第12話「王都に下る痛切な裁定と、雪解けの知らせ」
◆アルフレート・フォン・ヴェルテ視点
王都の空は、厚く淀んだ灰色の雲に覆われ、冷たい雨が絶え間なく降り続いていた。
アルフレートは薄暗い執務室の窓際に立ち、雨粒がガラスを打ち付ける無機質な音をただ無言で聞いていた。
室内の空気はひどく冷たく、豪華な装飾が施された壁掛けのタペストリーも、今の彼にはただの虚飾にしか見えない。
重厚なマホガニーの机の上には、辺境から逃げ帰ってきた使者の報告書と、レオンハルト・ヴァルトラーフからの親書が広げられている。
親書に記された簡潔で力強い拒絶の言葉は、辺境伯の揺るぎない覚悟を物語っていた。
執務室の重い扉がノックされ、精霊神殿の上位司祭が顔色の悪いまま入室してくる。
彼は深く頭を下げ、震える声で口を開いた。
「殿下。辺境の視察から戻った者たちの報告によれば、ヴァルト領の精霊たちは完全に大愛し子と同調し、外部からの干渉に対して明確な敵意を示しているとのこと。無理に召還を強行すれば、精霊の怒りが王都にまで及ぶやもしれません」
アルフレートは窓から視線を外し、司祭を一瞥した。
「王都の精霊たちは、どうしている」
「それが……」
司祭は顔を青ざめさせ、言葉を濁す。
「神殿内の光は著しく弱まり、すべての精霊が北の空へ向かって静止しております。まるで、我々の行いを監視し、裁きを下す時を待っているかのように」
アルフレートは小さく息を吐き、司祭に下がるよう手で合図した。
司祭が退出した後、執務室には再び雨の音だけが残る。
アルフレートは机に向かい、レオンハルトの親書を指先でそっとなぞった。
『ヴィオラ・ヴァルトラーフは私の正式な妻であり、彼女を手放す意思は一切ない』
その一文に込められた熱量と、守るべきものを手に入れた男の強さが、アルフレートの胸を刃のようにえぐる。
自分が手放した真珠は、泥にまみれるどころか、辺境の厳しい風雪の中で見事な輝きを放ち、大地そのものを味方につけてしまった。
かつての自分には、彼女のその輝きを見出す目も、それを守り抜く強さもなかった。
その痛切な事実が、アルフレートの喉を砂のように乾かせる。
彼は重い椅子に腰を下ろし、傍らに置かれていた水晶のグラスを手に取った。
琥珀色の冷たい果実酒を喉に流し込むが、どんな極上の酒も、今の彼の舌には苦い毒薬のようにしか感じられない。
グラスを乱暴に置き、アルフレートは真新しい羊皮紙を引き寄せた。
羽ペンにたっぷりと黒いインクを含ませ、王太子としての最後の裁定を書き始める。
『ヴァルトラーフ辺境伯の主張を正当と認める。ヴィオラ・ヴァルトラーフは辺境伯の正式な妻であり、精霊の愛し子をその土地から引き離すことは神殿の規定にも反する。よって、彼女が辺境に留まることは、国家的にも適切だと判断する』
文字を書き連ねるごとに、自分の中から何かが決定的に失われていく感覚があった。
それは、彼女を自らの手で取り戻すという、身勝手で甘い幻想の終わりだった。
最後に王太子の公式な署名を記し、アルフレートはペンを置いた。
『これで、いい』
後悔の泥沼の中で、これが自分にできる唯一の贖罪だった。
彼女のあの陽だまりのような笑顔を、二度と脅かさないこと。
それだけが、彼女を深く傷つけた男の果たすべき最後の義務なのだ。
アルフレートは完成した書状を使者に託すため、立ち上がって呼び鈴を鳴らす。
窓の外の雨は、いつの間にか静かに降り止んでいた。
雲の切れ間から差し込んだ薄日が、王都の濡れた石畳を冷たく照らしている。
◆ヴィオラ・エーデルシュタイン視点
数日後、王都からの最終裁定を知らせる早馬がヴァルト領に到着した。
書状の内容が城館の広間で読み上げられた瞬間、集まっていた騎士や領民たちの間から、割れんばかりの歓声が巻き起こる。
ヨハン爺はエプロンで顔を覆って号泣し、エルナはよくわからないまま嬉しそうに飛び跳ねている。
広間の隅で、ヴィオラは両手で口元を覆い、安堵の涙をこぼしていた。
レオンハルトが静かに隣に歩み寄り、その分厚い手で彼女の細い肩をそっと抱き寄せる。
「終わったな」
短く、しかし深い実感を込めたその声に、ヴィオラは涙で濡れた顔を上げて微笑んだ。
窓から吹き込む風は、もう冬の刃を隠し持っていなかった。
長く厳しい季節が終わり、本当の春が、ついにこの辺境の地に訪れようとしていた。




