妹「桜」の話3
「おねえちゃん。何でわたし、お姉ちゃんじゃないの?いもうと、いや!」
土砂降りの夜の寝室。
オレンジの豆電球だけがぼんやり点いている。
真っ暗にすると、桜は怖がるのだ。
布団に入ってもやけに機嫌が悪い桜は、変わったことを言い始めた。
「はぁ?桜には妹も弟もいないでしょ。お姉ちゃんじゃないんだからしょうがないじゃん」
「えー!だって、みきちゃんも、きーちゃんもおねえちゃんなんだよ。わたしもお姉ちゃんがいい」
「桜は円香おねえちゃんの妹なのでムリです」
「いや!もうすぐ誕生日だからお姉ちゃんになれるもん」
布団をバサバサと蹴飛ばして反抗モードに入る妹。
私はその身体に布団をかけ直して、尋ねた。
「そんなにお姉ちゃんになりたいの?」
「なる!」
「お姉ちゃんになったら何するの?」
「えっと、えっとね、一緒に砂あそびする!」
「うわー、そりゃ大変だ」
「それでねぇ……鬼ごっこもしたいし、お絵かきもするの」
「そっかぁ」
「あとね、宝箱も見せてあげるんだよ」
「え、円香おねえちゃんは見せてもらったことないけど」
「おねえちゃんには内緒ー」
「えーん、ひどーい」
私のわざとらしい泣き真似に、桜は鈴を転がしたような笑い声を上げた。
「桜がお姉ちゃんになったら、妹や弟にはおやつを分けてあげなきゃいけないんだよ?」
「う〜ん。おやつ……おやつかぁ」
「できるの?」
桜は眉間に小さいシワを作って唸る。
おやつになると話が変わってくるようだ。
うんうん唸って、ようやく結論を出した。
「……たまになら半分こしてあげる」
「あっはっは!桜にお姉ちゃんはちょっと早いかな!」
私は「お姉ちゃんになりたいなら、たくさん寝て大きくなりなよ」と言って布団を優しく叩く。
桜は眠たそうに目をこすった。
「おねえちゃん、明日は砂あそびしていい?」
「お庭はダメ」
「わたしのスコップどっか行っちゃった」
「そのうち見つかるでしょ。そういや、ネコのお面もどこに置き忘れたの?何でもすぐ失くすんだから……」
ぱちり。
眠そうに閉じかけていた桜の両目が真ん丸に見開かれた。
薄暗い部屋の中でもはっきり分かるほど真っ黒な瞳で、虚空をじいっと見つめている。
桜は黙ったまま凍りついたかのように呼吸一つしない。
あまりにも不自然な妹の様子に、声をかけようとした。
「さ───」
その先の言葉は出なかった。
身体を全く動かすことなく、桜の塗りつぶしたかのようにどす黒い瞳だけが、じろりと動いて私を睨んだからだ。
桜の口が開く。
ぱかっと、音がしそうなくらい無理にこじ開けられたような開き方だった。
まるで腹話術人形の口を開けたかのように、限界まで桜の顎が落ちる。
───。
あ。
あー。
初めはそれを、私は「声」と認識できなかった。
どこかから聞こえてくる「音」だと思った。
雑音のような、機械音のような響き。
「音」が桜の喉の奥から、テープを流しているかのように溢れてくる。
あ、あ。
「あー」
「あーーーーー」
「あーーー、あーーーー、あ、ああ、あ」
音は、いつの間にかはっきりとした「声」に変わった。
マイクのテストをするかのように、「声」ははっきりとした聞き取りやすい「人間の声」に変わっていく。
徐々に、徐々に女の声に、若い声に。幼児の声に。
そうして、ついに。
「あ、あー。」
「あー。あー!」
「おねえちゃん」
桜の声。
聞き慣れた、妹の声に変わった。
桜。
私は名前を呼ぼうとしたが、喉が引きつって声が出ない。
心臓が音を立てる。
背中を冷たい汗がダラダラと伝った。
「おねえちゃん」
桜の口はあんぐりと開いたまま動いていない。
それなのに、声は彼女の口からはっきりと流れてくる。
「───さ、桜!桜!!」
ようやく出た声を振り絞り、桜の肩を揺すった。
「桜!しっかりして!!」
私の呼びかけに、桜の口がぱちんと閉じる。
黒々した目玉を見開いたまま、瞬き一つしない。
一文字に固く結ばれた口の両端が、無理やり吊り上がった。
「おねえちゃん。おめんはねー、あげちゃったんだー」
それは、桜がはしゃいでいる時とよく似た声色だった。
ふっ、と部屋の豆電球が消える。
桜の泣き声が暗い部屋に響き渡った。
弾かれたように立ち上がり、電気を点けると桜は「お姉ちゃんが電気消した〜!」と泣きわめいている。
桜はすっかり普段通りの様子に戻っていた。
この夜のことを、桜は何も覚えてない。




