にその眼差しには真剣なものが加わってゆき……。
「……まさか、いや、そんな筈は……」
信じられないような面持ちで、魔法使いはうんうんうなっている。
「その本がどうかしたんですか?」
「いや、私はジャメヲ語の古語にそう精通している訳ではないから確信は無いんだが……もしかしたら……いやまさか……だが、指輪の元の持ち主が古代魔法使いであると考えればありえないことは……」
ぶつぶつと呟きながら、再び一人自分の世界へと入ってしまう魔法使い。それに取り残されたエミリアは、訳が分からず首をかしげ、
「お師匠様……」
ついこぼれたエミリアの困惑の言葉に、魔法使いはようやくといったようハッとして現実に戻ってくる。
「ああ、すまない。とりあえず私もまだ確信が持てない、この件について深く言及するのは今はやめておこう。だが、もしそうだとしたら……これはすごいことだぞ。失われた過去の秘宝、確かにその通りだ。いや、まだそう判断するのは早いが」
少し興奮気味の魔法使いであった。
「で、どうするんですか、その本」
疑問は取りあえず脇に置き、エミリアは魔法使いにそう問いかける。
「持ち帰って、それを専門にしている知り合いに解読してもらう」
「ええ! で、でも、この本、今はこの屋敷の人のものじゃ」
「ふん、この調子じゃ報酬も出るか怪しいものだ。なら、代わりにこれをいただいていこう。第一、この本の存在にこの屋敷の者は気づいてないらしいし」
罰当たりともいえる言葉を言い放ち、魔法使いは早速その本をトランクに詰め始める。そう、はっきり言って、犯罪だった。正直、大丈夫かなとも思うエミリアだったが、せっかくの苦労の結晶、押収されてどう扱われるか分かったものじゃないならば、魔法使いの手にあった方がいいのかもしれないと、無理やりそう思ってみる。いや、無理やり自分にそう言い聞かせる。
「じゃあ、私は森へ行ってくるが、エミリアはどうする?」
ついてくるかどうか、尋ねているのだろう。
「私も、行きたいです。竜さんにちゃんとお別れもしたいし……勿論転移魔法ですよね、流石に今回は」
「森までは馬車で最短三日はかかる場所だ。確かに無理だな。だが……」
「だが?」
「ふふふふ、私は今とてもつもなく疲れている。寝不足で頭は朦朧、集中力はない。更に手元に正確な地図も無いときている。魔法を使うならとんでもない場所に辿り着く可能性も大だが、それでもいいか? 辿り着いたら崖っぷち、湖のど真ん中、屋根の上、どんな状況でもありえるぞ」
不気味に笑う魔法使いのその笑みは、寝不足の為、更に凄味を増していた。それにエミリアは流石に怯むが、竜とは恐らくこれでほんとのさよならになってしまうのだろう。ならば、
「連れて行ってください」
やはりお別れはしたいと、決意も固くそう魔法使いにお願いする。
それに魔法使いは頷くと、小竜を抱き上げ、エミリアにもしがみつくよう手で招く。そう、流石に何度もこんなことがあると、毎回恥ずかしがってなどいられないのだ。なので、少し慣れた感じでエミリアは魔法使いの首に手を回してゆくと、
「……流石に一人と一匹ってのは、重い気がするな……」
魔法使いから心もとない言葉が返ってくる。
「お願いですから、落っことしてかないでくださいよ」
「それはおまえの体力次第だな」
そう言って魔法使いは呪文を唱えた。そしていつもの如く、突風の吹きすさぶ亜空間を抜けると、どうやら崖っぷちでも、湖の上でも、屋根の上でもなく、無事森の入り口へと到着したようであった。そう、月明かりの中に黒々と、立ちそびえる木々の群れが目の前に現れる。
「じゃあね、仲間と一緒に、元気で暮らしてね」
その森と向かい合わせになるよう、魔法使いの腕から地に下ろされる竜。そして、エミリアに優しくそう言葉をかけられると、森へと向かって、促すようその背を押され……。だが……それに竜はまだ心残りなよう、いつまでもエミリアの足にまとわりついて中々離れようとしないのだった。何度先へ進むよう示唆してみても、一、二歩進んで森に背を向け、竜は再び戻ってきてしまうのだった。
「ほら、この森の中があなたの住む世界なのよ。きっと、また会えるから、ね」
会えるかなんて、ほんとは分からなかった。いや、この広大な禁域の森に入ってしまったら、恐らく二度と会うことはないだろう。だがきっと、この竜も他の竜と同じく、人間世界では幸せに暮すことはできないに違いないのだ。今のこの気持ちはきっと一時的な感傷、ならば何とか仲間の元へ戻ってもらおうと、そう言ってエミリアは再び竜に促す。すると、ようやく諦めたのか、渋々ながら竜はエミリアの足元からゆっくり離れていって……。そして何度も後ろを振り返りながら、心細げな足取りで、竜は森の方へと向かっていって……。そう、何度も、何度も振り返りながら……そしてその身を森の中へとうずめてゆくと、やがて竜は……今は夜。森の中は真っ暗な闇。中へ入ってしまったら、もうその姿を確認することは出来ないのであった。
「行ったな」
「はい、行っちゃいました」
少し寂しげにエミリアは言う。だが、自分が行ったことは間違っていないと、エミリアは確信していた。そう、こうすることがあの竜にとって一番良かったのだと、心の底から信じていた。絶対、絶対、絶対に! きつくきつく言い聞かせ、エミリアは自分自身の気持ちを納得させると、やがて魔法使いの方を見上げた。
そう、果たすべき仕事は終わった、後は男爵の屋敷に戻るだけ、という思いで。だが、それに魔法使いは、
「し、しまった!」
「どうしたんですか?」
突然何かを思い出したように慌てる魔法使いを前に、エミリアは困惑の表情を浮かべる。すると、
「帰り道がわからない」
「えー!!」
「屋敷に一番近い街、マーディフまでは行けるが……」
「また一時間歩くんですか、そこから」
泣きそうな表情でエミリアは言う。そう、睡眠不足は深刻というか、やはり魔法使いも疲れているようだった、帰り道を確認するという初歩中の初歩を忘れるとは。無事に辿り着いても帰れないのでは仕方がないと、魔法使いは自身の失態に呆れるが、かといって、また一時間あの道程を歩くのは彼もエミリアもごめんこうむりたかった。なので……。
「リーヴィス男爵邸までお願いする」
転移魔法を用いて、マーディフの街まで行くと、早速辻馬車を拾い、二人は乗り込んだ。
これならば、しばしの間馬車に揺られていれば、特に歩かなくても目的地に到着する。予期せぬトラブルに冷や汗をかいたが、取りあえず難は逃れられ、よかったよかったとホッと一安心の二人であった。
「こんな時間なのに、辻馬車拾えてよかったですね」
運のよさにも感謝しながら、安堵に胸を撫で下ろしてエミリアが言う。そして、
「でも、テルシェさんはちゃんと成仏したんでしょうかね。その後がちょっと気になります」
「さあな。あれを暴くことが目的といってたから、成仏したんじゃないか」
「そうだとい……あ」
ゆっくりと動き出した馬車。ほとんど人の姿の見えない真夜中の街角。だが窓から見えるそんな外の風景に、一人の少女が立っているのをエミリアは発見した。長い髪をたらしたその少女は、まさしくあのテルシェであり、にっこり微笑みながらエミリアに向かって手を振っていた。
「お師匠様!」
そう言ってエミリアはその方向を指差して魔法使いに示す。それに促されるよう魔法使いは窓の外を見てみると、確かにその少女の姿を彼の目は確認した。淡い微笑みを口元に浮かべるテルシュ、幽体の儚い姿で手を振りながら、馬車の動きと共に段々と小さくなっていって……。そして、
ふっ、
テルシェはその姿を、最初に出会った時の如く不意にかき消していったのだった。そう、まるで彼女がこの世の者ではないことを示すかのように。
「穏やかな笑顔でしたね」
「そうだな」
あの微笑みに、少女の気持ち全てが表れているような気がして、きっと心残りも解決して天国に行くに違いないと、安らぎもようやく手に入れるに違いないと、そう確信してエミリアは安堵と共に馬車の席へと座りなおす。
揺れる馬車の振動。それはこの日一日の疲れや今までたまった寝不足を一気に引きずり出す心地よいものだった。馬車ならば、恐らくすぐに到着してしまうだろう距離であったが、一仕事ついた安堵感も手伝って、迫りくる、その容赦ない眠りの誘いに二人は引きずり込まれそうになる。そして、やはりというか断りきれぬその誘いに、やがて二人はコクリ頭を落とすと、深い眠りの淵へと落ちていってしまって……。そう、まずはエミリアが安らかな寝息を立てながら、ちょこんと魔法使いの肩に頭を乗せ。それに対し魔法使いは、かかる重さにはた迷惑なよう眉をひそめていたが、やはり彼も堪えきれず、釣られるよう窓に身をもたれかけ。そう、ようやく得られた安眠に身を任せるその二人の姿は、まるで一幅の絵にでもなりそうなほど美しく……。
馬車は進む。安らかな眠りの途につく二人を乗せて。
それは、屋敷までのしばしの間、ほんのひと時であろう安らぎであった。だがきっと、二人にとっては永遠にも感じられるだろう、夢の世界への旅路。その確かとも不確かともいえる儚き道を歩きながら。
これで、第五話は終わります。次から第六話に入ります!どうぞよろしくお願いします!