第五話 この上なき秘宝 その十七
パン!
銃声が鳴り響き、その弾は男爵を襲った。
広がるだろう修羅場に思わずエミリアは目をそむける。だが、銃弾は男爵の命を奪ってはいなかった。
照準は明らかに額であったのに、撃たれたのはもう一方の肩で……。
走る痛みに思わず男爵は手に持つ銃を落とす。そして、それを見て男爵夫人は呆然としており……。そう、自分では撃ったつもりはなかったのに、引き金が引かれたのだから……。勿論、それはテルシュの亡霊のしわざ。男爵夫人自身は気づいていなかったが、テルシュの亡霊のしわざで……。だが、弾は狙った男爵の額ではなく、肩へ……。
それは一体何故だったのか。男爵夫人を最悪の罪に染めない為だったのか、それとも……。そう、死とはいわば楽な逃げ道、それよりもまずは生きて罪を償うことをテルシェは彼に望んだからなのかもしれない。
そして……。
武器を失った男爵、とうとう観念したようガックリとうなだれる。それに、魔法使いは早速その下に駆け寄ると、ローブを裂いて紐を作り、拘束すべく男爵の手と足に巻きつけた。するとその時、
「だ……旦那様!」
愕然とするような声が聞こえてくる。
恐らく、銃声を聞きつけたのだろう、屋敷の者達が続々とこの場に姿を現してきたのだ。そして思わず漏れたこの一言の後、目の前に広がる修羅場に皆声を失う。
「な……何故こんなことに……」
ざわめき始める人々の声。だが、男爵の有様に対しては驚愕の表情を見せつつも、やはり密猟については屋敷の者達にとって公然の秘密だったらしく、この部屋の存在に驚きを見せる者はいなかった。鋭い眼差しでポーズをとる竜達を前にしても、まるでそこにいるのが当然のことのように振舞っていて……だが、テルシェの殺害については知らない者もいたらしく、部屋の奥にあるガラスケースの中の彼女に気がついて、声にならない悲鳴を上げる者も何人かいた。すると、
「主人を撃ったのは私です。明日の朝にでも、警察を呼んでください。主人の密猟についても、行った数々の殺人についても、全てお話します」
儚き小さな花が、ようやく意志を手にしたかのよう、毅然とした態度で男爵夫人は言う。
だがそれに執事など、男爵の行動を全て知っていたと思しき者達が、
「奥様! それは!」
そう言って口々に反対する。そう、これが知れれば男爵家は崩壊、この家に身を捧げる者ならば、それは避けたいことであったから。そう、避けたいから、男爵を庇うという行為に走っていってしまう彼らであって……。そしてそれに勢いづけられるよう、男爵が、
「そうだ、このままこの女をのさばらせたら、男爵家は終わりだぞ! 捕まえろ! その女を捕まえろ!」
どうやら反省するということを知らないらしい、往生際悪く、力を振り絞ってそう言う。すると、それに男爵夫人はもういい加減にして欲しいとでもいうように額に手を当てると、周りの者達を見据え、
「あなた方は! そう、あなた方は……全て分かっている筈なのです。分かっていながら、恐れの為に目を背けている、違いますか? これは罪、口をつぐんでいることも罪。ならば、これ以上罪に手を染めない為にも、勇気を持って声を上げることも大事ではないかと思うのですが。この様は客人も見ています、もう逃げられないのです。これは罪を重ねた男爵家にとって、いい潮時なのです」
男爵婦人の言葉に、屋敷の者達は沈痛な面持ちで顔をうつむける。そう、彼らも、分かってはいるのだ、これがあるべき男爵家の姿ではないということを。だが、しかし……。そんな彼らを前に、男爵夫人は固まった意志に揺らぎはないよう力強い眼差しを向けると、「あす、全てお話しします」確認すべくもう一度そう言い、その場からやはり毅然とした態度で立ち去っていった。
しんと静まる室内。そこでこの屋敷の執事はエミリア達に目をむけ、
「あなたがたも、お話しするおつもりですか……」
窺うような様子でそう尋ねてくる。それにエミリアと魔法使いは自らの態度を示すべく、「ええ」とはっきり返事をする。
「そうですか……」
恐らく、長い間男爵家に仕えてきたであろうこの執事、屋敷に対する思いもひとしおであるに違いない。だが流石にもうこれまでと観念したのか、彼は諦めのようなため息をつくと、
「ロープを、持ってきなさい」
男爵の拘束をもっと強固なものにしようとしたのだろう、周りのものにそう指示する。すると、
「ローデリック!」
信じられないとでもいうように、男爵は執事に向かってそう叫ぶ。
だが、執事の態度に変わりはなかった。それに男爵は怒り狂って、「主人は私だ! 裏切り者を捕らえろ!」などと声を上げ始めるが、そんな主人を横目に、使用人たちは静かに執事の言葉に従ってゆくのだった。相変わらず男爵はあらん限りの雑言を並べ立てている。だがそれも聞こえてないかのよう、黙々と使用人達は自らが果たすべき仕事へと向かっていって……。
舞台は終焉へと向かいつつあるようだった。それにもうこの場は大丈夫だと判断して、
「エミリア」
「はい」
今が引き時、それを察して魔法使いはエミリアに目配せをする。そして小竜を抱くと、エミリアと魔法使いも男爵夫人に続き、慄然とする屋敷の人々を残してここから立ち去ってゆくのであった。そう、あとは明日呼ばれるだろう警察に任せ。
※ ※ ※
「指輪の謎を解くだけのはずだったのに、とんでもないことに巻き込まれてしまいましたね」
部屋に戻って開口一番、やれやれといった感じでエミリアは魔法使いにそう言う。
「ああ、事情聴取とか、色々待っているかもしれないな。面倒くさいことだ」
「でも、この竜はどうしましょう。明るみに出たら、えらいことになるんじゃないですか。なにせ、絶滅したはずの竜なんですから」
「私もそれをどうしようか悩んでいるんだが……」
良識ある一般市民なら、ありのままを警察に報告するという答えに行き着くだろう。だがそうなるとこの竜は……あまり思わしくない先行きに魔法使いは考え込む。するとその時、トントンと、扉をノックする音が響いた。「はい」と返事をすれば、中に入ってきたのは男爵夫人であり……。
「夜遅く申し訳ありません。本当に色々ご迷惑をおかけして……それで……指輪はどうなったのか、お聞きしようと思って」
それに魔法使いが口を開き、
「指輪の魔法は解けましたが、指輪は崩れて砂になりました」
「では、お嬢さんの指から外れたのですね」
「はい!」
そう言ってエミリアは笑顔で指輪のなくなった手を男爵夫人に示す。するとその言葉にホッとするよう、男爵夫人は表情を緩めた。そう、指輪が外れなくて指を切る羽目にまでなった男爵夫人であったから、エミリアのことが心配で仕方がなかったのだろう。それを示すよう、「それは良かったです」そう言って淡い微笑みを浮かべてきて……。そして、
「それが、指輪の中に封じられていた竜ですね」
まだ魔法使いの手の中で抱かれている竜を見て、男爵夫人はそう言う。
「ええ、そうです」
「私が夢で見た竜そのまんまですわ」
「でも、凶暴じゃないんですよ。強面ですけど、ただ指輪から出して欲しかっただけみたいなんです」
何とか分かってもらうべく、真摯にそう説明してゆくエミリア。だがそれに、今までこの竜にさんざん苦しめられた男爵夫人としては複雑な思いなのだろう、考え込むように顔をうつむけて……。そう、どこか心痛するように……。
そして、もれた言葉とは、
「そうなんですか……」
すると、そんな男爵夫人の気持ちをおもんばかってか、躊躇いがちに魔法使いは、
「それで、あの……お願いがあるのですが」
そう言葉を切り出してゆく。
それに、男爵夫人は、
「はい?」
それは、どこかきょとんとするかのような顔だった。その顔に、魔法使いは言い出しづらい気持ちになるのを感じながら、
「この竜を、森に返してあげたいのですが……。今までずっと指輪の中に閉じ込められ一人ぼっちだったのですから、また人の手に渡るより、仲間の元へ戻った方がいいのではないかと。せめて残った人生は仲間と共に、そう思いまして」
断られるか、どうかと、魔法使いは祈るような気持ちになる。
だが意外にも、それに男爵夫人は微笑み、
「そうですね……それはいい考えだと思いますよ」
「明日、警察が来てしまったら、否が応でもこの竜は事件に巻き込まれてしまいます。なのでその前に」
その言葉に、弾弱夫人はフフフと笑い、
「魔法使いならば、それも可能なのでしょうね。分かりました、警察には私がうまく言っておきましょう」
快い承諾。成り行きが成り行きなだけに男爵夫人の竜に対する思いに確信が持てなかったのだが、懸念は懸念で終わり、その言葉に少しホッとしたよう魔法使いは表情を緩める。
そして魔法使いはそれに対して礼を言うと、男爵夫人も取り敢えずの用事は済んだらしく、「では、お願いします」と言って二人に一礼し、静かに部屋から去っていった。
「森へ、返してあげるんですね」
「ああ、結局は森に返されることになるかもしれないが、変にいろんなことに巻き込まれるより、さっさと返してしまった方が、竜の為かもしれん」
そう言って、魔法使いは竜を床に下ろすと、すぐ目の前にせまる明日に備えて部屋の片づけをしはじめる。すると、
「ん?」